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第113話 南下(2) 勅令

 テイム川の岸辺沿い。何かを探す様子だったアレスが声を上げる。 「あった、あった。ここだ、船着場!」    川岸からせり出すように、木の板床が設置されていた。  その周りにいくつかの小舟が浮かんでいる。  アレスは床板に乗って、身を屈めた。ロープを引っ張り、一艘の小舟を手繰り寄せる。 「よし、使えそうだな。(かい)もある」 「な、なんだこれ!?」 「何って、船だよ」 「は?フネってなんだ?」  レリエルの言葉にアレスは目を丸くする。 「お前、船知らないのか!?これに乗って、水の上に浮かんで、移動するんだよ」 「み、水の上を!?」 「おう。結構楽しいもの……」  その時突然、上空から金管楽器の音が鳴り響いた。  二人はハッとして空を振り仰ぐ。  朗々と響く美しい音色と、心を扇動するような高揚感に満ちた旋律。  音楽が今、天地を揺るがしていた。 「なっ……、これは!?」  わけがわからないという顔をするアレス。一方のレリエルは苦い表情で上空を見つめて呟いた。 「天使たちのラッパ……。勅令が来る……」 「勅令?」  音楽がピタリと止まった。  続いて、拡声された声が大音量で響き渡った。 「皆のものに告ぐ!  反逆者、矮小羽のレリエル及び人間アレスを殺害せよ!  繰り返す、レリエルと人間アレスを探し出し殺害せよ!  これはミカエル様からの勅令である!  全天使がただちに行動せよ!」  アレスは呆気にとられた後、呟く。 「おいおい、派手すぎんだろ……」 「ぶちぎれたなミカエル様……」 「急ぐしかねえな!」  アレスは小舟に飛び乗った。レリエルに手を差し出す。 「来い!」  レリエルは躊躇いながらも、その手を取り、初めて乗る「船」に足を踏み入れた。 「わわっ……」  足元がぐらりと揺れる。怯えた顔をしながら、レリエルはよたよたと小舟の中を歩んだ。 「そっち側、座ってくれ」 「う、うん」  アレスはレリエルを対面に座らせると、片足を船に乗せたまま、片足で岸を蹴った。ゆっくりと小舟は岸を離れ、川の流れに沿って南下を始める。  アレスは両手に持った櫂を動かし、船を進めて行った。 「よし、流れは速い。見つからなきゃいいが……。とりあえず水魔法で……」  アレスは漕ぎながら目を瞑り、意識を集中させ、呪を唱える。すると川の水面から霧が立ち上ってきた。レリエルが白く煙る周囲を眺めわたしながら言う。 「目くらましか」 「ああ」 「まさか川を移動するなんて、天使なら思いつかない。ちょうどいいかもしれない」 「天使ってマジで船に乗らないのか!?」 「だって乗る必要がない。飛べるんだから」 「天使ってつまんねえなあ」 「人間が不便なんだ!」 「どうだ?初めて乗った船の感想は」  問われてレリエルは、首をかしげた。もう乗り込んできた時のような怯えた顔ではなくなっている。  水音に耳を澄まし、揺らぎの感覚を確かめるように、じっと息をひそめた。 「不思議な感覚だ……。歩くのとも飛ぶのとも違う揺らぎ。水音をこんな間近で聞くの初めてだ。なんでだろう、心が落ち着く……」 「天使って泳いだりしないのか?」 「およぐ……?」 「海とかに入ってばしゃばしゃ……」 「海に入る?やるわけないじゃないか、そんな無意味なこと」 「海、嫌いか?」 「嫌いというか……。海なんて塩水だらけで飲料水にもならない、その存在になんの意味も無い大きな水たまりじゃないか」 「おいおい、生命は海から誕生したんだぞ?」 「えっ……?」 「天使だって昔昔、その昔は、どこかの惑星の海で泳ぐお魚だったと思うぜ」  レリエルはポカンとした顔をした。そして吹き出す。 「天使が魚だった?もう、何を言い出すんだ。そんな嘘に騙されると思うか?」  アレスは困ったように笑う。 「嘘って……。まあ自分に聞いてみな」 「自分に……?」 「水の上でなんか不思議な気持ちになるんだろ?きっとそれは、進化前の記憶が残っているからだ。いつか一緒に、海に行こうか。生命を育んだ海って意味、ちょっと分かると思うぜ」 「生命を……育んだ海……」  レリエルはその言葉に考え込むように、胸に手を当てた。  アレスは教師時代の生徒たちの反応を思い出し、微笑する。そういえば生徒たちも、初めて知った世の理に、レリエルのように驚いたり、信じられず笑い出したりした。けれど最後はいつも、初めて得たその知識に、深く何かを感じ入ってくれた。  だからアレスは科学が好きなのだ。  その時、遠くから爆発音のようなものが聞こえた。  音のした方、東側の森に振り向くが、周囲に立ち込める白い靄のせいで遠くが見えない。 「なんだ?」 「何かと僕たちを間違えて攻撃したんだろうな」 「動物もいないのに、何と間違えたんだか。連中も相当、焦ってるってことか」 「まあ次のプラーナ窟では確実に待ち伏せされているだろう」 「蹴散らすしかねえさ!」  アレスは櫂を漕ぐ腕に力を込めた。

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