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薫と隼人の場合 2

薫が隼人に抱いている感情を、いつの間にか充彦に気づかれていた。充彦にバレた時、薫はきっと怒られると思い、半泣きになっていたが充彦は優しく頭をぽんぽんと叩いた。自分のまわりにもゲイの子はいるし、人を好きになるのに泣く必要なんてない。自分の気持ちは誰にも止められないんだからと言ってくれたのだ。 「この横顔なんて、かっこよすぎない?どんだけ盲目なんだよ」 充彦の言葉に薫がへへへ、と笑う。自分の兄が厳しい性格なだけに、充彦のこの性格に薫は救われている。 「そろそろ出ようかな。もう少ししたらハヤ、帰ってくると思うよ」 テーブルに置いてあったブルーの鮮やかな革の鞄を持って、充彦は出て行った。薫は冷蔵庫からお茶を取り出してゴクゴクと飲む。 古賀家には、父親がいない。充彦と隼人が中学生の時不慮の事故で亡くなり、それ以来母親がこの家の主だ。母親の明子はいわゆるキャリアウーマンで、化粧品の会社で役職についていると聞いている。今日も出勤なのだろう。 しばらくすると、玄関のドアが開く音がしてリビングに隼人が入ってきた。薫がおかえり、と言うと来ていたのかと一言呟いて隼人は冷蔵庫に向かい、茶をコップに注いで美味しそうに飲む。 「これ、貰い物なんだけどたくさんあるからって父さんから」 テーブルの上に置いた林檎を見て隼人が早速、手で拭いて林檎をかじった。 「うまいなあ。こんだけあったら母さん、アップルパイ作ってくれるかも。出来たら教えてやるよ」 「やった!明子さんのアップルパイ、めっちゃ美味いから大好き」 ニコニコしながら薫はふと、林檎を置いた側に、財布があることに気づいた。ブルーの少し年季の入った長財布。見覚えがないのできっと、隼人のではない。 「ハヤ、そこにある財布誰の?」 そう言われて、隼人が財布を見るとあっという顔をした。 「兄貴の財布だ。帰ってきてたの?」 「うん。さっき今から撮影だって言って出て行ったけど」 「何やってんだよ、もー」 隼人は自分のスマホを取り出して、充彦に電話をかけた。充彦はたまにやらかすことがあるので、隼人の方がよほどしっかりしている。充彦は弟に頭が上がらないのだ。ぶつぶつ文句を言いながら話をしている隼人を見ているうちに、薫はうちとは正反対だな、と笑う。薫の兄、智明は充彦と正反対で、真面目で頑固だ。公務員で、いつも髪をオールバックにしてスーツで出勤している。何かと小言が多い智明に薫はウンザリしながらも嫌ってはいない。いざという時に助けてくれるのはやはり兄だ。 「ああ、分かった。南町のスタジオだな。じゃあまた後で」 隼人が電話を切り、財布を手に持った。 「どうするの?」 「スタジオまで持ってきてほしいってさ。用事もないし、行ってくるわ」 「じゃあ、僕も行く。どうせ暇だし」 充彦がいる南町のスタジオまでは電車で三駅。財布を忘れてもスマホで電車に乗れてしまう。現場についても財布がないことに気づかないなんて充彦らしい。そんなことを思いながら駅から歩いて数分もすると目的地に到着した。たくさんのスタッフの間をくぐり抜けながら、充彦を探す。スタジオ自体はそんなに広くないのだが、出入りしているスタッフが思いの外、多くて充彦がなかなか見つからない。 「どこいるんだよあのボケ兄貴」 だんだんと隼人の口が悪くなってきて、薫は笑う。スタジオの中にも数名、モデルと思われる人たちがいて、やっぱりスタイルいいなあと見てしまう。だが横にいる隼人も実は負けていない。スタイルがいいので目つきが悪いのを除けばモデルとしてもいけそうなのだ。 (僕が隼人が好きだからとかじゃなくて、普通に見てもスタイルいいんだよなあ。ミツくんと兄弟だもん、そうなるよなあ) 「あっちに行ってみようか」 薫がそう言って二人が振り向くと、声をかけられた。 「ねえ、君」 声をかけてきた男は、薫ではなく隼人に用事があるようだった。何だろう、と薫が隼人の顔を見ると、隼人もまた不思議そうな顔をしている。 「俺ですか」 「そう、君どこかの事務所に所属してる?」 「は?俺は用事があってきただけです」 ラフな格好をしている男は隼人を見ながらふうん、とうなづいている。 「モデルとか興味ないかな?」 (スカウトだ!) 薫はやっぱり自分が思っていた通り、隼人はかっこいいんだとニマニマした。だか隼人はいつものように男を睨みつけるように答える。 「興味ないです。今日は忘れ物を届けにきただけなんで」 行くぞと薫に声をかけて、そのまま男を置き去りにして進む。薫は慌てて、男に一礼すると先に行く隼人に駆け寄った。 「ハヤ、あんなにきっぱり断らなくても。かっこいいんだからハヤもモデルになれるよ」 「興味ないんだって」 足早に歩く隼人。薫は前に充彦の姿を見つけて、手を振った。充彦が気がついて、近くまで駆け寄ってきた。 「ごめんねえ、二人とも」 無言で財布を渡す隼人に、充彦は何かあったの?と薫に聞いてきたが、薫は苦笑いするしかない。 そしてこれがその後、大きな出来事に発展するとは薫も隼人も分からなかった。

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