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第69話 熱血騎士団長と冷血宰相

「ありがとなヒルデ!こいつすごい役立ったよ!言われた通り、死の霧でも死ななかった」  傀儡工房村襲撃からトラエスト城に戻ってきたアレスは、宮廷魔術師長の執務室でデポをヒルデに返した。デポは疲れ切った様子でスヤスヤ眠っている。  ヒルデはそんなアレスをまじまじと見つめた。妙な反応にアレスは戸惑う。 「な、なんだよ、なんか言えよ」  ヒルデはふう、とため息をついた。 「いや、拍子抜けした。全く、人の気も知らんで……」  アレスは間を置いてから、あっと声をあげた。 「お前もしかして、無茶苦茶心配してた!?」  ヒルデは顔をしかめて舌打ちをする。 「なんだその言い草は!本当にお前という奴は!だがまあ、よくやった、レリエルもな。光速移動(フォトン・スライド)があるから大丈夫だろうとは思っていたが」  レリエルが肩をすくめる。 「『勝算』の中身、分かってたのか」 「当然だ」  と不遜に言った後でアレスを見つめ、独り言のように呟く。 「しかしお前は何故、あの死の霧を抜けることができるんだろうな……」 「え?俺は(セフィロト)攻撃食らっても死なないのと同じ理屈じゃないのか?俺の魂は強いんだろ、他の人より」 「『地獄の六日間』で最初に天使に攻撃を受けた時、お前は死にはしなかったが、気絶はしたのだろう?攻撃により|魂《セフィロト》が損傷したということだ。だが同じく『地獄の六日間』で死の霧を通り抜けた時、お前は肉体にも魂にも、傷一つついていなかった。体の一部が白骨化しつつなんとか通り抜けた、なら分かるが。お前はまるで、死の霧に『耐えた』のではなく、死の霧に……」 「な、なんだ?」  ヒルデはしばらく眉間にしわを寄せていたが、やがて首を振った。 「いや、なんでもない。とにかく無事で良かった。ほら早くキュディアス殿に報告に行け。先に上官の元に行くのが筋だろう」 「いや通り道っていうか、ヒルデの部屋の方が近かったから立ち寄った」 「なんだそれは」  ヒルデは呆れ顔で、アレスとレリエルの二人をしっしと追いやるように手を払う。  ヒルデの言葉の続きは気になった。何か非常に重要なことであるような気がした。  だがキュディアスへの報告を急がねばならないのは確かなので、後ろ髪引かれながらも、そのまま宮廷魔術師長の部屋を後にした。 ※※※  第四騎士団長の執務室。  キュディアスはアレスの両肩をひしと抱いて、背中をたたき、労いの言葉をかけてくれた。 「まさか本当にやり遂げるとはな!死の霧の中への潜入成功、敵基地破壊成功、よくやった!」  アレスはガタイのいいキュディアスに抱きすくめられて苦しげに、 「お、お褒めいただき光栄です!けど、ちょっと痛っ」   「おっと、悪い悪い」  キュディアスは身を離すと、伏し目がちに深く息をついた。 「正直、もしかしたら戻って来ねえんじゃねえかと気が気じゃなかった。よく戻ってきてくれた」  その様子は本気の心労をうかがわせた。 「ご心配おかけしました」  ドンと行って来い、などと言いながら実はこれほど心配してくれていたのだ。アレスは気恥ずかしげに頭を下げた。 「とりあえず今日は、体を休めてくれ。レリエルもな」  そう言ってキュディアスは、アレスの隣のレリエルにも微笑みかけた。 「え?ああ……」  レリエルは照れたように後れ毛を耳にかけた。  キュディアスへの報告を済ませ、王宮の廊下を歩きながら、レリエルが言う。 「優しい上官だな。お前は恵まれてる」  アレスはイヴァルトを思い浮かべながら、頭をかく。 「ま、まあな。っていうかレリエルの上官あれは異常すぎるぞ?」 「イヴァルト様だけじゃない、だいたいあんな感じだ。優しそうな上官って言ったら、職人たちの親方のカサドくらいかもな」 「まあ人間にだってそりゃあ、怖い上官はいる……」 「アレス君!?」  突然声をかけられ、前方を見た。  廊下の向こうから宰相のジールがやってくるところだった。  ジールは二人の姿を認め、いつものニコニコ笑顔で近づいてきた。ジールの方が背が低いのでアレスを見上げる形になる。 「聞きましたよ、成功したと!本当に良かった」 「はい、宰相に許可をいただけたおかげです」  頭を下げるアレスに、ジールは確認をした。 「職人天使は全部殺せたんですね?」 「……え?」  出し抜けな質問だった。  ジールは、おや、という表情で首をかたむける。 「ですから、死霊傀儡を作る能力のある者たちを、全て殺したのですよね?」  予想外のことを問われアレスは焦る。 「い、いや、一人も殺してません。ただ、全ての材料を破壊したのでもう……」  ジールの瞳がすっ、と冷たい光を帯びた。  口元だけは笑顔だったが。 「なんと……。それはそれは……。それじゃあ、意味がないのではないでしょうか?」 「えっ……」 「材料がそれだけという確証はありますか?死霊傀儡の襲来をなくすためには、死霊傀儡を作れる者たちを、皆殺しにするしかないじゃありませんか。あなたはそのつもりで赴いたのではなかったのですか」  アレスはどもりながら、 「し、しかし彼らは非戦闘員で、人を殺したことがない連中で!」  ジールの口元から、偽りの笑顔すら消えた。 「だからなんですか?」 「っ……」  アレスが絶句し、ジールが一つため息をついた。 「ひどい理由ですね。全く、ひどい理由です。あなたの目的は、敵の死霊傀儡生産力を無力化すること。この目的の為に全力を尽くしていただきたかったです」 「ご……ご期待に添えず、申し訳ありません……でした……」  アレスはカラカラの喉からなんとか声を絞り出す。 「いえいえ、これは私の責任です。出立前に、しっかりと意思伝達すべきでした。まさかこんな当たり前が分からないなんて、思いもよりませんでした。まったく失望しました。いえ、あなたに失望したのではありませんよ。あなたの愚かさを見抜けなかった私自身に、失望したのです」 「……」  アレスは冷水を浴びせられたような顔をして、喉を通る言葉すらなく硬直した。  ジールは追い討ちをかけるように一言、囁く。 「正直、残念です。民を守りたいというあなたの覚悟が、そんな程度のものだったとは」  ジールはぽん、とアレスの肩に手を置くと通り過ぎ去っていった。  ずっしり体に重りをぶら下げたような面持ちで、アレスはその場に立ち尽くした。  レリエルがクスッと笑った。 「やっぱり人間も一緒だな。ムカつく上官はどこにでもいる」 「う……」  レリエルはおかしそうに、青ざめるアレスの腕をとって歩き出した。  アレスの足取りは重い。  二人は皇宮の中庭に出た。  澄んだ池の中で色鮮やかな魚たちが泳いでいた。水面に映る雲の影と蓮の葉のコントラストは清涼かつ幻想的だった。  レリエルは列柱に囲まれた、大理石のベンチに腰掛けて足をぷらぷらさせた。 「僕、この庭も好き。下界にしては、空間が綺麗だからな」 「……」  アレスはまだ落ち込んでいる。  そんなアレスを横目で見て、レリエルが呟いた。 「僕も、本当は驚いてた。なんでお前は職人天使たちを殺さなかったんだろう、って」 「そ、そうだったのか?」  うん、とレリエルはうなずく。 「だってお前、天使を憎んでいるじゃないか。きっと殺したくて仕方ないはずだって思ってたから」 「前は確かに、そんな感じだった。全員、殲滅してやるって思ってた。でもレリエルと出会って、人間とあんまり変わらない連中なんだって分かったら、なんていうか、冷静になっちまった。今だって憎いし許せないし怒りは絶対に消えない。でも……。だからって無駄な殺しはしたくない、って思うようになった」  レリエルはうつむいて、池の蓮を眺めたまま、しばらくじっと何かを考えていた。  やがて口を開く。 「……ごめんなさい」 「え!?なにがだ?」 「天使が沢山の人間を殺して、ごめんなさい」  アレスは、はっとしてレリエルを見た。レリエルはとても悲しそうだった。  周囲を見渡すが誰もいない。誰にも聞かれてはいない。  アレスは小声で答えた。 「でも、お前は人を殺してないんだろ」 「たまたまだ。僕はたまたま、目覚めの時間が遅かっただけ。もし、皆と同じように目覚めていたら、皆と同じように沢山の人間を殺していた」  アレスは二の句が継げなかった。無言のまま、目線を地面に落とす。  もしも、の話。  この「もしも」は、アレスがなるべく考えないようにしていた話だった。  でも、分かっていた話。目をそらしても変えられない事実。  もしも目覚めの遅れという偶然がなければ、レリエルもまた虐殺者だっただろう。 「さっきのムカつく上官が言ったとおり、お前は確かに甘いのかもしれない。天使の僕が言うのもなんだけどな。でも僕は、お前が職人たちを一人も殺さなかったのを見て、驚いて……分かった」 「何を……?」 「これが『人間』なんだ、って」  レリエルはベンチから立ち上がると、アレスの正面に立った。上に手を伸ばし、アレスの頬を挟む。  アレスを見上げるその眼差しは、憧憬の色に染まっていた。尊いものを慈しむように。 「人間……お前たちはとても優しい生き物だ。こんな善良な存在を滅ぼすなんて、天使は本当に、高次生命体なんだろうか」  アレスはその言葉に息を飲む。 「滅ぼす……!?」  レリエルは唇をかんだ。アレスから手を離し、後ずさりする。両腕で自分の体を抱え、目をそらしながら呟く。 「天使は……星々を浄化して渡り歩く、神の御使い……。低次生命体を浄化し、汚れた下界を次元上昇し天界に生まれ変わらせる……。それが高次生命体として、天使が神様から授かった使命……」 「は……?なんだよそれ、どういう意味だレリエル!天使は人間を滅ぼそうとしているのかっ!?」  レリエルは苦しげに、無言でぷるぷると首を横に振った。口を引き結んで、もうこれ以上は話せない、と態度で示す。 「だめなのか……。まだ教えてくれないのか、なんでだよ……!なんでそこまで天使に義理立てするんだよ!」  レリエルは苦しげに片手で顔の半分を覆った。 「違う!天使にじゃない!僕は天使なんてどうだっていい!でも、神様だけは……。神様と戦うことだけは……!」 「かみ……さま……」  アレスは、はっとして口をつぐんだ。  これか、と思った。  アレスは今ようやく、レリエルの心の楔になっているものを理解した。

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