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第2章:浮所類 〜夕飯〜

「浮所先生、 最近朝機嫌がいいですねぇ。」 患者のことだけではなく、 職場の仲間のこともよく見てくれている看護師の川畑さんは 俺の様子の変化にも気付いてた。 「そうですか? 分かります? ストレスが減ったからですかねぇ。」 「私だけではなくて、 ちょうど出勤される先生とすれ違う仕事終わりの夜勤の看護師たちも 少し前に浮所先生の素敵な笑顔を拝めなくて残念、 なんて言っていたので、 最近は先生の笑顔が戻ってよかったです。」 「いやぁ・・・ そんなに顔に出ていたなんて、 気をつけないといけませんね。」 あれから二週間、 隣人と全く出会すことがなくなり 平和な朝を過ごしていた。 俺が出勤するときには まだ隣で小さな生活音が聞こえるので、 多分俺よりも後に家を出るようになったのだろう。 しかし隣に住んでるので 生活圏は同じになり、 今日は仕事帰りに 夕飯の食材の買い出しをしていた 近くのスーパー『グリーンマーケット』で 久しぶりに隣人親子を見かけた。 父親と一瞬目が合った気がしたが、 俺は、咄嗟に見て見ぬふりをしようと 別方向を向いた。 しかし 「あ、病院の先生だ!」 と爽太君が俺に気づき、 こちらへ駆け足で向かってきた。 「爽太、ダメだろう、 こんなところで走ったら!」 そう言いながら、父親も爽太君の後を追って 俺の目の前で立ち止まる。 「先生、先日は、どうもありがとうございました。」 朝会っていた時とは違い、 向こうからちゃんと挨拶をしてきて、 少し驚いた。 「いいえ。あれから、爽太君の体調は大丈夫ですか?」 「はい、おかげさまで。」 「では・・・」 そう言い、親子から離れようとすると、 「ねーねー先生、今日夕飯何? 僕たち、今日は焼きそばなんだー!」 と爽太君が俺に話しかけてきた。 「そっか、いいねぇ。」 ふと父親の持つカゴを見ると、 カップ焼きそばが、2つ入っていた。 「・・・あのぉ・・・」 俺が呆れた声でそう言うと、 父親は少し恥ずかしそうな顔をし、 下を向く。 「・・・はい・・・分かっています・・・。 一応料理に挑戦してはいるのですが、 全くセンスがなくて。 朝も、卵焼きくらいは作ろうとしているのですが、 毎回3回ほどやり直し、 結局保育園にも、会社にも遅れる始末で・・・ 情けない限りです。」 そのせいで、出勤時間が被らなくなったのか・・・。 爽太君の健康のためとはいえ、 俺が言ったせいだよな・・・。 正直面倒クセェ、と思いつつ、 罪悪感もあり 「少し遅いですけど 俺、これから夕飯作るんで うちに食べにきますか?」 と夕飯に誘った。 「・・・あ、いや、大丈夫です。」 「・・・あーそうですか。」 正直断ってくれて、良かったと思いながらも、 せっかく誘ってやったのに、とも同時に思い、 若干イラッとした。 「では、また。」 と俺が再び その場から立ち去ろうとした時に、 「・・・パパ!僕、先生とご飯食べたい!!」 と、爽太君が騒ぎ出した。 「爽太、静かにしなさい。」 「ヤダヤダヤダー!!!」 「爽太・・・」 「先生のご飯!!!おいしいご飯食べたいよー!!」 ギャーギャー大きな声で喚く爽太君に あたふたする父親。 俺が泣かせているわけではないのに、 なんだか悪い気になった。 「爽太君もそう言ってるので、 遠慮なさらず、どうぞ。」 そう言うと、父親は 「・・・え・・・あー・・・ ご迷惑ではないでしょうか。」 と訊いた。 「・・・どうせ一人なんで。」 と得意のスマイル込みで答えると、 父親は少し考えこみ、 爽太君の機嫌を治したかったのもあるのか、 「・・・ではお言葉に甘えさせていただきます・・・」 と結局折れた。 「爽太君は焼きそばが好きなの?」 すっかり機嫌が良くなった爽太君にそう尋ねると、 爽太くんは 「うん。大好き!」 と嬉しそうに答えた。 「じゃ、焼きそばを作るよ。」 普段家ではちゃんとした栄養を取れていなさそうなので 具沢山にしたほうがいいだろう、と思い カゴの中に、豚肉の薄切りのほか、 キャベツ、人参、ピーマン、ズッキーニ、もやし、 しめじ、玉ねぎなどの野菜類を放り込んだ。 デザートは今の時期は柿と梨かな。 最初は少し面倒くさいと思いながらも誘ったが、 セックス目的以外での来客は久しぶりだったので 不覚にも楽しくなっていた。 「先生、これも!」 爽太君は いたずらっ子っぽい顔をしながら お菓子コーナーで取ってきた レンジャーもののチョコレートを俺のカゴに入れた。 「爽太。勝手に、先生のカゴに入れない。」 「はは、一つくらいいですよ。」 俺がそう言うと、 「あの、それ全部僕が払うので・・・ すみません。」 と申し訳なさそうに言った。 「いいですよ。これくらい。」 「でも、わざわざ作っていただくので・・・」 ま、相手も働いているわけだし、 こんなところで言い争っても仕方ないしな・・・。 「・・・そうですか。 ではお願いします。」 スーパーを出ると、 保育園での話を マシンガントークする爽太君を挟んで マンションまで3人で帰った。 文法がおかしかったり、 言葉がまだ拙いせいもあり、 半分以上何を言っているのかわからかったが、 「そう思うでしょ?先生!」 と、いちいち俺の意見を求めてくるところが 微笑ましかった。 親子は、 一旦家に戻って着替えてから来ると言い 家の前で別れた。 俺は万が一のために 如何わしいものなどないか 一通り2LDKの部屋を確認した後、 部屋着に着替え、 キャベツを切り始めた。 別れてから15分ほどで、 ピンポーンとベルがなりドアを開けると、 可愛いベビーブルーの部屋着を着た爽太君と ただジャケットとネクタイを脱いで来ただけの 父親がいた。 爽太君は、家に入るなり、 好奇心旺盛な様子でキョロキョロ部屋を見渡して、 「僕んちと反対だね。」 と言った。 「ああ。間取りのことかい? そうだね。」 その後、我が家同然で部屋の中を走り回り始めた。 そんな爽太君と違い、 父親の方は、緊張をしているのか、 肩を狭めゆっくりとリビングルームに入ってきた。 「爽太、人の家でそんなに騒がない。 先生だけではなく、下の人にも迷惑だろう?」 「はぁい。」 爽太君を注意した後、キッチンに立っていた俺に向かって、 「・・・あの、何かお手伝いすることは・・・」 と訊いた。 「あー、とりあえずは良いですよ。 ホットプレート出すんで、 その上で作りましょう。」 「はい。」 一人暮らしではなかなか使わない キャビネットの奥にしまったホットプレートを取り出し ダイニングテーブルの上に出した。 数年前にヒデママから誕生日プレゼントでもらったものだが 1回ヒデママがこれでお好み焼きを作ってくれた以来 使っていなかったので ほぼ新品だ。 「あ、これよくママがホットケーキ焼いてくれたのだ!」 と爽太君の何気のない言葉で 父親は少し動揺しているように見えたが、 「じゃ、今度、僕たちも買おうか。」 とうまく対応していた。 「やったー!」 子供は大人の事情を 分かっていないようで、分かっていたり、 分かっているようで、分かっていなかったりするので、 俺自身、そんな二人の会話に入るのは控え キッチンスペースに戻り 残りの野菜を切り終えた。 「さっきお酒買うの忘れてましたね。 ビールかワインならありますけど、飲まれますか?」 「あ・・・はい、では、ビールをお願いします・・・。」 古い友人の結婚式の引き出物でもらった チューリップグラス二つに 冷蔵庫から出したビールを注いだ。 「爽太君は、お茶にしようか。 子供用のコップがないから、 湯飲みでもいいですかね?」 「あ、はい。ありがとうございます。」 3人で 軽く乾杯をした後 俺はちょこちょこビールを飲みながら 切った野菜をテーブルに運んだ。 隣人は緊張をほぐすためなのか、 ただ酒が好きなのか、 一気に半分ほど飲んでいた。 「普段結構飲まれるんですか?」 そう聞くと 「そういう時期もありましたが、 最近は外に飲みに行く時間もないですし、 全然です。」 「そうですか。」 「そういえば今更ですが呼び方は、 日向さんでよろしいですか?」 「あ、はい。」 「ちなみに下のお名前は?」 「彰良《あきら》です。 でも、あまり下の名前で呼ばれたことなくて。」 「そうですか。では日向さんで。」 「あ・・・はい。」 「日向さんは、どのようなお仕事をされているんですか?」 俺がそう聞くと、 日向さんはグラスを上げて、 「このビールの会社 夕陽飲料で働いております。」 「へぇ、大手にお勤めだったんですねぇ。 お忙しいのでは?」 「まぁ・・・それなりに・・・ お医者様と比べたら、全然だと思いますが。」 「爽太くんのお迎えとは、大変じゃないですか?」 「会社の近くにある保育園が 24時間体制なので、 残業などある時は 遅くなると伝えれば大丈夫なので、 とても助かっています。」 「そうなんですねぇ。」 そんな大人の会話についていけない爽太君は 俺たちの会話に割り込んで 「先生、僕、もうお腹すいたよー!」 と大きな声で訴えた。 「そうだよね。もう9時前だもんな。 さっさと作って食べちゃおう。」 俺は、温めたホットプレートに油を引いて まずは豚の薄バラ肉を焼き始めた。 その次に大量の野菜などを投入し、 いい感じにしなってきたところで、 麺をほぐしながら入れた。 最後に全てを混ぜながら炒め ソースで味付けをした。 その様子を眼鏡を押さえながら 食い入るように見ていた日向さんの顔は アルコールと、ホットプレートからの熱のせいからか 赤くなっていた。 それでも特に酔っている様子はなく、 「普段毎日お料理なさっているんですか?」 と普通に訊いてきた。 「仕事の後に飲みに行ったりする時は 店で済ませますけど、大体はそうですね。 一人分作るのって、 まぁ、面倒くさいっちゃ面倒くさいですけど、 意外と気分転換になるんですよ。 後、スーパーやコンビニで買ったものだと、 どうしても濃い味のものが多いですしね。」 「そうですか・・・。 今のところ僕には 気分転換どころか、ストレスになってます。 夜は仕事帰りですと、疲れて料理どころではなくて。」 「なんでも慣れですよ。 この焼きそばだって、 炒めてるだけですから。 最初はこう言うのから始めればいいんじゃないですか?」 「はい。そうですね。 これなら、僕も頑張れそうです。」 それからそれぞれの皿に湯気のたった焼きそばを装ぐと 爽太君は 「手を合わせてください! いただきます。」 と言うので、俺たち大人もそれにつられるように 手を合わせ、 「いただきます。」 と言い、食べ始めた。 「先生!おいしぃ!」 爽太君は一口目を食べ終わるとそう言った。 市販のソースを かけるだけのものなので、 味に失敗することなどありえないのだが、 その言葉にひとまず安心した。 続けて日向さんも、 「久しぶりにちゃんとした料理を食べた気がします。」 と染み染みいうので、 「それはちょっと大袈裟ですよ。」 と俺は笑った。 それから 二人は、 久しぶりのご馳走にあり付いたかのように 黙々と食べていった。 食事中会話が弾んだりはしなかったが、 それを気まずいだとか、不快だとは感じず、 むしろ親子の食べっぷりが 見ていて気持ちよく、酒が進んだ。 野菜を大量に入れたので、 かなり余るだろうと予想していたが、 ギリギリ一人前がないくらいの量しか残らないほど たくさん食べてくれた。 「お二人とも結構な大食いなんですねぇ。 爽太君も好き嫌いなく、たくさん食べられて、偉いねぇ。」 「だって先生の焼きそば、すごく美味しかったんだもん!」 爽太君は 歯と歯の間に、キャベツを詰まらせながら、 そう言ってにっこりと笑った。 「そうか。また食べにおいで。」 「ヤッター!」 その後、梨と柿を切ってデザートとして出すと、 それらもペロリと食べた。 こんなほのぼのとした時間がとても新鮮だった。 その後日向さんは 「これくらいはやらせてください」 と言い、 皿洗いを手伝ってくれた。 爽太君は、 黒いレザーソファーの上で、 ゴロゴロしていて、 俺たちが、洗い物を終えた頃には、 目を瞑って すやすやと可愛い寝顔で眠っていた。 そんな爽太君のサラサラとした髪の毛を 日向さんは愛しそうに撫でていた。 18歳の時からずっと一人暮らしをしてきた俺には 長い間無縁だった空気に あたたかさを感じた。 「あーお風呂・・・」 「もう10時過ぎですし、 帰ったら、お湯で湿らせたタオルで 軽く顔と体だけでも拭いてあげてください。」 「そうですね。」 そう言うと、日向さんは、 爽太君を抱っこした。 意識が少しあるのか、 ふにゃふにゃと表情筋を動かしながらも、 やはり眠気には勝てない様子がとても微笑ましくて、 毎日子供と接してはいるものの、 普段とはまた違う・・・ どちらかと言えば、医者として感じるものではなく、 親戚のおじさんのような気持ちになった。 タッパーに詰めていた残りの焼きそばを スーパーの袋の中に入れ 家を出る前に手渡した。 「いいんですか?」 「ええ。 明日の夕飯には少ないかもしれないので、 朝にでも食べてください。」 「はい。ありがとうございます。助かります。」 「では、おやすみなさい。」 「おやすみなさい。今日はありがとうございました。」 「いいえ。」 二人が自分の空間から出ていき、 ドアの鍵を閉める瞬間とてつもない名残惜しさを感じ、 気づくと俺は再びドアを開き、 爽太君を抱っこしながら、 自分の家のドアを開けている隣人に向かって、 「今度、卵焼きの作り方教えましょうか?」 と、訊いていた。

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