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第1話
第一章 恋は空から降ってくる
雨が降っている。
けれども自分は晴れ男なので、いずれ雨も止むだろうと、心の中で確信していた。
そんな能天気なところが、良くも悪くも大森(おおもり)凛奈(りんな)のいいところなのだが、他の人たちは雨が気が気でないようで、軒先から空を見上げていた。
しかし凛奈は、地元商店街を傘をさして歩いていく。
しかも今日は早めに店を閉め、素敵なものを肴にビールを飲む予定なのだ。
だから気分もいい。
よって、ついつい幼い頃に習った歌を、口ずさんでいた。
るるるん、ららららん
るんるん、らんらん
今日は素敵な雨日和。
新しい傘も、飴(雨)玉弾いてよろこんでる
るるるん、ららららん
るんるん、らんらん
さぁ、行こう。長靴鳴らして
魔法の国はもうすぐだ
ビニール傘をさしながら、凛奈は長い睫毛を伏せ、小さな声で歌った。
濡れた縁石の上を楽しそうに歩きながら。
すると、
「はっ?」
突然、目の前に何かが轟音とともに落ちてきて、凛奈は思わず傘とエコバッグを放り出し、自分の身体を守るように抱き締めた。
「な、何? 何が起きたの?」
黒い瞳をぱちくりさせながら、何かが落ちてきたゴミの集積所に、じりっ……と近づいた。
こんな時に限って周囲に人はおらず、確かめるのは凛奈の役目とばかりに、神様が言っているようだった。
落ちてきたのは、身長が二メートルはありそうな大男と、五歳ぐらいのおかっぱ頭の少年だった。
そして、落ちてきた大男は起き上がった途端、ともに落ちてきた腹の上にいる少年に叫んだ。
「――大馬鹿者が! 地球に着地する時『痛くない』と申したのは、どこのどいつだ!? おもいっきり腰を打っただろうが! 打ち首にするぞ!」
「申し訳ございませーん! 『痛くない』と言ったのは、拙僧でござります!」
熊のような大男に、空気が震えるほど大声で怒鳴られて、おかっぱ頭の男の子は、天を仰いで泣き出した。
正義感の強い凛奈はどんな事情があろうと、幼子を怒鳴りつける大人が大嫌いだ。悪だとすら思っている。
「ちょっと! 小さな子を怒鳴りつけるなんて、あなた最低ですね!」
急いで駆け寄り、凛奈は「えーん、えーん」と泣き続ける子どもを抱き締めて、大男を思いっきり睨みつけた。
「五百七十歳だぞ」
大男は、日本ではあまり見ない明るい茶髪をかき上げて、呆れたようなため息をついた。
「は?」
「そいつ。見た目は子どもだが、中身は五百七十を超えた狸じじぃだからな。騙されんな」
「……五百七十歳を超えた、狸おじいさん?」
大男が何を言っているのかわからないまま幼子を見ると、彼はすでにケロッとした顔で凛奈の膝からするりと下りた。
「それではまいりましょうか? アレクシス様」
「そうだな」
「これ、そこの青年」
「は、はい」
白とも青ともつかない、不思議な目と髪の色をした幼子に突然呼ばれて、凛奈は雨が降っているのも忘れてそちらを見た。
「お前の家に案内せい。本日からお前の家を、アストラーダ王国第一王子であらせられる、アレクシス・フォン・アストラディアン様の住まいにする。ありがたく思えよ」
「…………は?」
聞こえたのは確かに日本語なのに、内容がまったく頭に入ってこない。
今、すっごく身勝手なことを言われたような気がするのだが……?
「おい、お前。俺たちの言葉は通じているか?」
癖のある髪から雨の雫を滴らせ、出で立ちも服装も立派な『王子様』が立ち上がった。
「はい、通じます」
「ほぅら! 拙僧めの呪術は完璧……」
と、言いかけたところで、幼子は大男に抱き上げられ、口元を手で塞がれた。
「信じられないだろうが、俺たちは異世界から大事なものを探しにきた。だから住むところも今夜寝る場所もない。大変申し訳ないが、今夜そなたの家に泊めてもらえないだろうか?」
大男の穏やかな声は、するりと凛奈の耳に入ってきた。
頭にも。
心にも。
「……せ、狭いところですがどうぞ……」
絹のような黒髪をずぶ濡れにしながら、凛奈はしっかりと黒目を向け、大男……アレクシスに頷いた。
「ありがとう、感謝するぞ」
美しい榛色の瞳が優しく眇められた。
大男で、大声で怒鳴るような怖い人なのに、なぜ凛奈は、この時素直に首を縦に振ったのかわからない。
しかし彼の榛色の瞳が、空から人が降ってくるという信じられない出来事を信じさせ、彼の人柄さえも真っ直ぐで、少し怖いけれど真摯な人物だと思わせたのだ。
彼は跪くと、凛奈の手を取って優しく甲にキスをした。
こんなことをされたことがない凛奈は驚いたが、アルファやベータ、オメガがいるこの世界では珍しくない。男性が女性にするように口づけたから驚いただけで、地球でも、目上の者が目下の者を労うことはある………ちょっと今のは違うような気もするけれど。
そして傘を拾うと、凛奈は投げ出してしまった夕飯の材料が入ったエコバッグを拾い上げ、腰が痛てぇ……と精悍な顔を歪めて苦笑する彼と、小さな狸おじいさん(?)と一緒に帰宅したのだった。
アレクシスの誠意ある眼差しを信じて。
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