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第125話 天空宮殿(2) 転生の間
浮遊感を覚える不思議な感覚の中、星空の螺旋階段を昇る。
やがて最上部に着いた。階段が終わり、星空の空間にかかる橋のように廊下が伸びていた。
橋のような廊下の端には、四角く光る入り口。
ルシフェルはその入り口へと入っていった。
アレスとレリエルは橋のような廊下を渡り、入り口の手前でその中を覗く。
全てが薄紅色の、六角形の部屋だった。
宮殿の一階が白水晶の空間だとしたら、ここは薔薇水晶 のような色味の素材で出来ているようだった。
だが水晶 素材にしては、柔らかそうな印象も与えた。
全体が濡れたような光沢があり、人体の内部のような、ある種のグロテスクさがあった。
ルシフェルがこちらを振り向く。
「どうした、中へ入っていい。神に会いたいのであろう」
そして入り口で佇んでいるアレスとレリエルに歩み寄った。
右手にレリエルの手、左手にアレスの手を持ち、招き入れるように引く。
「ほら、中へ、早く」
「あっ……」
レリエルはルシフェルに強引に引っ張られ、たたらを踏んでその空間に歩み行った。
だがアレスはルシフェルの手を振り払った。
ルシフェルはピンク色の広間に招き入れたレリエルの手を掴みながら、
「ほら、そなたも来るのだ、ドゥムジよ」
アレスは、その部屋から漂う微かな刺激臭が気になっていた。
おもむろに剣を抜くと、自らの左腕に、シュッと一筋の傷をつけた。血が流れ出す。
レリエルがびっくりして目を丸めた。
「アレス!?」
アレスは傷ついた左腕を、その部屋に向かって思い切り振った。アレスの赤い血が部屋の中に降る。
と、部屋の四方の壁から巨大ミミズのようなピンク色の触手が大量に吹き出して来た。触手は床に落ちたアレスの血痕に群がった。
触手たちは何かを探すようにうろうろしていたが、やがてそこに血痕しかないと分かると、またシュルシュルと引っ込んだ。壁の中に。まるで壁の一部のようだった。
ルシフェルの口元の笑みが消えた。不愉快そうな一文字になる。
アレスは鼻で笑った。
「まさか触手が出てくるとはな。人間がこの場所に入ったら、触手の出す毒にやられて『人形』にされるわけか」
ルシフェルは冷たく目をすがめる。
「本当によく知っておるな。一体、誰から聞いた情報なのやら」
「こんな危なっかしい部屋、入ってらんねえよ。神はどこだ、神を出せ」
「神に会って、どうするつもりだ?」
「神が死んだら選ばれた天使が新たな神になるらしいな。どうやって、普通の天使が神になるんだ?その方法が知りたいねえ」
「教えると、思うか?」
アレスはレリエルの顔をちらと見て、逸らす。心の中でレリエルに謝りながら、
「今の神が死ねば、お前らはそれをやらざるを得ないだろうな」
神を殺すことで、「新たな神を生み出す方法」を突き止める。そしてその方法を、抹消する。
そうすれば新たな神は生まれず、この世から神はいなくなる。そして天界開闢は阻止できるだろう。
レリエルは衝撃を受けた顔をした。が、何も言わずに俯いた。
ルシフェルは困ったように微笑んだ。
「随分と物騒なことを考えておるな。だがどう足掻こうと、摂理には逆らえぬ。そなたはドゥムジ。神に会うためにはこの部屋を通るしかない。神はこの部屋、転生の間の向こう側におられるぞ、我が弟サタンと共にな」
指差した先、入り口のちょうど反対側に、出口がアーチ型に穴を開けていた。
「そうか、教えてくれてありがとう。——霊体化防御 」
そして霊体化した体で、その部屋に足を踏み入れた。
触手は出て来なかった。
レリエルとルシフェルが驚き、目を見開いた。
ルシフェルがアレスを凝視して、ようやくある事態に気づき唇を震わせた。
「そ、そんなバカな!魂構成子 が既に十一個あるだと!?一度死に、儀式を経てドゥムジとして蘇る、そのはずだ!なぜ既にドゥムジの魂を持っている!」
アレスは質問を無視してすっと手をかざした。手の平にボワン、と直径一メートル程の透明な球体が生じ、ルシフェルの魂 を射抜く。
「ぐっ……!」
ルシフェルは顔を歪めて胸をかきむしった。アレスは舌打ちをする。大破魂 で八つしか魂構成子 を破壊できなかった。
「驚いたな。ミカエルも化け物じみた強さだったが、あんたはミカエルより遥かに強いわけか」
ルシフェルは青ざめて呟く。
「ドゥムジ……神と同等の力……!」
「じゃあもう一発……」
ルシフェルが叫んだ。
「光速移動 !」
その姿が、一瞬で消え去った。
アレスは目を瞬かせ、肩をすくめた。
「逃げられちまった」
アレスは、呆然としているレリエルを見て笑みを浮かべた。
「今ルシフェルに言ったのは、最悪のパターンだ。俺はまず神と話し合う。話し合って、この地球から天使たちを連れて出て行ってもらおうと思ってる。でも、もしかしたら話し合いはうまく行かないかもしれない。その時は戦いは避けられない……。だから、ごめんなレリエル、お前との約束……守れないかもしれないんだ」
レリエルは眉を下げる。泣きそうな顔になる。
「アレス……」
「監獄で神を殺さないと言ったのは、そう言わないとレリエルが一緒に来てくれないと思ったからだ。ひどい奴だろう、俺は。お前が欲しくて、お前を手に入れるために、残酷な嘘をついた。これは絶対に、お前の罪じゃない。俺だけの罪だ。お前はただ、俺に騙されただけだ。……だからもう、罪を背負おうとするなよ。それだけは、頼む」
「アレス、僕は……!」
「ここから先は、俺一人で行く」
「なっ……」
「レリエルに辛い場面を見せたくないんだ。行って、俺一人で神とサタンの二人と話し合って……もしかしたら戦ってくる。でも、必ず迎えにくるから。俺を恨んでも憎んでも構わない。もしお前がそうしたいなら、俺を殺しても構わない。それでも絶対に、俺はお前を迎えに来る」
「アレス、待っ……!」
「愛してる」
アレスはレリエルに歩み寄り、その唇に唇を重ねた。霊体化した肉体で、触れることのできないキスをする。
唇を離したアレスは、悲しみに顔を歪めるレリエルに微笑む。
一人、部屋の出口を出た。闇が広がっていた。
「アレス!!」
後ろ髪引くようなレリエルの叫びを無視し、アレスは全力で駆け出した。
闇の中をひた走った。闇の向こうにいる神を目指して。
どれほど走っただろう。霊体化防御 も時間切れ解除された。とにかく走り続けた。
やがて前方上方、楕円型の光が見えて来た。
アレスは楕円型の光の真下で、壁にぶつかった。ここが突き当たりのようだ。
かなり高い位置にある楕円型の光を振り仰ぐ。あれが入り口だろう、と思った。
飛ぶ者……天使だけが入れる入り口。
だがその時アレスは分かった。
(俺も飛べる……。飛べるようになってる……)
アレスは飛び上がった。跳躍ではなく、飛翔であった。
羽も無いのに、まるで天使のように飛翔する。
(やっぱり飛べた)
アレスは楕円型の窓の前で空中停止した。
近くで見ると、かなり大きい窓だ。左右三枚ずつ、六枚の羽の影絵が描かれている。
アレスはその楕円に触れようと手を伸ばした。
すると下の方から、
「アレスっ!!」
見下ろすとレリエルがいた。レリエルも飛翔し、宙に浮かぶアレスの隣に並んだ。
「レリエル、お前……!」
レリエルは怒った顔でまくし立てた。
「本当は知ってたよ、アレスが嘘をついてるって!本当は神様を殺すかもしれないって、その選択肢は排除されてないって、分かってた!でも目をそらして、信じるふりをした!僕はただの弱虫だ、裁かれようとしたのだって、ただ自分の罪の結果を見たくなかっただけなんだ!ただ死んで、全てから逃げようとしたんだ!」
「そんな風に言うな、レリエルは何も悪くない!これは俺だけが背負うものなんだ!」
「いいや、僕の選択で、僕の責任だ!僕はもう逃げない!僕の行動の結果を、今からちゃんと見届ける!何があっても全部、受け止める覚悟は出来てる!だから……」
そこで言葉を切って、泣き顔になる。
「だから、置いていかないでくれ……!僕を一人にするなよ!僕はアレスのヨメなんだろっ!」
声を枯らして、レリエルは叫んだ。
「レリ……エル……」
アレスはぐっと涙を飲み込むと、空中でレリエルを抱きしめた。その耳元に唇を押し付け、額に頬ずりした。
「ごめんな、そうだよな、俺たち夫婦だもんな、ずっと一緒って俺が言ったのにな……。ありがとう来てくれて、すげえ嬉しい。本当のこと言う、俺、今、むちゃくちゃ嬉しい」
レリエルはアレスを抱きしめ返し、泣きながら言う。
「そうだフーフだ!だからちゃんと、僕を連れて行けよ……!」
胸の内から愛しさが込み上げてきた。
泣きぬれた頬を両手で挟み、今度こそ本当のキスをした。
舌を絡め、唇を何度も食み、レリエルをしっかりと味わう。
深いキスを交わした二人は互いに見つめ合い、心を確かめ合った。
「行こう、レリエル。一緒に」
レリエルは力強くうなずく。
二人は楕円の窓を、六枚羽の影絵を見据えた。
アレスは片腕でしかとレリエルの腰を抱き、再び片手を伸ばしてその影絵に触れる。
二人の体は吸い込まれるように、楕円の中に消えていった。
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