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第3話

「おやすみなさい」  縁側で花火を見ながら眠ってしまったカイルを連れて、客間に二組の布団を敷いた。 「あぁ、おやすみ」  カイルを布団の中にしまい、優しくとんとんと叩いてやったアレクシスは、襖を閉めようとした凛奈を呼んだ。 「何かありましたか?」  訊ねると、布団の上にあぐらをかいたカイルが、自分の隣をそっと叩いた。  きっと、ここに来て座れ……ということなのだろう。  凛奈はほんの少しの警戒心と、ドキドキと一緒にアレクシスの隣に正座した。 「凛奈は本当に美しい顔をしているな」 「あ、ありがとうございます……」  突然褒められて、驚いた。  確かに、凛奈はここいら辺では、目を引くほど美しい顔をしていた。  すっと通った鼻筋、切れ長で色気のある艶やかな目元。そして紅をさしたような美しい唇。  花に例えるなら、豪華で華やかな芍薬というよりは、凛とひとりで咲く、百合のような美しさがあった。 (なんだろう? もしや僕がオメガだから、手を出そうというのか?)  ほんの少し距離を取りながら凛奈が逃げの体勢をとると、「いやいや、安心しろ。そういうことではない」とアレクシスは笑った。 「凛奈は美しいから、きっと凛奈のご家族も美しい顔をしていたのだろうな……と」 「あ……母と姉は綺麗だったと思います。父は厳ついアルファで、僕に全然似てませんでした」 「でも、良いご家族だった」 「えっ?」 「小さな家だが、居心地がいい。それは丁寧に隅々まで掃除されているからだ。その掃除の仕方を教えてくれたのは誰だ?」 「母です」 「我がままで、えばってばかりいる小さなカイルの相手も、何気なくしている。それはきっと凛奈が、そのように姉上に可愛がられて、自然と身についたものだと思う」 「アレクシスさん……」 「アレクでいいよ。親しい者たちは、みな俺をアレクという。だから友人の凛奈も、俺のことはアレクと呼んでくれ」 「友人?」 「いや、それ以上だな。アストラーダ王国から落ちてきて拾ってくれて、ここまで良くしてくれたのだから、命の恩人と言っても過言ではない」 「そんな……僕は雨と一緒に降ってきた人に、興味が湧いたから」 「興味?」 「はい。しかも異世界だなんて……いいなぁ、異世界。どんなところなのかな?」 「凛奈は変わっているな。いや、好奇心が旺盛なのか?」  読書家だった姉の影響で、凛奈は小さい頃から魔法の世界や異世界の物語をたくさん読んできた。  今では二十二歳になり、ひとりで家業の生花店を切り盛りしながら生活しているが、夢見がちなところはまだまだ残っていて、小さい時に習った歌や、絵本に載っていたお気にいりの文章を、ついつい口ずさんでしまうこともある。  茶色い合皮でできたネックガードに触れられ、凛奈はびくっと身体を揺らした。  バース性の中でも、特にアルファにうなじを噛まれたオメガは、それ以外の者と結ばれることができなくなってしまう。  だからそれを防ぐために、今でもおしゃれ感覚でネックガードをつける若者は多い。  性が……昔に比べてバース性も男女性も最近は曖昧になり、軽んじられている昨今だが、だからといって昔のように地獄の階級制をとれ、などとは思わない。 凛奈も自分の性が男性で、バース性がオメガであることを忘れてしまうことが時々ある。性とは実は、そんな曖昧な程度でいいのかもしれない。  ネックガードに触れたアレクシスの手はそっと離れていき、それは優しい笑みへと変わっていった。 「いつか連れていってやろう、我がアストラーダ王国へ。この日本のように四季があり、海の食べ物も美味いぞ。それに何より花畑が美しいんだ。温泉もある。美しい雪山も」 「すごい! 最高じゃないですか!」  凛奈が喜ぶと、アレクシスの頭からぴょこんと茶色い狼の耳が生えてきた。 「わっ! アレクは異世界から来ただけでなく、もしかして獣人なんですか?」  そして凛奈がその耳に触れると、今度はモフッと尻尾が生えてきた。  このツヤツヤとした美しい毛並みの狼の耳と尻尾は、アストラーダ王国国王の末裔である証拠なのだそうだ。  国王になる者以外には決して狼の耳と尻尾は生えない。  アレクシスとカイルがやってきたアストラーダ王国は、獣人と人間が混在する国で、五歳を超える頃に、獣人は耳と尻尾がポンッと突然生えるのだそうだ。  例えば、父親がうさぎだとうさぎが生まれ、猫だと猫が生まれる。王家も同じく何千年という昔から、狼がアストラーダ王国を統治しているらしい。  人間の耳を偽って作ることもできるが、それは人間に会う機会がある高尚なアルファのみで、他の者たちは毎日自由にのびのびと、多種多様なケモ耳とケモ尻尾で生活しているらしい。 「いいなぁ。僕にも耳と尻尾があればいいのに」  そう言いながら、アレクの耳と尻尾を思う存分モフモフと触らせてもらうと、ぐっすり眠ってしまったカイルの頭にも、ぴょこんと狸の耳が生えているのが見えた。 「ほら、狸ジジィだろ」 「本当だ」  そう言って二人で笑い合ったあと、アレクシスが穏やかな声で言葉を紡いだ。 「本当は、まだまだご家族に会いたいのだろう?」 「えっ?」  先ほど、家族のことを聞かれた時。まったく平気な振りをすることができた。笑顔だって浮かべることができたのだ。  それなのに、アレクシスは凛奈の本当の気持ちを見抜いていたというのか? 「大事な家族を失って、一年ちょっとで心が凪ぐはずがない。こっちへ来い凛奈」  そう言われて近づくと、ひょいと膝の上に座らされた。 「泣いていいんだぞ。ご両親を思って。亡き姉上を思って。ここには俺たち以外誰もいないから。泣いてもいいんだ……」  背中を優しく叩かれて、凛奈の目尻にじわっと温かいものが浮かんだ。 「……なんで出会って間もない僕に、こんなふうに優しくしてくれるんですか?」  問うた声は、すでに涙に濡れていた。 「俺とカイルを助けてくれた礼だ。あと麦茶のな」 「アレク……」  凛奈はアレクシスの甚平の胸元を掴むと、声を上げて泣いた。  わんわんと、幼子のように。  一瞬カイルが起きてしまうかと思ったが、彼はいびきをかいて眠っていた。  だからもっと泣いた。  両親と姉の葬儀の時にもこんなに泣かなかったのに、心がからっぽになるまで凛奈は泣いた。  すると本当に心がからっぽになったように軽くなって、やっと凛奈は泣き止むことができたのだ。 「明日からは、本当の笑顔を浮かべることができそうか?」 「えっ?」  アレクシスは出会ってからの短時間で、凛奈の笑顔が偽物であることに気づいていたのだ。  本当は寂しくて、悲しくて。  家族を失って笑いたくなんてないのに、笑わなければならない現実に苦しんでいることに気づいてくれていたのだ。 「はい。明日からは本当の笑顔で生きていけそうです」 「しーっ! カイルが起きてしまうぞ」  大声で宣言した凛奈の唇に、アレクシスは笑いながら人差し指を当てた。  ドキッとした。  こんなにドキドキしたのは初めてだった。  涙で甚平を濡らしてしまったので、凛奈はアレクシスを浴衣に着替えさせた。  今度はサイズもぴったりで、凛奈はそっと襖を閉めた。  アレクシスには、何か不思議な力でもあるのだろうか?  彼の胸の中で泣いただけなのに、もう心は晴れていた。  夏の青空のように。  部屋に戻り、寝間着用の甚平に着替えると、凛奈は窓から月を見上げた。  そして、カイルの狸の耳が本当に可愛かったので、それを思い出して、凛奈はベッドの中で笑った。  こんなに素直に笑ったのは、どれぐらい振りだろうと思いながら。

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