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【第2部 ローブと剣】第4話

「で、どう思う?」  書状の束をまるめながら、第一王子のアルティンが訊ねる。 「私は近衛隊の配備に問題があるとは思いません。脅しをかけたいのならともかく、相手は婚姻で友好を強化しようとしているのです。下手に見える人員を増強して無用な威圧を与える必要はないでしょう」  本来これは自分の上官に諮問することではないのだろうか、と内心思いつつクレーレは答えた。  そもそも自分はアルティンを警護する係でもないのに、なぜここで王子と警備計画についての会話を交わすことになっているのか。  第一王子のアルティンは近く隣国の王女と正式に婚約式を行うことになっている。それにともない婚約式だけでなく、歓迎式典や夜会などの社交行事があいついで計画されていた。自分の結婚にも内政にも関わることなのだから、アルティンがすべてを仔細に検討するのは当然だ。とはいえ、なにかというと宮廷にいるクレーレをつかまえては、ついでのような顔をして、一介の近衛騎士に投げるにしては重要すぎる問いをかけてくるのには辟易していた。  現王の後継者であるアルティンは、切れ者だが外部へのあたりは柔らかく、宮廷でも庶民のあいだでも申し分ない評判の王子だ。アルティンじきじきにたずねるのなら、警備体制についてクレーレが多少個人的な意見を吐いても上官は黙認するだろう。とはいえ近衛隊内部でも意見の相違がまったくないわけではない。 「だが、昨年は王城の警備を強化しろと魔術師たちが騒いでいただろう」 「その件については回路魔術師団が一連の防御を更新しています」 「回路魔術の防御をそんなに信用していいのか? 私はいまひとつわからないのだが……」 「私は警備隊勤務中に直接関わりましたので信用できると思っています。師団からはレムニスケートにも協力要請がありましたし」 「貴下がそういうなら、そうなんだろうな」  襟の徽章をもてあそびながらアルティンはあっさりうなずいた。  この人はどこまで本気できいているのだろうか、とクレーレは思う。それより彼にうっかりつかまったせいで、またアーベルの休憩時間――アーベルが休憩をとっていればだが――を逃したことが気になる。 「ところで王女が滞在しているあいだ、近衛隊の御前試合もやりたいと思っているんだが」 「え? なんですって?」 「御前試合だ。王女だけじゃなくほかの連中も喜ぶだろう」 「……はあ」  クレーレは気のない返事をもらし、しまったと思ったが遅かった。アルティンの眉が鋭くあがり「試合は嫌か?」という。 「近衛隊では貴下は負けなしだと聞いているが」 「嫌ということはありません」 「なにが問題だ?」 「いえ、特に問題など」 「正直にいえ。正直に、だ」  クレーレはアルティンの眸をためつすがめつして、腹をきめた。 「無駄な儀礼が多すぎます。御前試合など虚飾の儀礼にすぎません」 「近衛隊を見世物扱いするつもりでいってるわけじゃないんだ。それこそ下手に人員を増強するより威圧になるだろう」 「御前試合というのは結局のところ作法を競っているにすぎません。純粋な武術の実力は平均して、近衛隊より王城警備隊の方が上です。ただ警備隊の実力者の多くは、御前試合用の作法を身につけていないというだけです」  本来王族に面と向かっていう事ではなかった。だがこれでアルティンが自分に愛想をつかしてくれるなら、むしろそれでいいとすらクレーレは思った。  近衛隊に所属する騎士は、王城警備隊の騎士たちとは似て非なるものだ。  主要な理由は、近衛隊へ推挙されるのは貴族出身か、有力な商家やギルドの推薦がある者に限られているからだろう。王立騎士団に入団するだけなら城下の庶民や領地の農民出身の若者でも可能だ。実地試験や面接といったふるいおとしがあるが、だからこそ見込みある若者が入団資格を得る。しかし近衛隊への配属は、騎士団での経験や実績ではなく出自だけが左右する。そして近衛隊にいたことは騎士団を退任した後にこそもっと大きな意味をもってくる。つまり人脈づくりの場所なのだ。  近衛隊の騎士は平均的にはけっして無能ではないが、王城の外堀を埋める警備兵とくらべると実力にむらがありすぎた。しかもその実力と、近衛隊内部の序列がつりあわない場合もある。  そのせいか近衛隊は警備隊とちがって無駄に表面的な儀礼が多い、とクレーレは感じていた。近衛隊は宮廷に侍るため、騎士服の襟章から敬礼まで警備隊より作法が厳しいのは理解できるが、他者への礼をあらわすというより各々の立場を確認しあうものであるのが、妙に鼻につく。  もちろんレムニスケートの一員として儀礼は手慣れたものだから、クレーレが困ることは何もなかった。必要なことは少年時代に生家で叩き込まれている。しかし宮廷がこれまでよりも不要な飾りの多い場所に見えるのはたしかだった。なにかというと「無駄に」とつけるのはアーベルの口癖なのだが、いつのまにかその癖の出所であるアーベルの視点まで、自分に感染しているのかもしれない。  それにしても、それこそなにかにつけてアーベルのことを思い出すのは、近衛隊に配属されてからまともに彼と逢えていないからだ。王族や宮廷での警護が主要な任務である以上仕方ないが、勤務時間が不規則で、休日も一定しないのだ。  警護は王族個人の外出、宮廷内の夜会や茶会にもつかなければならず、ことに夜会は真夜中までのびることもある。そのため近衛宿舎は王宮の一角にある。呼ばれればすぐに宮廷へ参上できるが、城壁近くにある回路魔術師の塔に呼ばれてもいないのに馳せ参じるのは難しい。たとえどれだけそれを願っていても。  さらにクレーレはひさしぶりに近衛騎士として宮廷に配属された「レムニスケート」だというので王家の注目をあびていた。たしかに当代のレムニスケートはあまり宮廷に出入りしていない。現当主である父は現王の顧問の地位にあり、定期的に所領と王都の屋敷を往復しているが、長兄は審判部の塔にいて宮廷にはあまり顔を出さない。末の弟や従兄弟たちも王城内や騎士団で何らかの職を得ていたが、宮廷内部にはいなかった。  もともとレムニスケートは宮廷内部で四六時中ご機嫌伺いをしているような一族ではないのだ。そのせいか正式な警護騎士でもないのに、なにかというと向こうから呼びつける王族が何人かいて、アーベルに逢う時間をさらにクレーレから奪っている。この第一王子のように。  アルティンは黙りこみ、クレーレはさすがに彼の機嫌を損ねたかと思った。正直にいえと迫ったのはあちらなのだし、いまさら言葉はもどせない。 「…さすが〈「防備〉のレムニスケートだな。直接要点をついてくる。おもしろい」  しかし予想に反して、アルティンの声は快活な笑いまじりだった。それどころか楽しそうにあとに続いた王子の発言に、クレーレはもっと深い墓穴を自分で掘ったのだと知った。 「貴下がそこまでいうのなら、いっそ王城の警備隊もまじえた試合をするのはどうだろうか? それこそみな喜ぶ。平民出の騎士にとっては名誉なことだろう? 城下民も観戦できるようにするんだ。警備隊に信頼の厚い貴下なら選抜の手配もたやすいだろう」  王子は鈴を鳴らして侍従を呼ぶ。 「近衛隊長はいるか? レムニスケートがいい考えを持ってる。御前試合についてだ」  全力で城壁を上がり、迷路状の通路を走る。鎧戸に囲まれた白い箱の台座がみえたが、あたりに人影はない。  急に足の力が抜けたのは全速力で走ったせいだけでもないだろう。クレーレは壁に手をつき、息をととのえる。アルティンと近衛隊長の打ち合わせ――延々と時間がかかった――のおかげでとうにアーベルがここにいるはずの時刻はすぎている。ついさっきまで彼がここに、この壁にもたれていたのではないかと何のなぐさめにもならないことを思う。上着を脱ぐ間も惜しんで走ったので、近衛隊の騎士服についた装飾がわずらわしい。  まったく、逢いたくて頭がおかしくなりそうだ。数すくない休日もアーベルの休みと重なることがない。非番の日に師団の塔へ押しかけて食事をともにしたことはあるが、あそこにはふたりきりになれる場所がない。いつもアーベルとふたりで仕事をしているルベーグに見当違いの嫉妬をおぼえるくらいだ。  城壁の上を通る風の音にまざって軽い足音が聞こえ、かすかな期待に目をこらす。だが現れたのはクレーレがまさにいま見当違いの嫉妬をおぼえていた相手、つまり師団の塔のルベーグだった。 「すまない」  そしてなぜか唐突に謝られる。 「アーベルは手が離せないんだ。さっきまでここにいたんだが」  クレーレはにらみつけるような目つきになっていたのを自覚し、目と目の間を指でこすった。 「いや。……約束していたわけじゃない」  ルベーグは軽くうなずいてクレーレの無作法を流した。ローブの下からなにか細長いものを取り出す。 「あなたがいたらこれを渡してくれと頼まれた」  差し出されたのは二の腕の長さほどの革ベルトだった。幅広の表に銀で模様が象嵌されている。裏側は薄く伸ばした金属片で覆われている。 「まだ試作品だが、使い方はこうだ。左の手首に巻く」  ルベーグがローブの袖をまくる。彼の手首にもそっくりのベルトが巻かれていた。 「残念ながらあなたの魔力は弱いので受信しかできないが。こっちで――」 と自分の手首をさす。 「魔力を送ると、そちらに遠隔で振動がいく。感じたら耳に当ててくれ。波長がうまくあえば声として聞こえるはずだ。魔力に依存するから距離は関係ない」  回路魔術の装置だろう。こんなに小さなものをみたのは初めてだった。 「これでアーベルと話ができるのか?」  たずねるとルベーグは一瞬、なぜそんな面倒な説明をといいたげな表情をしたものの、思い直したように淡々と答えた。 「条件によるから保証はできないらしいが、そのために作っている道具だ。それから、貴重な試作品なので、大事にしてほしいとの伝言がある」 「もちろん」  内心小躍りしながら袖をまくり、ベルトを巻いて留め具を締める。そんなクレーレを冷静に眺めつつ、ルベーグがさらに淡々と言葉をつなぐ。 「もうひとつ伝言がある。今夜これを実験したいから、可能なら真夜中、静かな所へいてくれ、と」  クレーレは即答した。 「だったら塔へ行く」 「塔へ来る必要はない、距離は関係ないから無理しなくていい、という伝言もあるんだが……」  ルベーグはそう続けたが、クレーレは重ねて強い口調で言い切った。 「無理ではない、と伝言してくれ。万難を排して行く」 「他の回路が塔で動いている間は実験ができない。それで真夜中になってしまう。大丈夫なのか」  ルベーグは眉をあげて疑念を示したが、クレーレは頑固にくりかえした。 「万難を排するといっただろう」 「……わかった。伝えておく」  無表情な声でこたえて、あっさりルベーグはきびすを返した。通路を軽い足音が行き、すぐに見えなくなった。  クレーレは手首をそっとさする。革はしなやかに腕に沿うが、内側にひやりとした金属の感触があたる。表面に一瞬唇をつけてから、まくっていた袖を戻した。通路をくだり、城壁を去った。

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