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第2話

◆ 蘇芳との友人関係は思ったよりも円滑だった。 思ったよりも蘇芳は話しやすかったし、そもそも周りからの冷たい視線を蘇芳は全く意に介していない風に見えた。 俺は、持ち前の村人A属性で、モブとしてひっそりと学園生活を過ごしていた。 蘇芳は過度の接触を好まなかったし、休み時間に少し話をして、昼飯を一緒に食べて、たまに夕食を共にする。その程度の関係だ。 向かい合って食事をして、蘇芳が顔を上げた時にさらりと流れる黒髪を眺められればそれで充分だった。 俺は自分の恋心を成就させるつもりもなかったし、蘇芳も応えるつもりは最初からないだろう。 一人で本を読んだりゲームをしたりする時間は死守したかったし、まあ丁度いい距離感だったと思う。 大して会話が無くともお互いあまり気にならなかったし、蘇芳のする話はいつも興味深かった。 生徒会の仕事が無くなって、俺にとって時間は穏やかに過ぎていく。 生徒会から外された蘇芳本人の葛藤や家族のことはあえて触れなかった。 本人もきっと聞かれても困るだろう。そこまで踏み込んで仲の良い友人になれているとはとても思えない。 蘇芳のことは蘇芳が折り合いをつけていくことなのであまり気にはしていなかった。 ただ、蘇芳にとっての時間も穏やかに過ぎていっていればいい。 ◆ いよいよ卒業という時期になった。 当たり前だが、俺と蘇芳は別々の大学に進学予定だった。 「一緒に受験しますか?」 等と軽く聞かれたが、そもそも偏差値が違うだろうとスルーした。 お互いに都内の大学だが、どこに住むとかそういう話はしていない。 この時期、蘇芳は後輩たちから告白されまくっていて忙しそうだったし、スマホがあればいつでも連絡はできる。 実際会うかと聞かれれば、まあ、無いだろうなというのが正直な感想だが、お互いにそれは口には出していなかった。 卒業といっても特別な感慨は無かった。 泣くこともなかったし、誰かと大騒ぎするような事もなかった。 ただ、卒業証書を貰って、蘇芳に「卒業おめでとう。」と伝えただけだった。 荷物を全て引き払って空っぽになった寮の部屋をみて、漠然とああ終わったんだと気が付いた。 ◆ 大学生活は、順調だった。 相変わらず大して仲の良い友人は居ないが、親の用意してくれたマンションと大学との往復とそこに本屋が加わる程度だったが、気楽に楽しんではいた。 蘇芳とは連絡は取っていない。 向こうからも特になんの連絡もなかった。 きっと、蘇芳はとても忙しい日々を送っているのだろうと思う。 親の仕事を手伝っているし、学園時代の様に悪評に惑わされる人間はもういないだろう。 ただ、時々無性にあの黒髪をもう一度見てみたいなと思う。 あまりにもそんなことを考えすぎてしまったのかもしれない。 大学から帰ってマンションのエントランスを通り抜けようとすると、蘇芳が見えた。 人違いだと思った。 会いたいという勝手な思いが他人を蘇芳に見間違えさせたのだと思った。 「無視するなんてひどいですね。」 蘇芳に話しかけられてようやく彼が本物なのだと気が付く。 「何で突然こんなところにいるんだよ。」 驚きの感情は勿論あったし、嬉しい気持ちもあった。 けれども、口から出てきた言葉は訝し気で、心の中で自分を馬鹿にした。 嬉しいという気持ち一つ表に出せないなんて、コミュ障もいいとこだ。 「貴方に会いに来たんですが?」 ご迷惑でしたか? まるで、長年の友人に聞くみたいに言われて、上手く言葉を紡げない。 まともに話すようになって1年と少し、卒業してからは連絡すら無かったのだ。 「……良かったら、うち上がるか?」 何とかそれだけ伝えると、蘇芳は満足げに目を細めた。 ◆ マンションといってもごくごく普通のワンルームだ。 その上、ラノベと漫画がひたすら本棚に押し込められていて、その上入らなかった本が積んである。 正直友人を招ける様な環境では無かった。 まあ、逆に好きな人と同じ部屋でドキドキみたいなことにも絶対にならない部屋で、気持ち的には少しはマシなのかもしれない。 高校の時はお互いの部屋に行き来をすることは、まず無かった。 手料理を振舞えるほど仲もよくなかったし、お互いのテリトリーに人を入れることに嫌悪感があった。 蘇芳に聞いたことは無いが、十中八九間違いなく蘇芳も自分のテリトリーに人を入れることが好きではないだろう。 その男が、何故こうやって、自分の部屋で自分の目の前にいるのか、訳が分からなかった。 「で、用事があったんだろう?」 食事用に置いてあったローテーブルに向かいあって座る。 切出して、さっさと終わりにしたかった。 「茨木から、連絡なかったからどうしているかと思いまして。 それと、確認をしようと思ったんですよ。」 「確認?」 どうしているなんて、普通にメッセージでもよこせば済むことだろう。 意図が全くわからなかった。 「俺がいなくても、茨木が生きていけるかの。」 目の前が真っ暗になった気がした。 この男は何を言っているんだ。 それを知って何になる。 「ふざけるなよ。」 出てきた声は、自分で自分が嫌になる位無様に震えていた。 蘇芳はそれでも馬鹿にした表情でも無かったし、何も言わずこちらを見ていた。 ただ、その瞳だけは初めてまともに蘇芳を認識した瞬間のあのガラス玉の様だ。 「俺は、お前に何か求めたことは無い筈だ。 そもそも、蘇芳と付き合いたいとかって、俺自身が思ったことねーよ。」 付き合いたいと思ったことは無い。 恋人になった自分と蘇芳を想像しようとしたことがあるが上手くいかなかった。 別に男の体を見てもドキドキすることは無いし、自分の尻をいじりたいという欲求もない。 だから、という訳でもないが付き合いたい願う気持ちは無いのだ。 「それが気にくわない。」 いつもの優しげでない声色が蘇芳のから聞こえて彼の顔をしっかり見るが、相変わらず優し気な表情を浮かべていて意味が分からない。 そのまま、立ち上がる蘇芳を意味も分からず、ぼーっと眺めていると俺の眼の前まで来てそれからしゃがみ込んだ。 いや、正確にはその後、俺の肩を押して、押し倒したのだ。 「あんた、何して……。」 のしかかってきた蘇芳を見上げる。 その目は相変わらずガラス玉の様で何を考えているのかまるで分からない。 「好きです。」 言われて、思わず目を見開いた。 蘇芳は冗談を言う様なタイプでは無いし、そもそも嘘をつくメリットが思い浮かばない。 でも、俺は好かれる要素なんて何もない。 皮肉屋の単なる普通の男だ。 「お前も、俺がいないと生きていけなくなればいい。」 「それじゃあ、まるで……。」 まるで、俺がいなければ生きていけないと言われている様だった。 だって、そんなことありえない。 「お前は、自分勝手だ。」 責任を取れ。と言ってそのまま首筋に噛みつかれる。 ピリリとした痛みに眉を顰めると、顔を離した蘇芳と目が合う。 やめて欲しい。 そんな顔をするのはやめて欲しかった。 本当にお前がいないと生きていけなくなったらどうしてくれるんだ。 「顔真っ赤ですね。」 「一々実況するな。」 「じゃあ、抱いてもいいですか?」 「はぁっ!?」 何を突然言っているんだ。 「俺はお前のことが好きだし、お前も俺のことが好きで抱かれたいと思ってるんだから問題ないでしょう?」 「いつ、俺がお前のことを好きだと言った。」 一年前確かに似たような事は言った。 けれどあれはお互いに無かったことになっていた筈だしそれ以降そんなことを言った覚えはない。 「じゃあ、今言え。」 俺を見下ろして真剣な表情で蘇芳が言う。 「俺のことが好きだから抱いてくださいって言え。」 命令口調なのに懇願しているみたいに聞こえる。 あーあ、と思った。 きちんと認めないといけないのかとも思った。 けれどこの目の前の男の為ならば、仕方がないかとも直ぐに思えた。 「好きだよ。 蘇芳あんたが好きだ。」 さすがに抱いて欲しいとは口が割けても言えなかった。

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