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第5話
バイト先に来月で辞めることを告げ、その日は遅くまで掃除をしていた。
「お前結婚でもするのか。」
何故そう思ったのか定かではないが、掃除をするセスを見ながらワインを飲んだ。
「違いますよ。親が病気をしたので看病しに。」
自分でも不思議なくらいすらすらと嘘が付けた。店長はグラスをもう一つ出すと真っ赤なワインを注いだ。洗い物が増えた。
「その若さで孝行息子だな。俺なんか昔に家を出てから戻らなかった。」
どこか淋しそうに言いながら、進めるようにずっと出した。
「飲め。安いもんだがまぁまぁの味だ。」
ここで働いて初めて店長から賃金以外の何かをもらった。
「いただきます。」
断るわけにもいかずに口に含んだ瞬間、吐き出した。
痛い。熱湯でも口に入れられたように痛み、喉を抑えた。
「最近の吸血鬼ってのは人間のふりがうまいな。」
店長は残ったワインをぐいっと飲み干した。
何が起きたか分からなかったが、嫌な予感がした。ここから逃げたい。どこでもいい。ニコラスのそばにでも行かないと、殺される。
店長はセスの動きを見て何かを察したのか、素早く動いた、セスが踏み出す前に銃声がし、散弾が床にめり込んだ。
「おい、俺の店を壊す気か? 」
撃ったのは店長だという正論も通じないだろう。店長は電話をした。
「吸血鬼を一匹捕まえた。」
ワインの瓶を持って店長が近づいてくる。喋ろうにも口の中が痛くて舌が動かない。
「セス、あんまり痛めつけるのも面倒なんで大人しくしろよ。」
店長の手が伸びたが、突然倒れた。後ろから殴られて倒れた店長にまたがり、手首をひねりあげる。
ロルフが店長の手を掴むと、オーブンの取っ手につないだ。
店長が何か言うがロルフはセスに駆け寄った。セスはそれだけでほっとした。
「セスさん……っくそ、てめぇどういうつもりだ。」
店長に食って掛かろうとするロルフの袖を掴んで首を横に振る。ロルフはセスを抱えて、店から出るときに最後にもう一度店長を強めに蹴った。
抱えられて運ばれたのはどこかのモーテルだった。
痛みで朦朧として、上手く歩けなかった。
「セスさん、飲んでくれ。」
ロルフが手首を出す。
「痛むだろ。飲めば治る。」
張りのある皮膚の下にある血管が脈打っているのが分かる。見ているだけで涎がでるけれど、首を横に振った。
しびれを切らしたように、ロルフがナイフで皮膚を斬りつける。無理やり口に押し付けられた瞬間、かじりついた。
口の中一杯に、血が溢れた。口を離せないほど美味しい。極限まで喉が渇いたときに味わう水のように、すすり切るまで口を離せない。生きた血が喉を通って身体に染み渡る。
手のひらに焼け付く痛みを感じて、離した。
ロルフの袖に付いた銀の装飾に触れていた。
偶然か無意識か、とにかくよかった。我に返らなければロルフが死んでも離さなかった。
「ごめん、大丈夫か? 」
セスは下がって背中を壁に付けた。
「大丈夫だよ。」
「俺に近づいちゃだめだ。ありがとう。治った。」
ロルフは傷口を止血した。
自分で傷付けて手当てすることもできない。情けない。
「セスさん。口の中見せて。」
ロルフが手を差し伸べる。
そろっと近づいて、セスは口の中を見せた。ほっとロルフの顔が安心した。
「聖水飲まされたら、マジで命とりだ。治って良かった。」
セスはロルフの腕の傷を見た。残った血の匂いで涎がこみ上げる。
「どうして、俺を助けるんだ……。」
もう、いつ彼を襲ってしまうか分からない。
「あんただって、俺を助けてくれた。」
伏せた頭をロルフが掴んだ。
「俺は、あんたがこんなになってまで助けてくれた子供の一人だ。」
金色の髪に琥珀色の目、明るく笑う顔。
思い出した。
キャンプに来ていた元気な少年。コミックヒーローのシャツを着ていて、一番明るく笑っていた。
「あんたを忘れた日なんてなかった。」
ロルフの言葉が銃声で掻き消された。
「さっきのおっさんの仲間だ。やっぱ尾行けられてたかよ。」
一斉に弾丸が扉から打ち込まれる。
セスはロルフを床に倒した。
守る。今度も守る。自分が蜂の巣になっても必ず。
神経が研ぎ澄まされて、周りの音が静まり返る。
セスは起き上がって飛び出した。弾が撃ち込まれるのがゆっくりに見えた。扉を蹴破り、銃を構えていたハンターの腕を掴んで、ちぎらない程度に加減して腕を折る。
相手の動きがゆっくりで、セスに追いつけない。
一人の腕を折り、もう一人の足を折って銃を奪う。銃口を捻じ曲げて、構えているハンターを見つけては動けない様にし、銃を壊す。
一瞬でも気を抜くとこの速度を維持できない。
こんなこと今までなかった。生き血のおかげだろう。頭が冴えて、感覚が鋭敏になる。静なのに、必要な情報だけ聞き逃さないように、研ぎ澄まされている。
廊下にいた四人を倒し、玄関にいた男を屋根まで放り投げて、驚いた顔の店長から銃を奪い顎を殴った瞬間に大きな音が耳の中でした。
体中が軋んで、悲鳴を上げるように痛みが駆け巡る。
膝をついて倒れ込んだ。
今までやったことのないことを、無理やり実行したのだ。過負荷が追い付いて倒れ込んだ。それでも店長の首を掴んだ手を離さない。
「なんで、俺が吸血鬼だって……。」
問い詰めたいが舌が回らない。
ガチャッと音がして、頭に銃口が突き付けられた。
まだ仲間がいた。
ゴーグルをつけた男が銃を向けている。白髪交じりの髭をしているが、腕はセスの何倍も太い。
「殺せ、こいつは吸血鬼だ。」
店長が叫んだ。
今ここで自分が殺されれば、ニコラスが反撃に出ざるを得ない。ロルフも無事では済まない。
男は何かを確認するように視線をやり、銃口をセスからずらした。
「ミスター、顔色が悪い。立てるか? 」
セスに手を差し出した。
「え……? 」
セスの手は店長の首を掴んでいた。
「殺す気がないなら、手を離してくれ。その男はこっちで拘束する。」
別の男が、店長の腕を掴んで手錠をはめた。店長がわめいているが、殴って黙らせた。
吸血鬼ではない。
「ロルフ、銃を降ろせ。」
いつのまにかロルフが外に出ていて、こちらに銃口を向けている。銃口の先はセスではなく男に向けられていた。ロルフは銃を降ろした。
「ミスター、大丈夫か? 」
男に聞かれて、セスはまだ立てない。
「すみません、ちょっと、足が震えて。」
急に体が持ち上がる。ロルフがセスの肩をもった。
「いきなり消えるからびびった。」
「……ごめん。」
モーテルから次々に運び出される人は、皆呻いているが生きている。ほっとした。
「あの、貴方達は? 」
「この街を担当しているハンターだ。初めまして。ミスター・セス。」
ゴーグルを外した男の眼はロルフと同じ目をしていた。
「は、初めまして。」
「息子を助けてくれた恩人に銃を向けて悪かった。」
情けない格好だが握手をした。
「息子? 」
セスは男とロルフを見比べる。
「お父さん? 」
「親父。」
「お父さんっ。」
セスは慌ててロルフから降りて、震える足で立とうとして、結局ロルフの腕にしがみつく。
「すみません……息子さんを危険な目に遭わせて……。」
「いやいや、もうこいつは独り立ちさせてるから。へましたら遠慮なく殺して結構ですから。」
朗らかに言った。
「こいつらの仲間は抑えてるんで。」
「あ、ありがとうござ……って、仲間じゃないんですか? 」
「あいつらは金で吸血鬼を売るやつらです。迷惑なのでこの後引き渡します。」
情報量が多すぎてすぐに理解できなかった。どこに引き渡すのか、気になるが忙しそうなので聞かないでおいた。
ロルフに送られ、なんとか家に帰ることができた。
「セスさん。大丈夫か? 」
なんとか立てることを確認する。心配した顔のロルフと目が合う。
「大丈夫だよ。初めてあんなことしたから、身体が驚いたんだろうな。」
照れ笑いすると、セスが手を取った。
心配そうに手を掴む。
「……セスさん、これ。」
「ベッドだよ。今日届いたからまだ開けてないんだ。」
セスはしみじみ言った。
「とりあえず200kgまでは大丈夫なの買ったけど、マットレスはまだ。」
「セスさん、変なところで行動力あるな。」
ロルフが箱に貼られた説明書を見た。
「……ロルフ、俺のことが怖くないか? 」
セスが尋ねると、ロルフが無言で見つめ返した。
「……俺は怖い。もう人間じゃないし、いつか誰かを襲って本能で誰かを殺してしまう日が来るのが怖い。今もそうならない自信がないんだ。ロルフを、傷つけない自信がない。」
ロルフが近づき、ぎゅっとセスの手を掴んだ。
「その時は、俺と一緒にデートしよう。」
ロルフがセスの手にしがみつく。
「昼間。めちゃくちゃ天気のいい日に。」
セスも手をつなぎ返した。
「うん。デートしよう。」
顔を近づけてキスをした。
いつまで一緒にいられるか分からない。それでも、この一瞬を愛しく思う。
セスは、自分を生かしてくれた主人の気持ちが、少しだけ分かった様な気がした。
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