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第2話

 *** 「粗茶ですが……」  ダイニングテーブルに座るアレクシスの前に麦茶を出すと、アレクシスはそれを不思議そうにまじまじと見た。琉球ガラスのコップに注がれた麦茶を。  そんな彼の腰には今、たくさん湿布が貼られている。  念のため近所のかかりつけ医に行ったら、老年の先生に「立派なこすぷれだねぇ」と感心されたが、こんなにも上質な布が使われたコスプレ衣裳など、凛奈は知らない。  そもそも本当のコスプレ衣裳も見たことがないのだが、彼が着ている服は買うとすれば何十万もしそうな代物だった。 「それでは、遠慮なくいただくぞ!」  麦茶を覗いていたアレクシスが、意を決したようにコップに口をつけた。  するとこの香ばしさが美味いと言って、何杯もお代わりをせがんだ。  そうして満足すると、やはり本物の貴族なのか!? と思わせるポーズで、ソファーセットの長椅子に腰を下ろした。  そんな彼の前にお代わりの麦茶と、歌舞伎揚げとすあまもテーブルの上に出してみた。  異世界の人が何を飲んで何を食べるか、凛奈には皆目見当がつかなかったからだ。 「いやぁ。それにしても、この世界の風呂も小さいが気持ちが良かったな」 「はいでございます」  とりあえず築二十年の一軒家に連れて帰り、給湯器の使い方をまったく知らない二人を風呂に入れた。  それから凛奈は、大柄だった父親の甚平をアレクシスに着せ(それでもつんつるてんだが)、従姉妹が昔残していった可愛らしい花柄の甚平をカイルに着せた。  カイルはまるで女の子のように可愛らしい容姿をしているので、花柄の甚平がよく似合う。しかも色はピンクだ。 「寒くないですか? 夏とはいえ雨に打たれたんです。風邪をひいていないといいんだけど……」  床に正座し、おぼんを膝の上に乗せたまま問うと、アレクシスに見つめられた。 「お前の方こそ大丈夫か?」 「えっ?」 「お前も長時間雨に打たれていたんだ。身体は大事ないか?」  アレクシスに心配されるとは思っていなかったので、驚いた凛奈は何度も首を横に振った。 「だ、大丈夫です。お二人をお風呂で温めているうちに、僕も十分温まりましたから」 「そうか。それならよかった……が、バタバタしていて、そなたの名前を聞き忘れていたな」  今更のように思い出し、アレクシスは麦茶をまた飲んだ。 「凛奈です。大森凛奈」 「凛奈か、素敵な名だな。今日は助けてくれてありがとう」 「い、いえ! こちらこそ、名前を褒めてくださりありがとうございます」  真正面から微笑まれ、思わず赤くなる。 「アレクシス様! このような下々の者にお礼など言ってはなりませんぞ!」 「本当にうるさい奴だな、カイルは」  そう言って笑うアレクシスを見つめながらも、凛奈の頬の熱は引かなかった。  そうなのだ。  アレクシスは、見つめられるとドキドキするほどのイケメンなのだ。  彫りの深い顔立ちに、キリリとした太く男らしい眉。はっきりとした二重の目。瞳は綺麗な榛色で、光の当たり方によって色も不思議と違って見える。  鼻筋は整っていて、頬のラインもシャープで、肉感的なその唇は、本当に映画の中から出てきた王子様のようだった。まるでシンデレラの王子様のようだ。  しかも先ほど風呂場で見た彼の身体は、岩のように筋骨隆々で、同性として悔しくなった。あの身体つきはきっと、何事にも優れているアルファの証拠だ。  さっき、アストラーダ王国の第一王子だと言っていたもんな……と凛奈は思い出す。やはり代々国王様になる人はアルファが相応しいのだろう。  ちなみに凛奈は、どんなに頑張っても筋骨隆々になれないオメガだ。  オメガは中性的な美しさを持つ者が多く、身体つきも華奢で、どんなに鍛えても筋骨隆々にはなれない。  この世には、男女を分ける性別以外にもバース性というものがあって、頂点に君臨し、何事にも優れている遺伝子を持つ者をアルファ。平民をベータ。そしてベータの女性同様、男女関係なく出産できる凡人をオメガという。  江戸末期までは酷い人種差別や階級制度があったらしいが、鎖国が解かれるとともにそれもなくなった。  本当にありがたい。  時々、「まぁ、俺アルファだし。なんならオメガのお前と付き合ってもいいぜ」みたいな感じで迫ってくる、時代錯誤な奴もいるけれど、今は発情期を迎えても、よく効く発情期抑制剤を飲んでいればまったく問題はないし、おしゃれなネックガード(首輪)をして楽しんでいるぐらい、オメガは平和だ。  昔のオメガは、アルファを確実に産むことができる体質のせいで、一か所に集められ、時の権力者の子どもを有無も言わせず産まされたらしい。なんと恐ろしい時代だったか。  夕食時になり、たまたま三枚入りで売っていた鮭の西京漬けを焼き、ほうれん草の胡麻和えとなすの味噌炒め、きゅうりの浅漬け。そしてとっておきの牛時雨を出してやる。味噌汁はなめこと豆腐。白米は炊き立てだ。 「こんなものしかありませんが……」  異世界から来たのだから箸が使えないだろうと、フォークとスプーンも出してやる。  すると「こんな粗末な食事を、アレクシス様にお出しするなんてっ!」とカイルはプリプリしていたが、スプーンで味噌汁を飲んだアレクシスは、腹の底からホッとするようなため息をついた。 「これはなんだ? ものすごく美味い。温かくて、塩味もちょうどよく、特にこのきのこが美味いな」 「『なめこの味噌汁』っていうんですよ」 「『なめこの味噌汁』か……」  呟くと俄然食欲が湧いてきたのか、アレクシスはご飯を三杯もお代わりし、おかずもすべて平らげた。とっておきの牛時雨もあっという間に消えた。  文句を言っていたカイルも、お代わりまではいかなかったが、美味そうに全部食べていた。「まぁまぁだな」と言い、頬っぺたにご飯粒をつけながら。  その時だ。  ひゅるるるるるるるるる…………どーーーーーん!! という大きな音が縁側越しに聞こえ、三人は振り返った。  雨はいつの間にか止んでいた。  カエルがケロケロとどこかで鳴き、雨上がりの土の香りがほのかに鼻を突いた。  本日のとっておきの肴が河川敷で上がり始めると、アレクシスもカイルもこの様子に驚いていた。地球では、こんな季節に花火大会をするのか、と。  どうやら二人が住むアストラーダ王国では、花火は冬の風物詩らしい。  しかし、美しい肴には変わりないので、三人で縁側に座り、ビールを飲みながら花火を見た。  カイルはアレクシスの側近中の側近であり、聖職者なので、アルコールは飲めないそうだ。だからカイルにはカルピスを入れてやった。 「異世界の花火も、これまた綺麗でござりますな」 「そうだな。あの花火は我が国のものより大きいのではないか? 持って帰って研究させねば」 「それにはかなり頑丈な移動空間を作らねばなりませんな。国にいる僧侶たちにも手伝わせましょう」 「しかし、それ以外にも持って帰って研究したいものがたくさんあるぞ。まずは麦茶工場を国に作らせよう」 「そうですな。それにこの白い液体も完全再現させねば!」  口々に好き勝手なことを言っていたアレクシスとカイルだったが、端整な顔の彼は、ふっとあることに気づいたらしい。 「凛奈、そなたの家族は? どこかへ出かけているのか?」 「いいえ、いませんよ。父と母と姉がいたんですが、僕が二十歳の時に車の事故で。生き残ったのは僕だけだったんです」 「そうだったのか……すまない。辛いことを言わせてしまったな」 「いえ。もう一年以上経ちますし。心の整理もつきました」  必死に笑顔を作って微笑むと、アレクシスは凛奈よりも悲しそうな顔をした。  本当は嘘だ。  まだまだ両親に会いたい。  優しかった姉にも会いたい。 「凛奈の両親と姉はなんという名だ?」 「えーと、父は総一郎(そういちろう)。母は悦子(えつこ)、姉は凛音(りおん)です」 「わかった。しかと覚えておこう」 「?」  アレクシスがひどく真面目な顔で言うので、凛奈は首を捻った。  その時、ととととと……とカイルがやってきて、カルピスのお代わりをせがんだ。 「美味い! 美味いぞ! これは! この液体はなんというのじゃ!?」  甘酸っぱくてごくごく飲めると、カイルはずいぶんカルピスを気に入ったらしい。こんな飲み物は我が国にはないと。  そんなほくほく顔のカイルからコップを受け取ると、凛奈は立ち上がり、お代わりが我慢できないカイルを連れて、台所へと向かった。  家族のような存在がいるのは、久しぶりだなぁ……と思いながら。

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