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第79話 宮廷の夜(2) 汚い政治家
「おやおや……」
参った、という風にジールは額を押さえる。
ヒルデは密偵虫 を入れた小瓶を光にかざしながら、
「こっちから向こうに密偵虫 を送ったことは何度かありますが、向こうから送られたことはなかったのですが」
ちなみに人間から送った密偵虫 は全て、天空宮殿あるいはカブリア王城に入り込もうとした時点で強力な結界に燃やされてしまい、情報収集に失敗してきた。
「そう言えば今日の会議でアレス君が、今までの死霊傀儡はイヴァルトという小物が送りつけていたもので、今日のはおそらくミカエルという大物が送りつけてきたもの、という話をしていましたね」
「ええ、その関係でしょうね。王宮を狙われたことといい、敵の動きが高度になってきている」
ジールがふと、何かを思いついた顔をする。
「……あ、でもこれで、天使にお手紙が書けますね」
「は?」
「密偵虫 にメッセージを託すことはできますよね。人間の密偵虫 だと破壊されますが、彼ら自身の使い魔ならば『大物』さんの所までメッセージを送り届けられるでしょう?」
「まあ、そうですな」
「じゃあ、お手紙書きましょう!……ただ文字が問題ですね。以前レリエル君に聞いたのですが、天使は人間の文字は読めないそうです。しかしなんで彼らは人間のしゃべり言葉を解し、話すのか不思議ですよね。理由を聞いたら『低次生命体が高次生命体のことを理解しようとしても無駄だ』と舐めたことを言われ少々イラっときましたが……」
「……」
「まあそれはともかく、レリエル君に代筆を頼む必要が、ありますね」
「レリエルならまだ城にいるでしょう。アレスと一緒に、第四騎士団の部屋かと」
「分かりました、来ていただきましょう。レリエル君には他にとても大事な話もありますし」
「あの、天使にどんな手紙を送るんですか?」
「『死霊傀儡を送られると困るのでやめてください。どうしたらやめてくれますか?』」
「……ストレートですね」
「どうせアレス君とレリエル君を差し出せ、って話でしょう。我々はもう分かっていますが、大臣達はパニックに陥っていて理解が追いついていない。だから天使ご本人にそれを言って欲しいんですよ」
ヒルデが合点がいった顔をする。
「そこまでして宰相は、アレスを大使派遣したいんですね」
ジールは肩をすくめた。
「それしかないじゃないですか。色々考えてみましたけど、他の方法が思いつきません」
「天使と交渉が可能だと?」
ジールはおかしそうに頭を振った。
「まさか!女王様含めた大物さんたちを全員、殺してきてもらうんですよ。で、『天界開闢』計画を阻止してもらいましょう」
「宰相は、天使が人類を滅ぼそうとしているとお思いですか?」
「もちろん。そんなのは最初から分かっていましたよ」
ジールは鼻息をふんと漏らす。ヒルデが目を|瞬《しばた》かせた。
「最初から?」
「『我々は天使、神の御使い。低次生命体、汝ら人間を浄化するために来た』そう、言っていたんでしょう?彼らはこの世界に来た最初の時点で、その目的を告げている。そして彼らはまだ、人間を浄化……滅ぼしていないじゃないですか」
ヒルデは眉を上げてジールをしばし凝視すると、やがて口元を緩めた。
「そう言えば、アレスを帝国騎士団に入れたのも、帝国に天使調査を始めさせたのも、あなたでしたね。私に、天使研究の為の時間と予算をたっぷりくれたのも。あなたが帝国宰相であることは、人類にとって不幸中の幸いだったのでしょうな」
ジールはふうむ、と顎に手をやってヒルデを見やった。
「前から思っていましたが、ヒルデさんって結構、ほめ上手ですよね」
「そうですか?」
「だって貴方、私のこと嫌いでしょう?」
「……まあ、はい」
ヒルデは一秒くらい躊躇ったが、肯定する。
ジールはいつもやり方が汚かった。
不穏な動きを少しでも見せた周辺国は、不当な開戦理由をでっち上げて侵攻し叩き潰す。
支配下に置いた国々への警戒も怠らない。忠誠心を試すように過重な朝貢を要求し、役人を潜り込ませ内政を注視し続ける。定期的に帝国の紋章入りの飛空船を飛ばすのは一種の威嚇で、民草にいたるまでトラエスト帝国の存在を威圧感をもって知らしめ続ける。
国内の政敵に対しても容赦はない。ジールを宰相の座から引きずりおろそうとした文官や武官は、次々とスキャンダルが持ち上がり失脚させられた。気づけば今要職に残っているのは、元学友のキュディアスのようなジールと昵懇の仲の人物か、ヒルデのような政治的に無害な人物のみだ。
逆らう者は皇族筋でも没落させられた。そもそもプリンケが皇位に就いているのもジールの|計《はから》いである。
三年前、不幸な事故により、まだ三十代の若さの皇帝が皇后と共に崩御した。
突然の事態に帝国は揺れた。
亡き先帝の一人娘、唯一の直系子孫とはいえ、まだ幼いプリンケの即位に難色を示す貴族は多かった。先帝の兄弟やその子息ら、近縁傍系筋同士の皇位継承争いに発展しかねない状況だった。
だがジールはあらゆる手段で対立候補を潰しプリンケを即位させた。プリンケは当時、わずか五歳だった。
「うるさそうな」成人男性候補者を全て潰したジールは、幼帝の摂政の座に収まり、プリンケ即位後にますますその権力を盤石なものとした。
そして「無垢な幼帝を担ぎ上げ、その威光を笠に好きなように振る舞う宰相」という歪んだ体制が続く。
潔癖なヒルデが、この人物に嫌悪感を感じないわけがなった。
ではなぜ彼がこのような汚い人物に従っているのかと言うと、手段はともかく目的は正しかったからだろう。
ジールの治世下でトラエスト帝国は最盛期を迎えていた。
ジールの鍛えた強兵は多くの戦乱を終わらせ史上最大版図を築き上げた。
内政では貧困層が漸次減少し、国の隅々まで豊かさが行き渡りつつある。
辺境の痩せた土地は灌漑事業で穀倉地帯に生まれ変わり、治安は改善され、市場は活気あふれ、蔑ろにされていた弱者は福祉政策で救済されるようになった。
国民はジールの「善政」を礼賛した。稀代の有徳宰相と呼ぶものすらいた。
自らの一族の権勢を広めようとすることもなく、驕奢な生活をするでもなく。
彼はただ国と民の為だけにその権力と才覚を使った。
この汚い政治家は、その一点のみは清廉だった。
ヒルデはその一点故に、ジールの下で働き続ける。
ジールは考え込むように天井を見上げた。
「私なんて、嫌いじゃない相手のこともあんまりほめてあげられない|性質《たち》なのに!私も魔術師長殿を見習わないとですねえ」
「無理しないで下さい。ただあんまりアレスの奴をイジメないでくれませんか」
ジールは微笑を浮かべる。
「お優し過ぎる彼には意識改革が必要なんです」
「意図は分かりますが、しかし」
「そんなに気にしてました?」
「してますよ。真面目なんですあいつは……宰相よりだいぶ」
「慰めてあげて下さい」
「もうしました。私に尻拭いをさせないで下さい」
「さすがですね」
言って、にこりとする。
「宰相も少しは反省を……」
「えっ、必要なくないですか?」
「……」
ヒルデの舌打ち交じりの半目に、宰相は首をかしげた。
「あ、私ってこういうところが嫌われるんですかね?」
「でしょう、ね。レリエル、呼ばなくていいんですか?」
「そうそう、レリエル君!」
宰相はポンと手を打ち、デスクの引き出しを開けた。通信用の鏡にまた、指をなぞる。今度はキュディアスの名前であった。
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