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第3話

 墓参りを終えた夕方、田辺が実家まで迎えに来た。すでにチェックインを済ませたホテルヘは直接行かず、夕暮れが少しずつ近づく海辺を散歩した。振り返って見上げた高台にホテルが建っている。徒歩圏内だ。  浜から海へ長い橋が伸び、行き着く先に竹島がある。  大きな鳥居の建った小さな島だが、木々は勢いよくこんもりと生い茂っている。緑色の玉が海から半分だけ浮かび上がっているように見えた。  日が陰っていく中でも、まだ向こうへ渡る観光客がいる。  一巡りしてきたと田辺に言われ、大輔は無性に腹が立った。隠しきれない苛立ちを、墓参りで疲れたせいにする。田辺はいつも通り、疑問のないふりで騙されてくれた。 「大輔さん。明日の朝、散歩しに行こう」  並んで歩くふたりの指先が軽く触れた。ぶつかり合って離れ、大輔は思わず田辺の指を掴んだ。 「ふたりきりで、ね」  大輔が離すまで振りほどかない田辺は、指を掴ませたまま微笑む。  春と夏の間にある三河湾は凪いで、海風も穏やかだ。 「うん」  大輔はうなずいた。自然に、手が離れる。 「おまえの親って……」  尋ねようとして言葉を切った。 「聞いていいよ。大輔さんなら」 「いや、その……」 「都内に住んでる。俺は港区生まれの港区育ちなんだよ。いろいろうまくいかなくて、横浜に流れたけど。父親も母親も生きてる」 「知ってる……」  情報源にすると決めたときに、身辺調査をしたからだ。田辺が続けた。 「兄弟がいる。生真面目な兄と派手好きの妹。仲は良くない」 「親とは?」 「縁を切られてる。大輔さん以上に疎遠だよ」 「……会わせて欲しいわけじゃないから。それは、別に」  なにげなく言ったつもりが言い訳がましくなって、大輔はおおげさに舌打ちをする。 「おまえがどこから道をはずれたのかとか……、聞いたことないと思って」 「聞きたい?」  問われて、心がひやりとした。田辺は微笑んだままで、顔を覗き込んできた。 「俺のこと知りたいと、思ってくれてるんだ?」  「なに、それ。当たり前だろ。ずっと思ってるよ。どんな子どもだったのか、とか……」  大輔が言うと、 「どんな女の子を好きになって、どんな初体験をしたのか、とか? ……これは俺の好奇心だね」  ふざけて笑った田辺がホテルへ向かって歩き出す。 「結婚、考えたこと、ある……?」  先を行く背中に、おそるおそる問いかける。  高台にあるホテルへの近道は斜面に作られた階段だ。  その途中で田辺が振り向いた。日が暮れ始めて、雑木林の中にも闇が広がり始める。足元を照らす明かりが、ふたりを浮かびあがらせた。 「ないよ」  あっさりと答えた田辺が手を差し出した。 「足元が危ないから」  女にするような気づかいはいらないと思いながら、断れずに手を返す。ぎゅっと握られて、心の奥でホッと息をついた。  田辺ほど見た目が良ければ、それだけで女は寄ってくるだろう。その中にさえ、特別な相手は現れなかったのだ。 「大輔さんが想像するほど、いい恋愛はしてないよ。結婚できた分、あんたの方が上かもしれない」 「上も下も、ないだろ」 「そうかな」 「倫子を追い詰めたのは俺だ。自分の社会的な体裁さえ整えばいいと思って、あいつの本心を見ようともしなかった」 「お母さんに、また再婚をせっつかれた?」  片頬で微笑んだ田辺が見透かしてくる。くちびるを引き結んだ大輔は、その背中を軽く叩いた。  図星だが、気にはしていない。田辺から確認されることの方が、何倍も苦々しく感じられるぐらいだ。 「俺のものに、できたらいいのに」  黙った大輔を振り向いた田辺の指先が、頬を撫でてくる。ごく当然のように、くちびるが重なる。 「ん……」  抱き寄せられ、足元がよろめいた。大輔がしがみつくと、田辺の腕はいっそう強く背中を抱く。 「んっ、んっ……」  くちびるを吸われ、舌で舐められ、大輔の息が甘くかすれる。 「だめ、だ……」  通る人のいない道だが、油断はできない。 「だめ?」  さびしそうに言われ、大輔は首を振った。 「あとに、しろよ……」 「じゃあ、あとで、たっぷり」  いやらしい言い方をされて、大輔はドギマギと視線をそらした。もう何回も寝ているけれど、ふたりの関係は頻繁じゃない。今日、セックスしたら、一ヶ月ぶりだ。  想像すると勃起しそうで、田辺を追い抜いた。 「俺の初体験なんて、たいしたもんじゃない」  足を止めて振り向き、大輔はうつむきがちに言った。軽やかな足取りで追ってくる田辺を待つ。 「風俗?」  大当たりだから答えない。 「俺は金で買われたなぁ」  今度は田辺に追い抜かれる。大輔は眉を跳ねあげた。 「買われたって……。そこ、詳しく」  顔を見なかったことを後悔する。 「おもしろがらないでくれる?」 「いや、普通におもしろいだろ」 「聞いたら、大輔さんだって話さないとダメだよ」 「緊張しすぎで勃起しなくて、慰められた話……?」 「ウブだな。興奮させないでくれ」 「変態なんだよ、おまえが」  軽口を叩いて階段をあがりきったが、ホテルまではまだ坂道が続いている。手入れの行き届いた植え込みに沿い、ゆるやかなカーブが車寄せまで続いている。  城郭風の建物が見えてきた。昭和初期に建てられたホテルで、緑の屋根の上には展望室らしき小部屋もある。和洋入り混じった雰囲気に中華風の趣も加わり、陸の竜宮城みたいだと大輔は思ってきた。子どもの頃からだ。 「俺、ここに泊まってみたかったんだよな」  屋根のあるエントランスには、年代を感じさせる金色の扉がついていた。くすんだ色がいい。  吹き抜けのロビーには革張りの大きなソファが整然と並び、四角の太い柱が伸びる。華美ではないが、手の込んだ豪華さだ。 「大輔さん。一度、部屋へ戻る? 時間はあんまりないけど」 「いや、ここで時間つぶす」  雫をさかさまにしたような形のライトが柱から垂れ下がり、優しい色に誘われた大輔はふらふらとソファへ近づいた。 「俺とで、よかった?」  冗談めかした田辺の問いかけは、肯定的にも否定的にも取れ、柔らかなソファに沈み込んだ大輔は目をしばたたかせた。真意が掴めない。  でも、大輔の答えははっきりしていた。 「おまえ以外、いないだろ。俺には」  そう答えた。

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