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第85話 天使の使命

 天空宮殿は一年半前、大勢の天使を引き連れてカブリア王国上空に出現した。  しかし現在、そこに出入りできる天使はたった二名だけである。  熾天使と呼ばれる最高位の天使、すなわち双子の兄ルシフェルと、弟サタンだ。  赤い死の霧の発生による「神域の形成」以降しばらくして、この双子以外の天使は、天空宮殿に出入りすることはできなくなった。  天空宮殿の中には「再生の間」と呼ばれる部屋がある。  そこは部屋と呼ぶことすらはばかられるような、奇怪な空間だった。  洞窟のようないびつな形の空間で、壁をびっしりと薄紅色の粘膜が覆っている。  どろりとした粘液が、常に上から下に滴って、びちゃり、びちゃりと音を響かせていた。  この空間の中心部、薄紅色の粘膜に覆われた巨大な卵が存在していた。  半透明の卵で、卵の表面、こちら側に向いている側だけは粘膜に覆われず、その内部をうっすらと晒している。  卵の中には、長い髪の少女の影が見えた。  体を丸めて眠る、裸体の少女。  その少女を、恍惚とした眼差しで、美貌の天使が見つめていた。  艶やかな黒髪と琥珀色の瞳、漆黒の羽を持つ天使、サタンである。 「感じるか?この胎動。我らが神、影すらも美しい……!」  その隣で、サタンと瓜二つの美貌を持つ、長い金髪の天使が頷いた。サタンの双子の兄、純白の羽のルシフェル。 「次は天界開闢の第二段階、神の再生だな。開闢の歯車は一寸の狂い無く動いている。受胎天使も既に……。ああなんという奇跡を我々は目の当たりにしているのだろう。全ては摂理通りだ。他の天使たちも、時が満ちるのを心待ちにしている」  つと、サタンは目を伏せる。 「他の天使たち、か。時々彼らが哀れになることがある」 「おや、それは何故だ?」 「彼らが知らない事もあるからな」 「秘儀とされる第四段階のこと、か?」 「……」  サタンの顔に暗い影が差した。ルシフェルはなだめるような口調で言う。 「お前は第四段階にこだわり過ぎている。万人が知る必要のないことはある。天界開闢の全てを知るのは、我ら熾天使のみ」 「ルシフェル、天使の使命とはなんだろう」 「どうした?そんなこと、子供だって知っているではないか。我々は星々を浄化して渡り歩く、神の御使い。低次生命体を浄化し、汚れた下界を次元上昇し天界に生まれ変わらせる。それが高次生命体として、我らが神から授かった使命だ」  サタンははるか遠方を見る目をして呟く。 「……侵略し、殺戮し、略奪し、寄生する者、ではなく?」  ルシフェルが息を飲む。気色ばんで咎め立てた。 「何を言うのだサタン!戯れ言のつもりか、下らぬことを!熾天使ともあろう者が、狂人の妄言のようなことを申すな!」  サタンはふっと笑う。 「無論、戯れ言だ。処刑されてきた狂った思想犯達の口真似をしてみただけさ」  サタンはルシフェルに背を向けると、つかつかと歩み去っていく。 「サタン、一体どうした……」  再生の間を出ていく弟の後ろ姿を見送り、ルシフェルは困惑した顔で息をついた。

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