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第11話 小さい羽の天使(1) 邂逅

 アレスはおよそ一年半ぶりに間近で見る、赤い濃霧の壁を見上げた。  祖国をすっぽり覆う、死の霧。  見上げるその身に纏うのは、詰襟でダブルの銀ボタンが並ぶ、濃紺のロングコート。帝国騎士団の騎士服だ。  二の腕には、トラエスト帝国の三ツ星の紋章を描いた黒い腕章がはめられている。黒い腕章は第四騎士団の色だ。  第四騎士団に入団した最初の本格任務は、王国内の偵察、現状把握調査だった。  入団して半年、アレスはみっちりとヒルデから霊能の訓練を受けていた。おそらく、戦えるレベルに達している。  脱出した時は長城の南門からだったが、今いるのは東門側だ。こちらには川はない。  王国を目の前にして、あの地獄の六日間がアレスの脳裏に鮮やかに蘇った。  壊滅した聖騎士の仲間達。民たちの悲鳴と夥しい死体の山。共に逃げようとしたガイルと王都民の、無残な姿。 「俺たちの王国、必ず取り戻す……!」  いくばくかの逡巡を押し込め、緊張と高揚と共にその濃霧の中に入ろうとした、その時。 「死にたいの?」  背後から声をかけられ、びくりとした。  ここにアレス以外の者がいるわけがなかった。誰もが死の霧を恐れ近づかない。王国と帝国を結ぶ街道は誰も通らず、雑草が生い茂り原野に溶け込もうとしているありさまだ。   人間がいるわけがない。人間でないならば、天使だ。 「何者だっ!?」  振り向くとそこにはやはり、天使がいた。  白い、ボタンのない長い外套を着ている。裾がやや広がる外套の下、黒いブーツに覆われた脚が覗く。胸には左右三枚づつ、六枚の羽の絵が銀糸で描かれていた。  天使達の兵服なのだろう、「地獄の六日間」で他の天使達も同じものを着ていた。  背中には勿論、二枚の羽が生えていた。あの六日間何度も見て目に焼き付いている、無色透明の一対の羽。  しかし、随分と小さ目の羽だった。  天使は普通、自身の身長と同じくらいの大きい羽を二枚持つ。  なのに目の前の天使の羽は、正面から見てかろうじて肩からはみ出す羽が確認できるほどの大きさだった。  こんな小さい羽の天使は、見たことがなかった。 (子どもの天使、なのか?)  だが顔つきは、二十歳のアレスとそう変わらないように見えた。二、三歳下程度だろうか。  紫がかった不思議な風合いの金髪を、後ろで一つに結んでいる。後れ毛が顔の両脇に落ちかかる。瞳の色は淡い青紫。  一瞬、少女かと思ったが声は男声だった。ちなみに地獄の六日間で多くの天使を見たが、全て男だった。  だがそれにしても、女と見紛う美貌の天使だった。   金色の睫毛に縁取られた大きな瞳、形のいい鼻と桃色の唇。まるで絵画から抜け出てきたようだ。  体型も華奢だった。身長はアレスより頭一つ小さい。細い腰に、薄い胸板に、狭い肩幅。どこか庇護欲をそそられるような……。  アレスは我に返った。  自分がこの天使に見とれていることに、やっと気がついたのだ。  気を取り直すように一つ咳払いをすると、不遜な態度で言った。 「ふん、天使のお出ましか」    天使は再び口を開いた。 「知らないのか?そこから先は天使の領域、神域だ。人間はその霧の結界の中に入ったら骨になってしまうぞ」  アレスは質問には答えず、一番気になることを聞いた。 「お前は子どもの天使か?」  天使はにわかに赤面する。 「はぁ!?僕が子どものわけないだろ!」 「じゃあその小さい羽はなんだ?」  素朴な疑問をぶつけただけだが、少年の顔色はみるみる変った。赤くなったのが青くなり、両腕をぷるぷるとふるわせる。 「よ、よくも!」 「ん?」 「よくも羽のことを言ったな!人間ごときに言われるなんて!!」 「聞いちゃ駄目だったか?」 「黙れ!僕は神域周縁部警備兵、レリエル!侵入者は排除する!」  アレスは呆れ、鼻で笑った。 「侵入者だと?それはお前らのことだろう?ここは俺たちの王国だ!」 「そうか、神域に侵入するつもりなんだな。どうせ霧の力で死ぬが、今殺してもいいぞ!」  ……来る。  アレスは身構えた。  天使との初戦闘だ。

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