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「久しぶりだね…立派な青年になった」 政孝(まさたか)は目元を擦り、澄香(すみか)に笑いかける。愛情深いその表情に、澄香は居心地悪く視線を逸らした。 けど、逃げはしない、蛍斗(けいと)が勇気をくれた。澄香はぎゅっと拳を握り、顔を上げた。 「…お陰様で。今回の外崎(とのさき)さんの報道で俺も写ってましたけど、顔もばれてないし、体質の事もばれてないので安心して下さい。わざわざ実紗(みさ)を寄越さなくても分かってますから、だからもう放っておいて下さい。今回はご迷惑かけてすみませんでした」 頭を下げる澄香に、政孝は焦った様子で顔を上げさせた。 「謝らないでくれ。そういうつもりじゃなく、心配だったんだ」 「…周防(すおう)の血に獣憑きがいるなんて知れたら、会社や家は大変なんですよね。下に見られるし、不吉な血ですから。だから、ずっと監視してるんでしょ」 「監視なんて…そうか、会長に何か言われた?」 「…周防の恥だから、絶対ばれちゃいけない、家にも顔を見せるなと」 「…そうか、澄香にまで言ってたのか」 政孝は困った様子で首の後ろに手をやり、顔を上げた。 会長とは、政孝の父親で、澄香にとって祖父にあたる人だ。 「…僕は恥とは思わない。ただ、心配なんだ」 だが、澄香は視線を逸らすだけだ。そんな言葉、易々と信じられる筈がない。澄香は、周防の家には不必要だと、厄介者だとして育ってきたのだ。 視線を交わさず表情を変えない澄香に、政孝は「そうだよね」と呟き、一つ息を吐いた。 「僕の中で、|弥生《やよい》さんは愛人じゃないんだ。僕達の中では、今でも夫婦なんだよ」 「……は?」 弥生とは、澄香の母親の名前だ。澄香は一体何を言い出すんだと、政孝を見上げた。 「まぁ座って、飲み物を用意しよう。澄香は何が良いかな?色々あるよ」 そう言って、いそいそとキッチンに回る政孝を見て、澄香は更に戸惑いを覚えながら、促されるままソファーに腰かけた。 澄香が頼んだのは、ウーロン茶だった。 家を管理しているのは分かったが、政孝が読み上げた飲料のラインナップは思った以上に多く、この家は日常使いしているのだろうかと、澄香は首を傾げた。それとも、自分達が遊園地に行ってる間に実紗が用意したのだろうか。 カチ、カチ、と、普段気にもしない時計の秒針の音が、やけに響いて聞こえてくる。まるで責められてる様な気すらして、居心地悪くコップに口を付けると、ウーロン茶の味が妙に薄く感じた。ウーロン茶は飲み慣れている、これも緊張してるせいだろうか。 一旦落ち着こうと、そろ、と政孝に目を向けると、対面に座った政孝は、明らかに落ち着かないといった様子で、グイとコップを煽った。緊張してるのは政孝も同じ、いや、自分以上かもしれない、そう思うと少し冷静になれた。 こんな風に政孝と向き合うのは、いつぶりだろう。澄香が覚えている限り、記憶にはない。頭の中にいる政孝は、いつも背中だった。大きな背中を、澄香は遠目に見つめていた。政孝がこちらを振り向く時、目を逸らしたのは澄香の方だったように思う。 厳しい顔をして、いつも周りには多くの人がいて。近づいてはいけない気がしていたし、その内近づこうとも思わなくなった。 こんな顔をしていたのか。 昔の写真や、ニュース等の映像で顔を見る事はあったけど、今の政孝の顔は、そのどれとも違って見えた。 戸惑いと、優しさと、後悔が滲んでいる。そんな顔を晒す価値が自分にあるのかと、澄香の胸は騒ついた。自分を否定したのも、突き放したのも政孝の筈なのに。 それとも、本当は違ったのだろうか。 けれど、どう考えても澄香には政孝の言葉を信じる事が出来ず、澄香はぎゅっと手を握ると口を開いた。 「…あの、さっきの話」 「あ、あぁ、そうだね。どこから話そうか…先ずは、うちの事を話そうか」 うん、と、政孝は自分に対して頷き、空のカップをテーブルに置いた。 「うちは大企業だから、会長…、澄香のお祖父さんは、周防の家を成長させる事だけを使命として育ってきたような人だった。獣憑きの血が受け継がれるのは仕方ない事なのに、それも良しとしない、家の恥だと僕も教わってきたよ。 昔は奇病とされて気味悪がれたり、感染しないと分かれば見せ物の対象となっていたそうだけど、今はちゃんと人権が守られている。時代も変わった、薬も良いものが増えてるし、この体質の人を守る制度もある。 これは、ただの体質、恥なんかじゃないんだ。家に獣憑きの体質の人がいても、下に見られる事はもうない筈なんだ。全ての人がこの体質を知らなくても、ちゃんと世の中に認められているから。 でも、僕達の世代では、その言葉は通用しなかった。だからね、僕の兄、澄香の叔父さんは戦うしかなかったんだ」 「獣憑きだったの?」 獣憑きは遺伝だ。両親が獣憑きの体質ではないので、もっと遠い親戚に獣憑きがいたのだろうと漠然と思っていたので、まさか叔父がそうだったとは思わなかった。 そういえば、叔父の話は今まで聞いた事がない。 「そう。会長は、実の子の兄にも厳しかった。自分の子じゃないみたいな扱いだったよ。それでも、長男だから会社を継がせなきゃいけないって、本当、厳しく躾てた」 顔を俯ける政孝は、自分の父親を会長としか呼ばない。その脳裏に、どんな過去が過っているのだろう。澄香は幼い頃に見た、祖父、会長の冷たい視線を思い出し、落ち着かず帽子をぎゅっと被り直した。 「でも、兄は強い人だった。僕の前では何も無かったように、優しく笑うんだ。 それに、兄はきっと悔しかったんだと思う。他の人との違いなんて、耳と尻尾がたまに出るだけなんだ。本当に、それだけ。なのに、差別を受けて」 溜め息を吐く政孝は、顔を上げないまま緩く首を振った。それから、少し間を置いて再び口を開いた。政孝がすぐに言葉を続けられなかったのは、兄の、澄香にとっては叔父が受けた差別を思い出し、悔む思いを抑える時間が必要だったのかもしれない。 澄香は帽子からそっと手を放した。 「だから、変えようとしたのかな会社を。 猛勉強して、周囲に悟られないよう体質を隠しながら仕事をして、気づいたら兄は会社の中心人物になってた。才能や実力もあったんだろうけど、人柄もあったんだと思う。みんな兄を慕って、兄は会社を引っ張っていく存在になってたんだ。 でも、無理がたたって若くして亡くなってしまった。調べてみたら、処方されていない薬を多用していたせいだと分かった。会長のプレッシャーもあって、それを跳ね退けるには、違法薬に手を出しても仕事をしなきゃならなかったんだ。おかしいだろ?こんな会社」 それから政孝は、大きく息を吐き、「何も気づけなかった僕も、どうしようもないけどね」と自嘲した。澄香は何も言えなかった。 「だからね、僕が会社を受け継いだ時に決めたんだ。血で受け継ぐ事を、僕の世代でやめにするって」 「え?」 「…会社継ぎたかった?」 「そういう訳じゃ…」 「これはね、澄香がその体質を持っていなくても、そうしようと決めていたんだ。もし、仕事に興味があってやりたいというなら、どんな子でも僕は応援しようと思うけど、他に優秀な人材がいれば、公平に見るつもりだった」 政孝の言葉に視線を揺らす澄香に、政孝は苦笑った。 「…僕は、自分勝手なんだ。怖いんだよ、兄のように身を削ってまで会社を継ぐ必要はあるのか。好きでその体質に生まれた訳じゃないのに、この血を受け継いだだけで、不当な扱いを受けて。あんまりじゃないか、だから、僕は会長から澄香を守りたかった」 「…でも、そもそも俺は、俺の母さんは、」 「僕の奥さんなんだよ」 「…さっきから、それ意味分かんないんだけど」 澄香が不可解に言えば、「だよね」と、政孝は笑って肩を竦めた。 「兄さんが亡くなって、僕が会社を受け継ぐ事になって、その後すぐに決まったのが結婚だった。政略結婚だね。僕は、兄さんのように出来が良くなかったから、きっと周りから地固めをしようと思ったんだろうな。それでお見合いしたのが、元の妻…世の中的にはね。でも、彼女もこの結婚を不服としていたから、二人でこっそり同盟を結んだんだ」 「…は?」 澄香は、更に不可解な単語を聞き、眉を寄せて政孝を見上げた。

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