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第9話 青天の霹靂または急転直下
「……えっと、これがどうかしたんですか?」
硬直していたのはたぶん数秒のこと。その間がおかしなものにならないように、平静を装って真雪さんに問いかけた。
ある意味見慣れた記事で、真雪さんがわざわざ僕に見せるものではないはず。
僕の探る視線は気づかなかったのか、真雪さんはタブレットを自分向きにして指をスライドさせた。たぶん記事を読んでいるんだろう。
「いや、しっかり合わせてきたなと思いまして」
「合わせてきたって、なににですか?」
「実は明日発表なんですが、このドラマの主題歌、那月さんなんですよ」
「え……?」
主題歌?
「このドラマのために書き下ろされた新曲で、番宣番組で顔合わせする予定ですけどどうでしょうね」
真雪さんが気にしたのはそれが今撮っているドラマに関係のあるもので、そのスキャンダルがどう響くかわからないから。だから苦い顔をしているんだろう。
元々近づかない方がいいという忠告もされていたし、那月さんの印象は良くないんだと思う。まあ、僕も本人と話すまではそう思っていたから。
……熱愛。いや、僕が動揺する話ではないんだけど。
いつも通りといえばいつも通りだし、最初からそういう人だって認識だし、でも那月さんはほとんどが嘘だって言っていた。本当は1割もないって。
ただ、逆に言うと1割は本当だってことだ。これがその1割じゃないなんてわかりやしない。
いつの時期だろうか。前のだろうか。それとも今だろうか。今話題があるから出された記事だとしても、いつのものかはわからない。
最近は毎晩会っていたけれどそれだって一日のうちの短い時間だけで、その他の時間になにをしてるのかなんて知りやしない。むしろ僕に知る権利さえない。
そもそも僕のところに来たのはヒート中のオメガという未知の存在を相手にしたかったからで、僕だからじゃない。
はっきり言われたじゃないか、ヒートの時のオメガとしてしか興味ないって。飢えてないとも言っていた。
……いやだから僕は関係なくて、問題はこれが本当かどうかだ。
自分のドラマに関することだし、確かめるのに不思議はないはず。なにより考えてたって答えは出ないし、だったら那月さんに直接聞けばいい。
とにかくまず衣装とメイクで撮影の準備を整えて、いつもなら前室で誰かと話したり用意をするところを楽屋に再度引っ込んでスマホを取り出した。
『聞きたいことがあるんですが』
簡潔にそれだけを書いて送れば、すぐに『写り良かった?』というおどけた返信が来た。
どうやら僕の聞きたいことがなにかは伝わっているらしい。
自分で言い出したくせにそのことについてどう聞くか悩んでいるうちに、那月さんからもう一つメッセージが送られてくる。
『そういうことなんで今夜からお前んとこには行けない』
どういうことですか、なんて返すこともできない簡潔な文章。
これで終わり、というわかりやすいメッセージに、僕は「わかりました」と返してそっと画面を消した。
そうか。
やっぱりヒートが終わったから終わりなのか。
秘密を守ってくれるかどうかなんて問いもする必要はないだろう。対価を払ったんだから、それで約束は守られたんだろう。
むしろ目的は果たしたのだから、もう俺がオメガなんてことはどうでもいいのかもしれない。
「そっかぁ……」
親しくなったと思っていたのは僕だけだったのか。
ヒートになる前、仕事終わりのあの時間が楽しいなと思っていたのは、どうやら僕だけだったらしい。
真っ暗になった画面を見つめ、そこにしょぼくれた顔の自分が映っていることに情けなくてため息が出る。唇の端を指で持ち上げてスマイル。キラキラを振りまくのが僕の仕事なんだから、こんな顔になっている場合じゃない。
約束が守られて、僕がオメガだということはバレなかったんだから良かったじゃないか。めでたしめでたしだ。
そうやって気持ちを切り替えて、僕はスマホを置いて楽屋を出た。
お幸せに、と打てなかった配慮の足りなさは、今回は許してもらおう。
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