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渚⑵
事態の全貌を知っても、父親には言わなかった。
自分が重役についた今、当時関わった人間を叔父を含め一人残らず一掃した。
だが、その恨みは晴れない。
叔父が変な細工さえしなければ、自分は真白に出会わずにすんだ。
大好きな真白から、彼以上にいい匂いがしないことに絶望することもなかった。
真白以外、誰も愛せないことを知らなくてよかった。
彼は親の指示で、次の春からの自分と同じ学校へ転入してきた。
いずれ卒業すれば、俺は彼と番わなければいけない。
そう思うと、その後ろめたさから段々と真白の顔が見れなくなった。
『どうして仲良くするの』と尋ねられた時、自身はなんて答えたんだろう。
結婚しなければならないからなど、正直に言うこともできず、『彼の方がいい匂いがするから』など不遜なことを言った気がする。
傷付いた真白の顔を思い出したくなくて、忘れてしまった。
そのうち真白は自分から離れていき、学校にも来なくなった。
卒業式には来ていたようだが、姿を見ることはできなかった。
家は知っているし、尋ねることはいつでもできた。でも、できなかった。会えば好きだと告げてしまいそうで、困らせることはわかっていた。
大好きな真白を誰よりも一番にしてあげられないことが辛かった。
「俺と一緒に逃げよう」
そんなセリフ自分には吐けなかった。
***
「ちゃんと言いたかったことは言えましたか?」
真白と話した帰りの車中。いつものように入江が話しかけてくる。
どうせまた聞いていたに違いない。白々しい男だ。
「好きだとは、最後の最後まで言えなかったがな」
好きという言葉は、どうしてか一回も真白、いやキキに伝えることはできなかった。
でも不思議と、言えばよかったという心残りはない。
「ずっと言えないままなのかもしれないな」
臆病な本音も、ありのままをさらけ出すことはできなかった。
「あなたの言いたかったことはそんな言葉じゃないはずですよ」
「どういう意味だ」
「お別れ、ずっと言えないままだったんじゃないですか?」
本家に連れ戻される前日、別れを告げるために真白の家へ行った。
勝手だが、けじめをつけたかった。最後の思い出として、真白の笑顔が見たかった。
しかし、真白の両親は躊躇いがちに言ったのだった。
もう真白は出ていってここにはいないのよ、と。
なんとも間抜けな幕引きだった。
好きと言うこともできず、会うこともできず。
さよならさえ言えなった。
(気持ちに踏ん切りがつかないのも、ずっと探していたのも、そのせいなのか?)
あの時、「好き」という言葉を伝えていればと何度も悔やんだ。
お前だけが好きだと伝えれば、真白は怒りながらも、自分のもとへ帰ってきてくれると思っていた。またあの頃のように笑ってくれると、そう信じていた。
でも、あの時自分が本当に真白に伝えるべきは「さよなら」ではなかったか。
「何故そう思う」
「何年あなたのことを傍で見ていると思うんです」
入江と引き合わされたのも九年前。
「そんなに晴れやかな顔をするあなたを見るのは初めてだ」
そう言われて窓を見ると、自分が笑っていたことに気づく。こんなに穏やかな気持ちは初めてだった。
「真白も、彼も、俺を許してくれるだろうか」
「さあ、でもあなたの気持ちはもう十分に伝わっていたはずですよ」
彼には正直に自分の気持ちを話した。彼はそれでもいいと言ってくれた。
決して佐伯も彼のことが嫌いではなかった。
好きになることが出来ないだけで、情はあった。
子どもには恵まれなかったが、それなり暖かい家庭は築けていたと思うのだ。
彼が亡くなってしまった今も、住んでいた家は手放せずにいる。
売りにも出せず、帰ることもできず、今もひっそりと残してる。
「行き先を変えてくれないか」
「どちらへ」
「自宅に回してくれ」
「……ええもちろん」
久しぶりに、あの家へ帰りたくなった。
きっとあの匂いももうないことはわかっている。けれども、懐かしい匂いに今はただ包まれたかった。
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