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第96話 監獄(1) 伝えられなかった想い
ダチョウ型のデポに乗って、アレスは鬱蒼とした森の中を北上していた。
傀儡工房の襲撃時も感じていたが、神域内では植物の成長速度が早まっているようだ。ただの雑木林程度の規模だったところが、森と呼べるレベルにまで拡大している。
ただこの鬱蒼とした森は、身を隠しながら疾走するのに役立った。
今の所、天使には遭遇していない。
森を抜け、開けた草原に出た。アレスはデポを走らせる。「あそこから落ちないように気をつけよう」と思いながら。
ある地点でアレスが叫んだ。
「止まれデポ!」
言うと同時にデポは足を止める。慣性の法則でずずっと前滑りしたが。
アレスはデポから降り歩を進めると、眼下を見下ろした。
奈落の底……とまではいかないが、ひゅっと背筋が凍るような、切り立った崖になっていた。
大地に穿たれた巨穴があった。
直径百メートル程の丸い大穴で、円周部分の切り立つ垂直な壁は、高さ三十メートルはあるだろう。
巨大な穴の底に、六角形の建物があった。
ルヴァーナ監獄。
牢、処刑場、拷問部屋等を備えた石造りの建物で、六角形の角に六本の監視塔を有する。
「デポ、飛行形態だ!」
「クルックー!」
巨大鳩に変化 したデポにまたがり、アレスはその堅牢な牢獄を見据える。
「どう行ってもあの塔から丸見えだな。だから……正面突破だ!」
「大丈夫カ?」
「お、心配してくれてんのか?」
「イヤ、オレサマノ身ガ心配ナンダ!」
「そ、そうだよな、うん。……なんかうまいこと、逃げ隠れしててくれ!」
「ナンダソレハ!命ヲ賭ケテ、オレサマヲ守リキレ!」
「う、うん多分……」
「マッタクモウ!」
文句を言いながら、デポは崖上から飛び立つ。そして大穴の底の監獄へと、まっすぐ降りていった。
※※※
レリエルは薄暗い独房で、膝を抱えてうずくまっていた。
その両手、両足は鎖で繋がれている。手首と手足の金属の輪は、拘束具としてのみならず、装着された者の咒法――天使にとっての魔法――を制御する効果もあった。
これをはめられている以上、レリエルには例えば光速移動 で逃げることもできない。逃げる気もなかったが。
冷たい床の感触が、体を芯まで凍えさせる。無論、凍えているのは体だけではない。
(もうすぐ僕は、羽を切られて化け物になる。寿命が尽きるまでずっと激痛に苛まれる、最も忌むべき化け物に)
「下界」の出来事が、頭の中で駆け巡る。
(アレス……)
レリエルから漏れたのは、小さな微笑とこんな言葉だった。
「楽しかったな……」
じわりと涙がこみ上げて来た。
愛してると何度も言ってくれた。
たくさん……抱いてくれた。体も心も蕩けるような喜びを教えてくれた。
一生を共にしたいとすら、言ってくれた。
「ぷろぽーず」と、言っていたっけ。
幸せだ、と思う。
生まれてはじめて、生まれてきてよかったと思った。
だからもう、死んでいい。
化け物になってもいい。
一生分の幸せをアレスにもらったから。
レリエルは抱える膝に頬をつけ、一筋の涙を流した。
(神様ごめんなさい、僕はあなたを裏切りました。どうか僕を裁いて。でも僕は……幸せでした。罪深い僕は、どうしようもないくらい、幸せでした)
一つだけ後悔があるとすれば、想いを伝えられなかったこと。
愛をもらってばかりで、一度も返せなかった。
もう二度と、伝えることはできない。
ラファエルは自分を囮と言ったが、助けになど来るわけがないと思った。アレスはきっと、レリエルが裏切ったと思っているだろう。
アレスにとって自分はもう、人類を滅ぼそうとする、宿敵の側にいる。
レリエルはアレスの憎悪の対象。
全て自分の選択の結果、だが。
ちりちりと煩いくらいに胸が痛むのを、止めることはできなかった。
「最後に役に、立てたかな……?」
涙を堪えて囁いたその時、ガチャガチャと鉄の扉の鍵を回す音が聞こえた。
レリエルは緊張しながら顔を上げる。
扉をあけて、灰色の制服を着た看守天使二名が入室して来た。痩せたトカゲ顔の男と、太ったガマ顔の男。
レリエルは看守天使たちが苦手だった。どの看守天使も、瞳に狂気を宿した、残忍そうな顔つきをしていた。
それは全ての看守天使が、拷問官を兼ねているからだろう。
トカゲ顔の看守がレリエルの腕を取った。
「な、なんだ!?」
「処刑までの間、適当にいたぶっていいとミカエル様に言われてな。さあ拷問部屋に来るんだ」
トカゲ男は無表情なのに目だけが爛々と光っている。レリエルの背筋にゾッと悪寒が走る。
「やめろ!僕は神の裁きは受けても、天使の拷問なんて受けない!」
「残念だったねえ、お前はまず天使の裁きを受けるんだよう?」
ガマ顔の男が三日月のような弧を口元に描いて、気味の悪い声音で言う。
「やだっ……」
「往生際が悪いねえ?」
もがくレリエルを殴ろうとガマ男が手を上げた時。
けたたましい警告音が鳴り響いた。次いで監獄内に 拡声音 が響き渡る。
『敵襲!敵襲!力を持つ人間、アレスが来襲し監獄正面にて応戦中!苦戦につき援軍求む!狙いはレリエルの解放と目される、レリエルの身柄、完全拘束せよ!』
(えっ……?)
レリエルは耳を疑った。
なぜアレスがここに?
「大天使様のおっしゃった通り、ここに現れたか」
「うひひ、完全拘束だってよう。いいねえ、じゃあそういう拷問具で拘束してあげようねえ。羽以外は全部傷つけていいんだって!」
ガマ男は肥満した手でレリエルの髪の毛をつかんで揺すった。
「いっつっ……」
レリエルは痛みに顔をゆがめる。
「ああ楽しみだ。お前はその、羽が小さくて気持ち悪いところがすごくいいぞお?お前の醜さは実にソソラレル」
ガマ男は自分の顔をレリエルに近づけると、口を開いてべろんと舌を出し、レリエルの頬をなめようとした。
レリエルが恐怖に固まる。
その時。
ひゅん、と白く閃くなにかが飛んできて、ガマ男のこめかみに直撃した。
「ヴぇっ……」
それはダガーであった。
深々と頭にダガーを突き立てられたガマ男は、奇妙な音を喉から発すると、レリエルから手を離して、後ろにたたらを踏む。どさりと仰向けに倒れた。
はっとレリエルが振り向くと、独房の開け放たれたドアの向こう、アレスが立っていた。
ダガーを投げた格好で、肩で息をして、倒れたガマ男をものすごい形相で睨みつけている。
「あ、ありえねえっ……!その舌、ちょん切ってやりてえ!死体損壊の趣味はねえけどやりてえ!!」
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