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第91話 裏切り
トラエスト城敷地内にある、宮廷魔術師長の居住邸の呼び鈴が、音高く鳴らされた。まだ早朝、執務時間前である。
「ヒルデ!ヒルデいるか!?」
アレスは呼び鈴下のラッパ、内部と外部の音声通話機に向かって怒鳴る。もどかしい思いで待っていると、玄関扉が自動で開いた。
アレスは飛び込むように中に入り、勝手知ったるで真っ直ぐダイニングルーム向かう。ヒルデはダイニングテーブルの椅子に腰かけ、独特な香りの茶をすすっていた。
「なんだ朝っぱらから血相を変えて……」
アレスはつかつかと歩み寄ると、テーブルにどんと両腕をつき、あえぐように言った。
「レリエルが……!レリエルが消えた!いなくなった!」
「……落ち着け。説明しろ」
「えっとその、よ、夜明け前にうちのアパートに死霊傀儡がやって来て戦闘して、そいつらは倒したんだ。でその後レリエルと色々話したんだよ。かなり重要な話を、アパートの屋上で。話してその後部屋に戻って、俺もレリエルも仮眠を取ろうってことになって、寝た。死霊傀儡にソファぶっ壊されたから俺は床で毛布にくるまって。で一眠りして起きたら、レリエルがいない。部屋中どこにもいない!」
「散歩にでも行ったんじゃないのか?」
「いいや、レリエルは一人で外に出かけたことなんてない!それに……」
アレスはポケットから天使感知器のペンダントを取り出し、テーブルに置いた。
「レリエルのだ。これが置いてあった。俺の枕元に!」
ヒルデは茶を入れたカップを置くと、アレスの置いた天使感知器ペンダントをつまんで眺めた。そして長い前髪を指で耳にかける。
「なるほど。ついに裏切られたか」
「は!?」
「天使からなんらかの形で接触があったんだろう。天使側に戻って来い、というような」
「天使側に?バカな、死にに行くようなもんだ!奴らレリエルを許して生かしておくような甘い連中じゃないぞ!」
「じゃあ追跡してみるか?俺の透視で」
ヒルデは立ち上がり別の部屋に行くと、水晶玉を持って戻って来た。テーブルの上に布を置きその上に設置し、椅子に座る。
呪を唱えながら両手をかざすと、水晶玉が淡く光り出した。やがてその中に、映像が浮かび上がって来る。
小さい羽根の天使が、飛空していた。
「レリエル!飛んでる!?」
ローブ姿ではなく、最初に出会ったときの、天使の兵服を着ていた。
「ああ、飛んでるな。見ろこの光景を。どこを飛んでいるか、分かるな?」
アレスは顔をしかめた。
水晶玉の中、飛ぶレリエルの周囲に展開している風景。それはカブリア王国民なら誰もが見慣れたラック大山脈を望む、荒れた原野だった。
「帝都からカブリア王国に向かう街道上……」
しかも、
「既に赤い霧のドーム目前だな。ああ、もう着いた、飛ぶのが速いなすごいスピードだ。……おっと、霧の中に入ってしまった。すまんな、あの霧の中は俺の透視の力が及ばない」
ヒルデは手をかざすのをやめた。水晶玉の中の映像は消失した。ヒルデは肩を揉みながら回し、息をつく。透視はかなりの力を消耗するのだろう。
アレスは拳を握りしめ、既に映像の消えた水晶玉を睨みつけている。
「レリエル……」
何があったのかは分からないが、連中がレリエルを殺さないわけがない。一人で死地に向かうなんて、なんてことを。
「助けに行かねえと!」
「裏切られたのに?」
アレスの言葉にヒルデはふっと笑った。アレスは思わず大声を出した。
「裏切られてなんかない!レリエルは天使に唆 されたんだ!」
「分かった、分かった。会って確かめるしかあるまいな。どうせ助けに行くんだろう」
ヒルデはおかしそうに言う。
その、からかうような様子にアレスは不意打ちを食らう。ヒルデをまじまじと見つめる。
「お前……お前も本当は、レリエルが裏切ったとは思ってないんだな?」
「さあな」
ヒルデは飄々とした顔で水晶玉を脇に寄せると、陶器のティーポットから自分のカップに新たな茶を注ぐ。
「ヒルデ……」
アレスは表情を緩める。
ようやく、落ち着きを取り戻した。
「そうだな、会って確かめる、それだけだ。俺は別に裏切りだって構わない、とにかく無事でいてくれればいいんだ。今すぐにでもカブリアに向かいたい」
「まあ待て、たとえ天使がレリエルを殺すつもりであっても、着いてすぐに殺されることはないだろう。俺が天使なら、生かしておいて利用する。少なくとも貴様を捕らえるまでは」
「うう、しかし……」
「立場を忘れるなよ、全権大使殿。未明にレリエルと話した『かなり重要な話』ってのは、なんだ?」
「あっ……、そうだな。話さねえとな」
アレスはレリエルに言われたことをそのまま、ヒルデに伝えた。
最後まで黙って聴いていたヒルデはげんなりした様子で言う。
「交渉とかいうレベルの話では、なさそうだな」
アレスも苦々しい顔つきでうなずく。
「天使が霧の中から出てこられないのは、プラーナつまり神気が彼らの生存に必要で、神気が充満しているのはあの霧の中だけだからだ。だから神気で地球上を覆ってしまおうとしてるんだ」
「神気を空気と置き換えれば分かりやすいな。もし我々人間が、空気の無い世界に行ったならば、その世界を空気で満たしたいと思うだろう」
アレスは神域の中の凄まじい神気を思い出した。世界中に散らばる殺人天使も絶望でしかないが、あの濃密すぎる神気も絶対に駄目だ。あれ程の神気が地上に溢れたら、強靭な魂を持つ一握りの人間以外、多くの人間が即死してしまうだろう。
アレスは拳を額に押し当てながら言った、
「『次元上昇』はつまりこの地球を奴らの生存可能な状態に改造 すること、そして『天界開闢』は……」
「神域の形成、すなわち地球に基地を作り、そこから地球改造に至るまでの一連の事象の呼び名、なわけか」
アレスはいつかのレリエルとの会話を思い出す。
『無理だ。天界は炎に焼かれ闇に閉ざされてしまったから』
『とにかく、天使はもう、天界には戻れないんだ……』
「天使たちはもう元の住処、『天界』に戻れないと言っていた。だから地球を奪い新たな住処にしようとしている。連中は種 としての生存を賭けて、それを行おうとしているんだ」
そこに交渉の余地など、あるわけがない。
「その『次元上昇』なる地球改造を行えるのが、神の生む子供達な訳だな。恐るべき子供らを生む前に、神を殺すしかあるまいな」
「ああ、でも、それだけで解決するかどうか」
アレスは難しい顔をした。
「と、言うと?」
「一つの個体が死んだだけで滅亡する、なんて生物は、この世に存在しない」
「なるほど」
「神を殺してもきっと、なんらかの方法で奴等は繁殖が可能なんだと思う」
「だが、しかし」
「分かってる。それでもひとまず神を殺さなきゃな。とにかくあの場に行って、天界開闢のぶっ潰し方を見つける!」
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