1 / 14

第1章:浮所類 〜新しい隣人〜

浮所類(うきしょるい)、33歳、ゲイ。 今が一番楽しい。 自分のセクシャリティに悩んだ思春期は、遠い昔。 小児科医としても一人前になり、 仕事も、私生活も、何不自由なく過ごしている。 そんな俺でも、 一つ悩み事があるとしたら、 最近引っ越してきた隣人から ひどく嫌われていることだろうか・・・。 「おはようございます。」 「・・・」 今日も朝からドアの前で出会した 180cmの俺よりも数cmほど背の高い 眼鏡面のサラリーマンは 挨拶をしないどころか、 視線を合わせようともしない。 彼の不機嫌さの理由に覚えのある俺が、 「あ・・・昨夜・・・もしかして 音漏れてました? すみませんでした。」 と謝ると、 いかにも真面目そうなその人は、 顔を更にしかめて小さな息子の手を引き、 せかせかとちょうどドアの開いたエレベーターに乗り 俺を待たずにドアを閉めた。 今は仕事や学校へ行く人たちで エレベーターラッシュなのに、 なんて嫌がらせだ!!! 最上階のここ10階からの エレベーターの往復は この時間だと10分ほどかかる。 そんなことで時間を食ってられない俺は 階段で下りるしかなかった。 本当、朝からだるい・・・。 明日こそは隣人とかぶらないように少し早めに出よう!! 顔を合わせれば 気まずい空気がただただ流れるので、 会うたびにそう思うのだが、 結局バタバタして、いつも通りの時間になってしまう。 前に隣に住んでいたホステスのお姉さんは 毎晩のように家をあけていたため ついつい「騒音」に気を使うのを忘れる。 特に昨夜はゲイの出会い系アプリで マッチングしたかわい子ちゃんと 少し盛り上がりすぎてしまい うるさかったかもしれないけれど・・・。 何か言いたいことがあるなら、 文句の一つくらい言えばいいじゃないか・・・! 小児科医という仕事柄、 子供や母親の扱いには慣れているが、 こんな風に何を考えているのか全く分からない 父親と関わるのは少し苦手だ。 夏が終わったとはいえ まだ朝でも暖かい気候の中 余計な運動を強いられ 勤務先の藍羽総合病院へ着いたときには 33歳の運動不足の足首は 悲鳴を上げていた。 毎朝、一番に(おこな)っている 小児病棟の入院患者の診察を終え、 外来のための診察室に腰をかけた俺は、 痛めたばかりの足首を摩りながら パソコンを立ち上げた。 「先生、足どうかなされたんですか?」 「あぁ・・・ちょっと。」 恰幅の良いベテラン看護師の川畑さんに心配されながら、 俺は足から手を離し、 カルテの入ったアプリケーションを開いた。 外来が始まる9時ちょうどになると、 「失礼します。」 と最初の外来患者が入ってきたが いつものように患者の顔を見る前に、 パソコン上のカルテをまず確認した。 「はい、えっと、こちらで診察されるのは初めてですね。」 そして、診察室の椅子に座った親子の方へと振り向いたときに、 診察室の空気が 一瞬にして凍りついた。 「・・・」 「・・・」 「・・・あぁ・・・えっと、奇遇ですね。小児科医の浮所です。」 「・・・ぁ・・・はい。」 なんと俺の足首の痛みの原因を作った親子だった。 カルテには日向爽太(ひなたそうた)、5歳。喘息持ちと書いてある。 明らかに父親は困り固まっていたので 子供にまず話しかけてみることにした。 「こんにちは、爽太くん。」 「こんにちは、先生。」 普段会っても、 いつも父親の後ろに隠れていている上、 目線のかなり下のほうにいるので、 じっくりと顔を見たことはなかったのだが、 地味顔の父親と違って、 目がくりくりしていて、とても可愛らしい。 「挨拶上手だね。今日はどこか悪いところがあるのかな?」 「んーん!わかんないけど、ゼーゼー診てもらうんだって。」 「あー、そっか。今は元気そうだね?」 「うん!」 人見知りもせず 父親と違ってとても話しやすい子だ。 「・・・あの、お父さん、 今日はどのようなことで?」 子供のことを質問されて 答えないわけにもいかず、 父親はやっと口を開いた。 「・・・最近千葉県から都内に越してきまして ・・・爽太は喘息持ちなので、 その件で、家からも近い こちらの総合病院で これからはお世話になろうと思いまして。」 「そうですか。最近発作などはありましたか?」 「特に大きな発作は出ていませんが、 時々夜に、苦しそうな時があります。」 「その時お薬など使っていますか?」 「特には。お茶などを飲ませると少し良くなるので。」 「そうですか。前の病院で出された吸引薬などあれば、 教えていただけますか。」 ちゃんと喋れるじゃないか。 父親は、持ち合わせていた薬を出し、 俺は追加の薬を処方した。 その後二人は次の定期診断の予約を取り、診察室を出た。 別にたいした処置もなかったが、なんだかどっと疲れた。 「どうかされたんですか?」 俺の様子がおかしいと悟った川畑さんが心配そうに訊いた。 「いや、なんでもないです。」 まだまだ、今日は長いのに・・・ 最初の外来患者から、これか。 俺の1日のスケジュールは 朝の小児病棟での入院患者の診察から始まり、 その後は昼休憩を挟んだ午前と午後に外来患者の診断、 そして、外来時間がすぎる夕方に、入院患者の回診。 救急や、産婦人科や別の科などに 急遽呼ばれることもあるが 大体こんな感じだ。 学生時代 渋谷に出ては 毎度のようにモデルのスカウトをされるなど 容姿にそこそこ恵まれた俺は 患者の母親からの人気も高く 他の小児科医よりも 忙しく過ごしているが ちゃんと休日も、土日に取っていて、 夜勤もほぼ行わないので 会社で働くサラリーマンと変わらない勤務形態となっている。 午後7時、 今日はもう仕事が終わったので、 新宿二丁目で友達がやっている ゲイバー『パープルラビッツ』に寄った。 「あーら。いらっしゃい、類♪」 ヒデママは俺よりも11歳年上で、 俺が20歳の時に通っていたゲイバーで 店子として働いていて出会った。 彼は結婚し初めて自分のセクシャリティに気づき 当時は離婚したばかりで、無口だったが、 今ではバリバリのおネエ口調で 客を盛り上げるのがうまい。 こんな口調だが、 見た目は、髭のはえたイケオジ風のおじさんで、 俺と同じ、バリタチ、 いわゆるタチ専門だ。 互いを性的に興味がないこともあり、 歳は離れているものの、よい友達の一人。 「なんか浮かない顔しちゃって、 どうしたのー? イケメンが台無しじゃないぃ」 「いやぁ、 最近隣に新しい親子が引っ越してきたんだけどさぁー・・・ 早々嫌われちゃってるみたいで面倒くさくて。」 「あら、なんでー? ま、想像はつくけど。 どうせ、あんたまた発情期みたいに キャンキャン鳴くネコばかり家に呼んでるんでしょ?」 「・・・。」 「ヤダァーん。 当たっちゃったのー? それはお隣さんに同情するわー。 ま、私はそんな子猫はお断りだけどねッ。 私は、ほら、大人しくって、恥じらいがある子達が好きだから。」 「そういう子たちって、 好きだの、惚れただの、 すぐ本気になるから面倒くさいんだよ。 発情期の遊び慣れてる子猫ちゃんたちが 俺にはちょうどいいんだよ。」 「あんたもう33歳でしょー。 そろそろ落ち着きたいと思わないわけ?」 「全く。ヒデママだって俺のこと言えないだろ?」 「私は、一回結婚してるからいいのよぉー。」 ヒデママとそんな話をしていると、 「こんにちは、お隣いいですか?」 と、大学生くらいで、 アイドルのような顔立ちのかわい子ちゃんが話しかけてきた。 「うん、いいよ。」 「マナトです。お兄さんは類さんだよね?」 「ああ。よく知ってるね。」 「このバーじゃ、有名だもん。エッチがうまいって。」 ヒデママは、あーあ始まったというような顔で俺を見ていた。 「それはお誘いかな?」 「うん。」 「君、素直で、可愛いね。」 気に触る隣人の愚痴も言えたし、 俺はタイプど真ん中の小柄の可愛い年下男子 を早々とお持ち帰りすることにした。 マナトを連れて家に帰ると、 靴も脱がないままマナトは、 俺のズボンをさげ、跪きながら俺のものを咥えた。 「へぇ。可愛い顔して、エッチだねぇ。」 「噂通り、大きいですね・・・」 「お褒めのお言葉ありがとう。」 マナトは俺のものを咥えながら、 自分のズボンも脱ぎ出し、 自分の指で、自分の下を慣らし始めた。 うん、いい光景。 でも、やっぱここでは窮屈なので、 「ベッドへ行かないか?」 と、寝室に誘った。 ベッドの上でそのまま彼を四つん這いにさせ、 慣らしの続きを手伝い 俺は勢いよくそのまま後ろから彼の中に入っていった。 「アァアアアアっアぁんッ!!!! 類さんッ!、そこッ、あ、ぁあ! あッ、ん、ダメェ、もッ!!!・・・」 今日もまたよく鳴くネコだ。 俺は隣人のことを思い出し、 「少し声を静かにしてくれないか?」 とお願いしたが 「無リィ・・・」 と今にも蕩けてしまいそうな顔でいうので、 ・・・まぁ、もう夜中の1時だし、 隣人も熟睡している時間だろ、と思い、 そのまま抱き続けた。 互いに2回ほど果て、 俺がシャワーを浴びてバスルームから出てくると 壁時計は2時半を指していた。 マナトは服を着て、さっさと帰る準備をしていた。 「もう帰るの?」 「類さんが、ヤった相手を朝まで泊まらせないのは知ってるよ。」 「へぇ。そんな噂まで流れてるんだ。」 「まぁね。楽しかったよ。また遊んで。」 「うん。」 そんな無情な噂が流れている俺だが ドアの前までは見送ろうと とりあえずボクサーパンツだけはいた。 マナトが靴を履いている間に 汚名返上でもしとくか、と 紳士っぽくドアを開けると、 なんと目の前には 隣人が真っ青な顔で立っていた。 「わッ!どうしたんですか。 こんな夜遅くに・・・。 あ・・・あー・・・・うるさかったですか。 ・・・すみません」 俺が突然のことで、隣人にオロオロしながら謝っていると、 マナトは、 面倒くさいことに巻き込まれたくないというような感じで、 「じゃーね」と一言言って、 家を出て行った。 その後俺が、気まずそうにしていると、 隣人は、 「先生・・・」 と震えながら俺の二の腕を掴んだ。 「え?あ、はい。」 「・・・あの・・・・ あの・・・爽太が・・・」 「え?爽太君がどうしたんですか?」 何か深刻そうなことだろうと察した俺は バスルームにかけてあったバスローブを羽織り、 どうしたら良いのか分からずに パニック状態になっている隣人について彼の家に入った。 部屋の中で爽太君は、 軽い喘息の発作を起こしていた。 「吸入させたんですけど、 それからどうしたら良いのか分からなくて。 救急車を呼んでいいものなのか、 そうでないのかも・・・。 プライベートなお時間なのに・・・すみません。」 「・・・あぁ。 まぁ、今はとりあえず爽太君のことに集中しましょう。」 「あ、あ、はい。すみません。」 吸入薬を使用したおかげで、 爽太君の症状はそこまで悪い感じはしない。 「大丈夫ですよ。落ち着いてください。 爽太君、今日病院で会った先生だよ。分かるかな?」 爽太君は辛そうな顔をしながらも、 俺の顔を見て、コクリとうなずいた。 「息吸って・・・吐いて吐いて吐いて・・・。」 爽太君の背中をさすりながら そんなことを何度も繰り返した。 すると徐々に部屋中に響いていた陥没呼吸が 落ち着き始めた。 そして1時間ほどで 症状は安定すると、 爽太君は安心したように眠りについた。 「もう大丈夫でしょう。」 「ありがとうございます。」 あんなに睨まれていた隣人に 泣きそうになりながら、 感謝されると、 なんとなく複雑な気持ちになった。 「それでは、俺は失礼します。」 そう言い、 玄関から一番近いところにあった 爽太君の寝室を出て、 玄関で靴を履いていると、 朝出そうと思っているであろう 透明のゴミ袋が目に入った。 その中にはカップ麺や、コンビニ弁当の容器が たくさん入っているのが見えた。 他人の家の食生活に口を出すなど 余計なことをしたくなかったのだが、 思わず尋ねた。 「・・・あのこれ。」 「あ・・・僕、料理が出来なくて・・・。」 「・・・失礼ですが、奥様は?」 「・・・最近離婚したばかりで。」 「・・・そうですか。」 「大変だとは思いますが、 爽太君、育ち盛りですし、 持病もお持ちなので、 なるべく健康的な食生活を心がけてください。」 俺がそう言うと、 下を向きながら、 「・・・はい。」 と答えた。 なんとなく予想はしていたけど、 本当にシングルファザーか。 きっと今まで家事や子供のことは 奥さんがやってきたのだろう。 彼に関してまだ少し苦手意識があるが、 当分は変えることのできない隣人なので 出来れば当たり障りの無い関係を築きたい。 「まぁ、隣なんで、 また何か緊急なことがあったら頼ってください。」 そうドアを開く前に言うと、 彼は再び深々と頭を下げて礼をした。

ともだちにシェアしよう!