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第76話「回らない頭」

「あーもお、何だよ、うぇえー」 お湯を止めて蛇口を洗面台へ向かせ直すと、お湯ではなく今度は水を出した。 喉を潰され掛けた芽依はケホッケホッと小さく咳をしながら、唇を離した後に突き飛ばされて浴槽のフチに手をつき、喉をさすっている。 鷹夜は水で口の中を何度か濯いだ。 「ん。はあーー、、で、何これ」 「、、、」 「おい、黙ってても分からんよ」 俯いてこちらを見ない芽依の太ももに蹴りを入れると、彼はビクッと驚いてからおずおずと鷹夜の方を向いた。 「、、ごめん」 「あ?」 「ごめんなさい」 「まあ、とりあえずすぐ謝れたから成長だな」 はあ、とため息をついた鷹夜は一旦リビングに戻ろうと提案した。 風呂場の中はもくもくと湯気が立っていて暑いのだ。 開け放たれたままのドアを2つ超えてリビングに入る。手前のドアの格子にはめこまれたガラスが湯気と温度差で曇り、汗をかいている。 「気分悪い」 「、、ごめん」 ベッドに座った鷹夜を見下ろし、全てのドアを閉めて部屋の入り口に佇む芽依は苦しげに声を漏らした。 「鷹夜くん、何でそんな冷静なの」 「言ったことあるっしょ。慣れてるっちゃ慣れてるんでね、男同士のこーゆーの」 「、、そっか」 「そこ。床座れ」 言われるがままに鷹夜の足下に座る。 正座をして拳を膝の上に置き、また俯いて鷹夜を見ない。 長い前髪が目元を隠してしまって、芽依の表情は鷹夜からもよく見えなかった。 「さて。芽依くん」 「、、、」 「慣れてるとは言え何してくれんの。俺と芽依くんて友達だよな?俺はキスする友達はいらねえぞ」 「、、はい」 芽依の頭の中はぐるぐるとうるさくて、鷹夜に詰め寄られると余計に訳が分からなくなるばかりだった。 一方で鷹夜は冷静だ。 何故こんな面倒な事になったのかを探る為に目の前の芽依を見つめて解決への糸口を見つけようとしている。 ここで言う解決とは、ややこしくなった関係を「普通の友達」に戻す作業だった。 (鷹夜くんに、何してんだよ俺) 芽依は鷹夜に喉を潰された瞬間には我に返っていて、してしまった事に対して自分を責めている。 けれど抑える事などできなかったのだ。 カッとなって、気がついたときには風呂場で鷹夜に詰め寄っていた。 「、、鷹夜くんと女が仲良くなるの、耐えられなくて」 「え、何それ」 鷹夜は驚いて口をあんぐりと開ける。 「た、鷹夜くんに優しくしてもらえる時間が減るのとか、鷹夜くんが他の人を見るのとか、それに、鷹夜くんが誰かと仲良くなってるの教えてもらえないのも、全部耐えられなくてッ」 泣いているのだろうけれど、鷹夜からはその表情すら見えない。 ぽたぽたと芽依の膝に水滴が落ちて行くのだけが見える。 震える肩にいつもなら手を置いてトン、トン、と叩くのが鷹夜の良くやる癖だったが、今はそれをするような状況ではなかった。 「ダメだ、ごめん気持ち悪くて、迷惑ばっかりかけて、、俺、遥香ちゃんに言われたんだ、鷹夜くんで寂しさ埋めてるだけだって、馬鹿みたいに会いたい会いたい言うのも、ジェンのッ、代わりに、鷹夜くんを、したくてッ」 芽依は糸が切れたようにバタバタと喋り出し、繋がっているようで繋がっていない言葉を羅列させて行く。 鷹夜は慌てて手を出し彼を落ち着かせようとしたが、ここで優しくしては何かが後々狂って行くような気がして、差し出そうとした手を止めた。 「ま、待て、待て待て待て。何言ってるのか分からねーよ」 「冴のことだって、ジェンの代わりかもしれなくてッ、鷹夜くんの代わりかもしれなくてッ、鷹夜くんもそうでっ、俺はジェンがいなくなってからポカって何かが空いてて、その穴埋めたくて、鷹夜くんがちょうど良かったからって散々利用しただけで、サエのことも、鷹夜くんがヤキモチ妬くんじゃないかとか期待してたし、でも、それじゃあ2人のことどっちも都合良く使ってるだけだし、こんなッ、こんなこと、」 「おい、おーい、芽依くん。ちゃんと話せよ。聞こえないし分からんないって」 「だからあッ、俺は最低な人間だってこと、!!」 「うんまあ今のままならそうだよね」 呆れたように彼を見下ろし、鷹夜は後ろでにベッドに手をついてふんぞり返る。 泣き出した芽依からはズッズッと鼻をすする音がしていた。 「もう訳分かんねえ、、」 「うん、それ俺のセリフ」 芽依は自分が鷹夜をジェンの代わりにしようとしていた事が分かってショックを受けていた。 本当に寂しくて、寂しさを埋めたくて鷹夜と言う人間に関わっていたのだと自覚したのだ。 自覚した瞬間に届いたあのメッセージを見て、落ち着く前に訳の分からない嫉妬に駆られ、結果、暴れて鷹夜を傷付けてしまった。 鷹夜を傷付けたくないくせに、迷惑をかけたくないのに、それを止める事が今回もできなかった。 アプリの一件から、彼はまったく成長していない。 「でもさ、うーん。お互いの為に、ちょい距離置こうか」 「え、」 鷹夜は怒るべきなのか恐れるべきなのかが分からない。 しでかした本人である芽依は勝手に反省して自分を責め続けており、怒るにも怒れない。 また襲われるとか言う怖さがあるかと言うと、俳優だからと言って次来たらぶん殴って泣かせると言う気力が湧いてしまっていてビクビクする事もできない。 本当によく分からない状況になっていた。 だからと言う訳ではないが、鷹夜の中でも何だか面倒でよく分からない形になって来たこの関係を軌道修正する意味も含め、距離を置く事を提案した。 「サエさん?て言う大事な子ができる訳だしさ。ジェンくんの代わりがどうのとか言うけど正直よく分からん、でも、サエさんと付き合うなら俺とこんなことしちゃダメだろ。相手が男だろうが女だろうがさ」 自分は日和と付き合っていたときから周りの同性の社員と酔った勢いでキスしていたくせに、鷹夜はまともな事を言い出した。 「、、、」 「正直、芽依くんたまに不安定だし心配なところがある。でもそれを支えるのは俺じゃなくて冴さんなんじゃない?俺は君の友達でしかないよ」 「それは、そう、だけど、、」 「芽依くん。俺のことで不安定になって取り乱してる場合?」 「っ、」 芽依がグッと下唇を噛んだ。 「サエさんことを考えて生きなきゃいけないんじゃないの」 鷹夜の言葉は相変わらず芽依の心に突き刺さる。 「俺は俺。君は君。違うんだよ」 座ったまま、膝に肘をついて頬杖にする。 鷹夜はやっとこちらを見上げた芽依にニコリと笑い掛けた。 「芽依くん。愛するって言うのは、大切にするってことだよ。ヤキモチ妬いて〜とか考えんな。そこは恋愛にしろ友情にしろ一緒だからな。妬かせないのが基本。安心させるんだよ」 「え、、」 「嫉妬されないと愛されてるって感じられないなら下らねーから恋愛とかもうやめろ」 それが厳しい大人からの意見なのだと分かって、本当にもう会えなくなるような気がして、芽依は必死に彼の目を見つめる。 (一緒にいたいだけなのに) けれどそれを何より難しい事にしてしまったのは自分だった。 シンプルな事の筈なのに、芽依自身がややこしくこんがらがった状態に現状を追い込んでいるのだ。 「芽依くん考えまくって不安になり過ぎて俺によく分からないことしたんだよ。言ったっしょ、芽依くん疲れてんだって。悩んで休めって。あれもこれも欲しい!って追い求め過ぎだよ。やっと人間不信が治って来たんだからゆっくりいかないと」 そろそろ0時になる。 「一気に人と関わり過ぎてバグってるだけだよ、きっと。だから俺とは距離置こう。俺も彼女作るの頑張るから応援してよ。嫉妬してないで」 「、、頑張る」 「ん。サエさんに集中して、ちゃんと付き合って大事にしろよ。俺は俺でやるから」 悲しいくらいの正論に芽依は頷くしかできなかった。

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