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第86話 神剣

 ミカエルからの返信は、トラエスト帝国議会を大きく揺るがした。  満場一致でアレスたちを天使に差し出す……否、「交渉決裂時の戦闘を許可された全権大使」として派遣することが決まった。  派遣が決定されたその日に、トラエスト宮殿の玉座の間では大使任命式が行われた。  入り口から段上の玉座まで真っ直ぐ、水色の絨毯が敷かれた大広間。自然光差し込む大窓が並ぶ両脇の壁に沿って、白い列柱が立ち並んでいる。窓硝子の半分は天空神アントゥムの象徴である水色に彩色されており、透過する光を青空の色に染める。  空色の光に満たされた玉座の間は、まるで空の上にあるかのようだった。  アレスとレリエルは皇帝プリンケの前に(かしず)き御言葉を賜る。 「汝らに、対天使交渉の全権を授ける」  プリンケはそう言って、床に両膝をつくアレスとレリエルの額にキスをした。  重々しい声音で激励の言葉をかける。 「無事に戻るのじゃぞ」 「もったいなきお言葉、痛み入ります。必ずやお役目を果たしてまいります」  アレスは深く、(こうべ)を垂れた。  その隣でレリエルも、アレスと同じように振舞った。 「うむ……」  本来ならこれで任命式は終わりである。  だが、プリンケがこんなことを言った。 「この任命式、人払いをかけておいた理由は分かるか?」 「気になってはおりましたが、恐れながら皆目見当がつきません」  普通、任命式と言えば文官や武官の列席の元に行うものである。  なのに今、玉座の間には、アレスとレリエル、プリンケとその護衛のユーエンしかいなかった。  天上神殿のようなこの広大な空間には今、四人しかいない。  しかし玉座の間の扉の前には、宰相以下、大臣達がずらりと並び、物々しい様子で玉座の間に入るアレスに頭を下げてきた。  「何かあるな」とは思っていた。 「その理由を今から示そう。これから『授剣の儀』を行う。『授剣の儀』は最小人数で極秘裏に行われるしきたりでな」 「じゅけんのぎ……?」  プリンケはユーエンに声を掛けた。 「ユーエン、あれを」 「はっ。こちらでございます、陛下」  ユーエンが細長い木箱を手に、プリンケの前に進み出た。  プリンケの身の丈よりも大きな箱。  プリンケはその箱をユーエンに持たせたまま、箱を封じる紐を解いていく。  蓋を開けると、中には布に包まれた剣らしき物が入っていた。  プリンケは布を開き、鞘に収まる剣を片手に取り持ち上げた。自分より大きなその剣を、いとも軽々と。   「この剣、なんだか分かるか?見たことはあるか?」 「いえ、恐れながら一度も……」 「だろうな。余は皇位継承と共にこの剣の守護者となったが、皇帝すら見てはならないと言われている代物じゃ」  アレスは一瞬の間をおいて、瞠目する。 「まさか、神剣ウルメキアですか!?二千三百年前、聖者ウルノアが天空神アントゥムから授けられ、邪竜スピノティラノスを(ほふ)ったと言う、神器の剣……!?」 「それじゃ。よく知っておるの」 「世界一有名な剣ですよ!なあレリエル?」 「いや僕に振られても……。僕が知るわけないじゃないか。ウルノアって誰だよ」 「二千六百年前、竜の時代の復活を目論む邪竜スピノティラノスが現れ、人間の世を終わらせようとしたんだ。世に言う、竜族と人間の三百年戦争だ!」 「リュウの時代?」 「遥か古代、地上は竜族の祖先の 古代竜(キョウリュウ)に支配されていたんだ!古代竜達は隕石により滅亡し獣の時代が訪れ、そして今は人間の時代となった。時代にあらがい、地上を再び竜族のものにしようとしたのが、邪竜スピノティラノスだ!戦争の最終局面、スピノティラノスを倒し人類を救ったのが伝説の聖者ウルノア、初代トラエスト皇帝だよ!」 「ふ、ふうん……」  プリンケは神剣ウルメキアを横にして両手に持つと、アレスに差し出した。 「そなたに授けよう」 「お待ち下さい陛下!そんなわけにはっ」 「とは言え何しろ二千三百年も前のものだからの、もうボロボロかもしれぬ。そなた抜いてみよ。錆びついていたら拒否して良い」 「いやそういう問題ではなく!」 「言っておくが、貸すだけだ。後で返してもらうぞ」 「えっ、あっ、貸す……。……な、なるほど!ありがたき幸せです!」  ちょっと勘違いしていたアレスは顔を赤らめる。  ずいと押し付けられた剣を、アレスは両手で恭しく受け取った。  生唾を飲み込みながらそれを見つめる。  お伽話の中の存在が、今、手の中にある。  神から授けられた、という荒唐無稽な話を信じてしまいそうになる、不思議な感触であった。  大きさの割にぎょっとするほど軽い。プリンケが軽々と持ち上げていた理由が分かった。  白銀色の柄は一切の装飾なく、むしろシンプル。鞘は黒く、金で古代文字が書かれていた。 「抜いてみよ」 「か、かしこまりました」  アレスは、鞘からすらりと剣を抜いた。    水晶のように透き通る直剣であった。  錆などどこにもない。そもそもこれは、金属なのだろうか?  だがその未知の素材の剣身が、とても鋭利であることは分かった。研ぎたての鋼よりずっと鋭くで丈夫であろう。それは騎士としての直感だった。  動かしてみればキラキラと、向こう側の風景が光を伴い透けて見える。  その反射光は柔らかく神聖で、あらゆる邪悪を清める気がした。  アレスはひと目見て、その不思議な剣に惚れた。 「……抜けたか」 「は?」 「見るな、と言われると見たくなるのが人情での。実は歴代皇帝の半分くらいが、その禁断の神器を一目見たくて鞘から抜こうと試みた、という伝説が残っているのじゃ」 「な、なんと言いますか人間らしく微笑ましい伝説?でございますね……」 「ちなみに余も試した。何しろ子供なのでな、好奇心に抗える訳も無いと思わんか?」 「あ、はい、ごもっともでございます」 「それで余を含めて、歴代皇帝、誰も鞘から抜く事は出来なかった。それを今、そなたが抜いたのじゃ」 「左様でございま……え?」 「聖者ウルノアの子孫たる我が一族が一度も抜けなかった剣。それを二千三百年ぶりに、今そなたが抜いたのじゃ」 「……」  なんと言葉を発すればいいのか分からなかった。まず思ったのは、きっと冗談を言っているのだろう、ということである。 「その鞘の金文字はこう言っている。『厄災の時、救世の主が現れる。我が子孫は代々この剣を守護し、時が満ちたら救世の主にこの剣を授けよ』。つまり我が一族は、その剣の使い手ではなく守護者であり授け手なのじゃ。故に鞘から抜けぬ。我が一族は今そなたにこの剣を授けるためだけに、その神剣を継承して来たのじゃ。二千三百年間な」 「え……あ……う……」  アレスの理解が追いつかない。あの有名なお伽話の神剣は、自分の為に継承されてきた?二千三百年の時を超えて?  プリンケが子供とは思えないほど凛とした声音で言う。 「そなた確かに、天空神アントゥムと連なる神々が地上に遣わしたもうた救世主である!神々の導きによりて、いざ敵を殲滅し世を救え!それが神々の第一の信徒たるトラエスト皇帝の望みである!」 「うっ、か、かしこまりました!かな、必ずっ、ご期待にお応えいたします!」  プリンケはクスリと笑った。アレスの焦りまくった顔を見ながら、呆れたように言う。 「祖父らも、救世の主にこんなウブな反応をされるとは、思ってもなかったろうのう」   「も、申し訳ございません!」 「なに、構わぬ。(まこと)の英雄というのは、案外こういうものなのだろうな。しかし伝承によると『空色の剣』のはずなのだが、無色透明とはのう。やはり長い年月で色あせてしまったか。……さて、さっきから退屈そうなレリエルよ」  ちょうど小さな欠伸(あくび)をしていたレリエルは、恥ずかしそうに手で口元を押さえた。  ユーエンが忿怒の目でレリエルの欠伸を見ているのに気づき、身を竦ませる。 「わ、悪かった気をつける」  プリンケにと言うより、ユーエンに謝る。 「そなたはなんで、大浴場に来ないのじゃ?」 「「は!?」」  アレスとレリエルが同時に聞き返した。  プリンケは意味ありげに微笑むと、声のトーンを落として内緒話のように言った。 「余はそなたと風呂に入りたい。そなただって入りたいだろう?羽根が生えていても良いではないか、余が気にするなと言えば皆、気にしない。余は皇帝じゃからの」  アレスは青くなり、レリエルが驚き尋ねる。 「な、なんでそれを知ってるんだ!?」  ぷっ、とプリンケが吹き出した。  イタズラが成功した子供のように、お腹を抱えて笑う。いや実際、子供なのだが。 「あっはっは!やっぱりそうか、そなた天使なんじゃな!カマをかけたんじゃ、引っかかったのう!」  笑い過ぎの涙まで流して腹を抱えて笑い続ける皇帝に、アレスとレリエルは唖然とする。  さてユーエンは……いつもの無表情のままだった。 「大丈夫、誰にも言わぬ。ただ戻って来たら必ず、共に風呂に入ろうぞ!」  レリエルはアレスに問い掛ける目線を送った。アレスは額を抑えてうなだれながら、もうどうにでもなれといった風に、ウンウンと首を縦に振った。 「わ、分かった。一緒に入るよ、風呂」  プリンケは嬉しそうににっこりした。屈託のない輝く笑顔で、 「楽しみにしておるぞ!」

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