40 / 142
第40話「頭の中の君」
「レンダリング1時間か、、途中で早まっても40分は掛かるな。油島、そっちのレンダリング何分?」
「こっちの、1時間半です」
「泣きそうな声出すなよ。わかった、そっちは早まっても1時間はかかるな。一回飯にしよ、油島。お前朝飯食ってないだろ?途中からめっちゃ腹鳴ってるの聞こえたよ」
「すみませ、」
「いーから!奢ったる。向かいの店のパスタ食いたい。行くぞ」
「あ、、はい」
自分が休日出勤しているのが誰のせいかと聞かれたら、鷹夜は迷わず「上野さんのせいです」と答えるだろう。
2人だけしかおらずとも、ワンフロアをぶちぬいて出来ているオフィスの空調はフル稼働させている。
こういったビルのオフィスの空調は普通なら何分割かされて操作パネルが分けられている筈なのだが、鷹夜の勤めている会社はどうやら違うようだ。
1つ空調を付けると全部つく。
無駄遣いしただの、窓を開けろだのと言われそうだが、パソコンを冷やしたくもあり、考えられる上野からの罵倒を全てシャットアウトしてクーラー全開で挑んでいる。
夏の匂いが濃くなったような日で、やたらと暑いのだ。
「スリープ機能切った?」
「切りました、大丈夫です」
「よし、飯〜」
ググ、と伸びをしながらオフィスを出てエレベーターの踊り場へ向かう。
結局、鷹夜、油島、今田、それから施工デザイン課の創立メンバーであり、この課における鷹夜の先輩にあたる長谷川享平(はせがわきょうへい)のパソコンを無断で使用して、一気に内装の3Dを仕上げていた。
長谷川の同期でもう1人、佐藤博子(さとうひろこ)と言う先輩がいるが、産休に入ってそのまま育休中であり、1年程は顔を見ていない。
たまに連絡用アプリに子供の画像を送ってきてくれるが、大体下手に撮れたものかブレているもので「よく見えないんですけど」と返事をするのが佐藤と鷹夜の間の十八番ネタだった。
長谷川、佐藤の2人にみっちりと鍛えられた事もあり、鷹夜は3年目で既に大きめの案件を1人で仕切れるくらいには実力があった。
(芽依くんに悪い事したなあ)
鷹夜達のオフィスの向かいのビルの1階には、チェーン店のカフェが入っている。
土曜日のオフィス街はそれなりに混んでいるものの、店の中はいつもよりは人が少なかった。
「ボロネーゼのランチセット、サラダ付いてるやつ、アイスコーヒーで頼んどいて。これで払ってな。釣りは返せ。席取ってるからよろしく」
ヒラリと油島に5000円を渡すと、鷹夜はLOOK/LOVEを見る為に窓際の1番端の空いている席を目指す。
「え、本当にいいですよ雨宮さん!逆に俺が払います!俺のせいなんですから!」
急いでいるのだが、油島は鷹夜を止めて小声でそう言い返してきた。
「だ!か!ら!お前のせいじゃなくて上野さんのせいだからな、今回のこれは!いいからこれで払え。お前の金で払ったら食わねえからな!」
「ッ、、すんません、ほんと、」
「暗いうざいやめろ。大丈夫だから、シャキッとしろシャキッと」
「はい!買ってきます。ごちんなります!」
「はい、よろしい」
面倒になってぎゃあぎゃあと責め立てると、油島は何故か感極まって泣きそうになりながら5000円を握り締め、鷹夜に頭を下げる。
はいはい、とそれを見送ってから、彼はまた早足で窓際の席へ近づき、背後に壁がある奥の席を取って、油島が来るのを待った。
「ふう」
このくらいでフォローになるなら鷹夜にとっては安い事だ。
鷹夜の勤める会社はブラック企業で「自分の時間を売って金をもらっている」と言われているくらい残業等が多い。だがその代わり、見込みではなく残れば残るだけ残業代が出るのだ。
それなりの年数働いている人なら同年代がもらえる額よりも多くの月収がもらえる為、独身者は金遣いが荒くなる。
鷹夜は慎重派で金を使う時間もない為、とりあえず後輩が落ち込んだときはこうやって何かを奢るようにしていた。
こう言う使い方ができる分には、残業していて良かったと思える。
(芽依くん大丈夫かな)
ポケットから出して手に持った携帯電話の画面を見つめて、鷹夜は緊張している肩から力を抜いた。
不安だった。
「じゃあもう会わなくていいや、めんどくさい」「それは俺に会いたくないって遠回しに言ってる?」。
そんな返事が来てるのではないかと胸が痛んでいる。
バクバクと心臓が波打ったまま、変な緊張を抱えた鷹夜は、急いでアプリのアイコンを押した。
通知は2つ来ている。
メッセージが2件来ていると言う事だ。
「、、、」
意を決してやりとりのページを開いた。
[朝言ってなかった!おはよ!]
[りょーかーい!ちなみに鷹夜くんの会社ってなんてとこ?休みの日まで仕事さすってことはブラック企業としてめちゃくちゃ有名?]
軽い返事しか返って来ていないが、とりあえず、メッセージに怒っている気配はなかった。
胸を撫で下ろしながら返事を打つ。
[おはよ]
[株式会社I and D(あい あんど でぃー)。有名だと思う。多分検索するとすぐ出るよ。家帰ったら電話していい?そしたら別の日決めよ]
メッセージを返し終わると、はあ、とため息を漏らしてアプリを閉じた。
あくまで安堵のため息で、がっかりした訳ではない。
いや、会えない事には、がっかりしたのだが。
(会いたくないとか散々言ったくせに、俺、めちゃくちゃ会いたくなってんじゃん!!)
咄嗟に急いで打ち返してしまった内容を思い出して、鷹夜は目の前の丸テーブルに顔を突っ伏して両足をばたつかせた。
「何してんすか」
「アッ!?いるなら言えよ!!」
トレーの上にアイスコーヒーとアイスカフェオレ、それからレシートとおしぼりを乗せた油島が、困惑した顔で目の前に立っている。
「あ、これ、お釣り。ごちそうさまです」
「へいへい。座んなよ。1時間きっちり昼休憩取ってやろうぜ。もう馬鹿馬鹿し過ぎる。何の為に仕事してんだかな」
すぐにまた上野やクライアントへの苛立ちがぶり返し、鷹夜はアイスコーヒーを受け取りながら愚痴をこぼした。
油島は「本当に!」と乗ってきて、一気にグラスの半分までカフェオレを飲んでしまっている。
(俺だって、、、楽しみくらい、あんのに)
完全に巻き込まれた鷹夜は、その巻き込まれ方にも納得がいかなかった。
上野から見てどんなに薄っぺらく、面白みに欠けた小さな存在であっても、自分は雨宮鷹夜と言う人間で、友達も、友達になりたいと言ってくれる人も、家族もいるのだ。
確かに予定がない日は多いが、予定が入る事だってある。
それを少しは考えて、嫌がらせをせず、「今日は空いているか」と事前に一度聞いて欲しかった。
(会いたかったのに)
本当は朝からずっと胸がわくわくしていたんだ。
「小野田芽依」と言う人間を知れる筈だった今日と言う日の午後を。
次会える日がいつなのかはお互い分からない。
予定を立てても、またこうしてドタキャンしてしまうかもしれない。
「8番でお待ちの方ー!」
それを考えると、いつになったら会えるのだろうかと窓の外を眺めてぼーっとしてしまった。
「あ、きた。雨宮さん、取ってきますね、パスタ」
「ん?あ。ありがと」
緑色の丸い番号札を持って席から立ち上がり、嬉しそうに受け渡しカウンターまで昼食を取りに行く油島。
平均より少し丸っこい彼の背中を眺めながら、アイスコーヒーのグラスにさした赤いストローの先を、鷹夜はガジ、と噛み潰した。
(本当はどんな風に笑うんだろ)
ストローはぺちゃんこに潰れた。
(会えないって分かったとき、悲しい顔、したのかな)
芽依は楽しみにしてくれていた。
素直で純粋な彼からの誘いを当日に断ってしまった事にも、「ごめんね」しか言えなかった事にも、胸が痛む。
悲しげな顔は一度だけ見たな、とため息が漏れた。
ともだちにシェアしよう!