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第102話 森の中
ルヴァーナ監獄から飛び立ったアレスとレリエルは、森の中に身を潜めることにした。巨大デポは流石に目立ちすぎるため、長く飛行はしていられなかった。
ダチョウ形態のデポに乗って入り込んだ森の奥、木立の丸く拓 けたあたりに止まった。柔らかな草が土を覆い、木漏れ日が緑の綾を作っている。
付近に誰もいない。天使感知器ペンダントも無色透明だ。
アレスはデポから降りた。
途端、緊張の糸が途切れ、アレスの体に、どっと疲労と痛みが押し寄せてきた。
木に手をつき、ハアハアと息を上げる。
魂構成子 残二つという状態での戦闘の、無理が祟っていた。
「アレス、辛いんだな!?座れ!」
レリエルはアレスの体を支え、草地に腰を降ろさせた。左手でその背中をさすりながら、右手を腹の上にかざし、唱える。
「治癒の咒 !」
オレンジの光とともに、暖かい気がアレスの身体中に染み渡り、痛みがすうっとやわらいでいく。
さすってくれる左手の動きと相まって、うっかり、恍惚としてしまいそうなほど心地がよかった。
「レリエル、回復魔法を……?」
「天使は魔法じゃなくて咒法 って呼んでる。神域の中に入ったから、今まで使えなかった咒法 がいっぱい使えるようになったんだ。ヒルデってやつ程の腕はないが」
自分を介抱してくれるレリエルの姿は、木漏れ日の煌めきの下でますます清らかで綺麗だった。
「いやヒルデに回復されるよりずっといい……。なんかこう、幸福度的なのが段違いだ……」
例えるならヒルデの回復魔法は医者の治療、レリエルのこれは奇跡体験。
「……怒られるぞ?」
「そ、そうだな、散々世話になったんだった、すまんかったヒルデ」
そうこうするうちに、アレスの魂構成子 が一つ回復し、残り三つとなった。
「もう回復した!」
「お前は回復力が強いんだな。それにここは神域内だから、外より魂構成子 の回復はずっと早い」
「なるほど、ここの濃密な神気のおかげか。ありがとな、だいぶ楽になった、もう大丈夫だ。レリエルだって戦闘してたんだ、疲れてるだろう?」
「平気だ」
とレリエルは言うが、本当は疲弊してるのがアレスには分かった。なおも回復咒法を続けようとするレリエルの手を掴むと、アレスは首を振る。
「大丈夫なのに……」
レリエルは術の発動をやめ、手を引っ込めた。
ちょこん、と二人で草地に座って並ぶ形になる。
「無理すんなって。ところでなんなんだ、さっきの金髪の、若い王様みたいな感じのやつは?」
「前に言った、熾天使のルシフェル様……三大天使よりさらに上に位置する、最高位の天使だ。今は、宮殿内でサタン様とお二人で神様のお世話をしてらっしゃる」
「ああそういえば言ってたな、双子の偉いやつか。なんで俺たちを見逃してくれたんだろう」
「僕にもさっぱり分からない」
正直、気持ち悪かった。不穏な予感しかしない。
だが分からないことを思い悩んでも仕方ない。まあいずれ明らかになるだろう、と思った。その時、対処するしかない。
「とりあえず置いておくか……。やっぱ宮殿の中に、神様がいるんだな。神様に会うためには、あの空飛ぶ宮殿の中に行かないとだな。天空宮殿まで、神様と話し合いに行こう」
「うん……。あのさ、アレス、あの……」
レリエルは瞳を揺らしながら、何かを言おうとする。
「キスしていいか?」
「えっ……」
アレスはレリエルの肩を引き寄せると、その唇に食らいついた。
「っ……!」
驚くレリエルの背中をぐっと抱きかかえ、唇を押し付け続ける。
柔らかくかすかに濡れた唇。だがその柔らかさを堪能すると言うよりは、己を激しくぶつけるような強引な接吻。
ようやく顔を離すと、レリエルは息苦しそうにはあはあと呼吸し、真っ赤な顔で見上げていた。
「アレ……ス……」
アレスは真剣な眼差しでレリエルを見つめた。
「もう絶対、勝手に遠くに行かないでくれ。何も言わず出ていくなんて、もうやめてくれ」
レリエルは頬を赤く染めたまま頷いた。
「わ、分かった……。約束する。もう……どこにも行かない」
アレスは微笑んだ。レリエルを抱きしめて額に頬ずりする。
「お前はずっと俺のそばにいるんだ。お前は俺の嫁なんだから」
「うっ……うん!」
アレスは恥ずかしそうなレリエルの髪をくしゃりとなでた。
「さあ、モタモタしてると夜になっちまうな。次の行動を決めないと」
既に日が傾き始めていた。
アレスはリュックの中から王国の地図を出して草地に広げた。
「俺たちが今いるのは、王国北部の中央付近の森の中だ。ミカエルとかは王城を拠点にしてるんだよな。他の天使達はどこにいる?」
「他の天使達も城にいる。ほとんどの天使が王城の中か、王城の近くに住んでる。傀儡村は例外だ」
アレスは顔を顰 める。
「つまり俺たちの王国の城を、うじゃうじゃ天使どもが占拠してると……。ほんとたまんねえなあ。まあそれはともかく、じゃあ王都以外の街や村は無人状態なわけだな。王都は南東部だからここからはかなり離れてる。そして天空宮殿は、王国のど真ん中上空、つまりここと王都の間にある、と」
言いながらアレスはポケットからペンを取り出そうとして、何かに気づいた。
「そうだこれ」
アレスはポケットから、天使感知器ペンダントを取り出してレリエルに差し出した。
「あっ……」
とレリエルは小さな声を上げる。
「必要だろ?」
いたずらっぽく振ってみせると、レリエルはどこか、ばつが悪そうな顔をしながら、こくんとうなずき、受け取った。
「ありがとう……」
そして首に下げる。
「これでまたお揃いだ」
「これをつけると、人間側に戻ったって感じがする」
「お帰り」
「うん……」
レリエルは、はにかみながら笑った。
「さて俺は宮殿に行きたいわけだが……。そうだ、神様は再生したんだよな、もう卵じゃないんだよな?」
「ああ、もうお生まれになった」
アレスはこめかみを抑える。どうもよく分からない。
「再生ってのは、具体的にはどういうことなんだ?」
「先の天界が滅んだ時に、神様は卵の姿におなりになった。卵の姿で地球まで来て、地球での長い分裂期間を経て、その卵が、ようやく孵化したんだ」
アレスは鶏で喩えて考えてみた。鶏が、卵に戻り、また卵から孵ってひよこになった、と言うことか。
「珍奇な生態だな天使ってのは……」
「今はまだ再生なさったばかりだから、少女のような見た目だ。これから成体におなりになる」
「成体に……。それが天界開闢の第三段階、『神の成熟』だな。第一段階、『神域の形成』。第二段階、『神の再生』。第三段階、『神の成熟』。第四段階が秘義で、第五段階、『神の産卵』。第六段階、『新生天使の誕生』」
「よく覚えてるな」
「まあ、な。あの天空宮殿に入る為にはどうしたらいいんだ?」
「直接入るのは無理だ。空を飛べる天使でもな。神域の形成以降は、宮殿の周囲に結界が張られている。宮殿に入る唯一の方法は、地上にあるたった一つの転送門を使うこと。サタン様とルシフェル様だけが入れる門だ」
「転送門……。どこにあるんだ?」
「宮殿の真下だ。神域の中央部、小高い丘の上にある、人間たちの作った石造りの建物の中に」
「アントゥム神殿か……」
「でももちろん閉じられてる。こじ開けるのは不可能だ」
「なにで閉じられてる?鍵?それとも魔法?」
「どちらでもない、もっと強力な燃料 を使って閉められてる」
「燃料 ?」
「プラーナを燃料 に変換してるんだ」
「神気 を燃料 に!?そんなことが出来るのか。そういえば根本的なことだが、なぜ神域内はこれ程、神気 に満ちてるんだ」
「神様が空間を浄化してくれるんだ。神様はそこにいるだけで空間が浄化される、そういう存在だ。神様からは常にプラーナが放出されている。卵の状態の時ですら。つまり神域の中央に浮かぶ宮殿から、神様の出すプラーナが見えない滝のように地上に降り注がれているんだ。でも神様からもたらされるプラーナで満たせる体積には限度がある。その限度がこの霧で覆われたエリアくらいなんだ」
「なるほど」
人間にも稀に、神気 を纏う存在はいる。高僧や聖人、あるいはトラエスト皇帝のような聖なる一族。そこに存在するだけで人々を癒すオーラを持つ人々。それの超絶強化版といったところだろう。
天使たちの神は彼らの生存に不可欠な神気 を生成する力まである。「神」と崇められるだけはある存在である。
「でも、燃料 変換されるプラーナは、神様から放出されるプラーナではない」
「違うのかよ!」
「天使の生存に必要なプラーナを利用して減らすわけにはいかないからな。燃料 用には、この地球にあるプラーナ窟から漏れ出るプラーナを使うんだ。地球のプラーナを装置で増幅して燃料 変換している」
「プラーナ窟!?ってなんだ?」
「お前は以前、『神気 に溢れる神気 スポット』があるって言ってたじゃないか。神殿や聖堂はそういう所に建てられるって。それのことだ」
「ああ、プラーナ窟って神気 スポットのことか」
「今、神域内のそういうスポット五つに装置が仕掛けられている。装置といっても、希石 と呼ばれる石が設置されてるだけのシンプルなものだ。希石 はプラーナを吸い上げて増幅させて燃料 に変換する力がある。希石 によって作られた燃料 が転送ゲートや王城、それから宮殿に送られて、様々な機械の動力源となってる」
「ふうむ……」
アレスはつまり、と言葉を繋いだ。
「つまり、その五つのプラーナ窟の装置をぶっ壊せば、燃料 を断ち切って転送門をこじ開けることが出来る……」
「そういうことだ」
アレスは思わず、レリエルの頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「なっ、なにする!」
髪をぐしゃぐしゃにされたレリエルが狼狽 える。
「レリエルは本っ当に有能な嫁だ!」
「そ、それはどういたしまして……」
「その五ヶ所の場所、分かるか?地図に丸をつけてくれ」
「ああ」
レリエルは王国地図に丸をつけていった。その場所を見てアレスは頷く。
「なるほど、どこも古代から聖地として崇められている、超のつく神気スポットばかりだな。じゃあこの五ヶ所、全部回ろう!」
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