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第58話「彼は置いていかない」
芽依はコンサートステージの台の下にいた。
特効の煙と火花が上がった瞬間に、乗っているリフターの天板が人力で迫り上げられ、芽依はステージの台の上へと勢いよく飛び出すのだ。
「ジェン、、」
消えた相棒は姿すら見えない。
震える芽依は必死に彼を呼ぶのだが、返事の声も聞こえない。
(2人のコンサートなのに、どうしていないんだ)
ずっとそばにいると思っていた彼の顔が段々と頭の中から消えていくのが分かって、切なくて顔を歪める。
本番前の2人だけの円陣はどうやっていたっけ。
彼はどうしていなくなったんだ。
「ジェン何処だ、ジェン!!」
ずっと2人でやっていくのだと信じていたのに、呆気に取られる程にあっさりとこの手は離された。
あまりにも悲しくて虚しくて、彼を思い出すたびに、まだ胸が痛い。
「出てこい、、戻ってこい、もう本番が始まる!!ジェンッ!!」
楽屋にはいただろうか。
トイレに行ったのだろうか。
衣装には着替えただろうか。
バクンバクンと心臓が激しく鼓動して、上手く息ができない。
酸素が不足し始めた身体は怠く、重く、脚がフラつき段々と視界が歪んでいく。
「ジェンッ!!頼むから、黙っていなくなるのはもうやめてくれ!!」
1人でステージには立てない。
ずっと隣にいた彼がいないのに、あの眩いライトを浴びながら、大勢の観客の声に応えるなんて無理だ。
身体が震えている。
怖くて上を見られない。
(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!ジェン!!)
あの煌めく世界には、もう行けない。
2人で1つだったのに、片方の翼がなくなってしまって、飛ぶことができなくなったから。
「ーーい、!!」
(嫌だ)
遠くで音がしている。
「ーー、い!めい!」
人の声のように聞こえてきた。
(俺はステージには戻れないッ、、!!)
「芽依ッ!!」
ドンッ!!
「ッうあ"!!」
胸に走った衝撃で、芽依はバチッと目を開けた。
「ッう、ゲホッ、はあッ、、はあっ、はあっ」
「起きたな。芽依、こっち向いて」
右胸の上、鎖骨のすぐ下に鷹夜の拳がある。
やっと眠りから覚めた芽依は酷い寝汗をかいていて、荒く呼吸を繰り返した。
ソファで寝たまま、彼は悪夢に溺れてしまっていたのだ。
「た、たか、や、くん」
心臓が痛い。
胸を殴られたからではなく、夢のせいだった。
ソファの横に座り込んだ鷹夜は芽依を見下ろして顔を自分に向けさせ、ぺち、ぺち、と頬を叩いて芽依の意識をハッキリと起こす。
芽依は呼吸を整えながらゴクッと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
彼がいる事ですぐに先程までのあれは夢だったのだと頭の中の整理がついて、頬に触れる手の体温に安堵して、ドッと疲れが出た身体が重くなった。
「大丈夫か?」
心配そうな鷹夜の顔が、青ざめた顔を覗く。
「ん、ごめん。びっくりした、変な夢みて。あー、最悪な気分になったわ」
「ん。とりあえず大丈夫だな」
「うん、起こしてくれてありがとう」
はあー、と長くため息をつくと、芽依はソファに手をついて上半身を起こした。
じとっとTシャツに汗が滲みている。
熱くて気持ちが悪い。
熱が出たときのような怠さもある。
額を手の甲で拭い、ふう、ともう一度息を吐き出すと、背もたれに左肩を押し付けて体重をかけ、窓の外を眺めた。
もう暗くなっていて、遠くに夜景が見える。
「水持ってくる」
トン、トン、と肩に触れた手が離れていった。
(あ、)
鷹夜は芽依が落ち着いた事を確認してから、キッチンへ向かうために立ち上がったのだ。
「んっ?!」
けれどその瞬間に、右の手首をものすごい力で掴まれ引き戻される。
「おっとと、どした?」
バランスを崩して転び掛けた。
驚きながら腕の先を見やると、鷹夜をソファのそばへ掴み戻した相手、芽依は、何かに怯えたような顔で冷や汗をかきながら彼を見上げていた。
「あ、」
自分でも何をしているのかが理解できないようで、呼吸は落ち着いているものの鷹夜の腕を掴んだ手は震えている。
芽依は何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。
その様子から、相当嫌な夢を見たんだろうと言うのは察しがついた。
事実、鷹夜は芽依がうなされている苦しげな声で目を覚まし、何度呼んでも起きない彼を心配して胸を強く叩いたのだ。
「っ、ごめん、あの、」
20歳を超えた男がこんなに取り乱す悪夢とは何だろうか。
そんな事を考えながらも、力が入りっぱなしになっている芽依の手を見つめた鷹夜は表情を緩め、安心させるようにニコ、と笑った。
「よーしよしよしよし」
「えっ」
下唇を痛いくらいに噛む姿が可哀想で見ていられない。
芽依の頭に手を伸ばし、役作りの為にだらだらと伸ばしているその髪をわしゃわしゃと雑に撫で回した。
「鷹夜くん、、?」
汗ばんだ髪をかき分けられ、冷房のひんやりした風が地肌に当たって気持ち良い。
芽依は自分の頭をこれでもかと言う程雑に扱っている鷹夜を見上げ、弱ったように笑う彼を見つめて、何故だか胸がグッと締め付けられた。
「よーしゃよしゃよしゃよしゃ、よしゃよしゃよしゃ〜〜」
「ちょ、髪、ちょっ」
「怖い夢見たんだろ。泣くなよ男の子だろ〜」
「泣いてないんですけど」
とうとう両手でぐっしゃぐしゃに頭を撫でて乱され始めた。
「、、鷹夜くん」
「ん?」
しばらくされるがままにしていた芽依は、むっと閉じていた口を開き、ボソ、と呟くように彼を呼ぶ。
「水はいらないから、もう少しここにいて」
意を決してそう言った芽依に、鷹夜はまた困ったように笑った。
「しゃーねーな」
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