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第126話 天空宮殿(3) 神の玉座

 サタンは「神の玉座の間」にいた。そして今まさに、人間がこの場所に近づきつつあることにも、気づいていた。    そこは温室を思わせる、ガラス張りのドーム空間だった。  六角形のガラスを蜂の巣のように隙間なく並べ、半円状にしたドーム。  蜂の巣のようなガラスの向こう側に青空が広がっていた。  ドームの下は庭園になっている。  幾何学的に刈り込まれた潅木が整然と配置され、地球にはない花々が咲き乱れ、ガラスの天井を蔓草が幻想的に這い垂れ下がり、噴水や滝が清涼な水音を立てていた。    この空中庭園の端に、桃色の天蓋に囲われた、白い玉座がある。  玉座には神が腰掛けている。  白髪にピンク色の瞳をした美しい少女。まだ大きすぎる玉座に座り、裸足をぷらぷらと揺らしている。  見た目は十二、三歳の姿なのに、その印象はもっと幼い。  ぼんやりしたような瞳で、しかし嬉しげに、これからどんな見世物があるのだろうと楽しみに待っている幼子のよう。  そんな少女の傍にかしずき、サタンはその足に口づけをする。神はくすぐったそうに笑った。  サタンは神の足を両手で撫で付けながら、熱の籠った瞳で神を見上げた。 「決してあなたを、おぞましい人間に(けが)させはしません。この身に代えてもあなたをお守りします」  神はうっとりした目でうなずいた。    その時、この部屋に入り込もうとする人間の気配を察し、サタンの目に殺意が宿った。 ※※※  アレスとレリエルが、楕円の光に吸い込まれたその先は、温室のような場所だった。アレスが見たことのあるどんな温室よりも美しい場所だった。  足を踏み入れた途端、凄まじい濃度の神気量に気圧されそうになった。ここに「神」がいるのは確実だ。  アレスとレリエルの正面、広い温室の最奥に、桃色の天蓋があった。  その天蓋の布の内から、一人の男が現れた。  アレスとレリエルに殺意の視線を向ける、黒髪の美貌の男。  レリエルがアレスに耳打ちした。 「サタン様……。ルシフェル様の双子の弟、もう一人の熾天使だ」  サタンは侮蔑の込もる目で、アレスを見た。 「ルシフェルは儀式に失敗したか、やはり摂理などその程度のものだったわけだ」  アレスはサタンをまっすぐ見据えた。 「地球を代表して話がしたい。神と話し合わせてくれ。まずお前と話し合ってもいい」  アレスの言葉に、サタンは嫌悪感を剥き出しにする。 「話だと?愚かな!おぞましい低次生命体と、叛逆の受胎天使め!交わす言葉などあるわけがない!」 「これ以上人間を殺すな、天界開闢を止めろ、地球から出て行け」 「痴れ事を!身の程知らずが、その醜い声を聞かせるな!」  アレスはふうとため息をつく。 「まあ、聞く耳持たねえだろうと思ったよ。じゃあ、そこにいる神様を人質にとったら、話し合いに応じてくれるか?」  サタンは嘲笑で答えた。 「できるものならやってみろ、低次生命体が!」  アレスは皮肉に言い返す。 「低次生命体ってのはお前らのことだろう?産まれた星を捨てて宇宙を徘徊して。他の星の遺伝子をかすめ取って皆殺しにして住み着いて。それずーっと繰り返してるんだってな。それのどこが高次生命体だよ。ただの寄生生物じゃねえか!」 「なっ……」  気色ばんだサタンに追い討ちをかけるように、アレスは言い放った。 「お前らはいわば、宇宙の害虫だ!」  サタンをまとう殺気がいや増す。闇色の眼光がアレスを射抜く。 「殺してやる……!俺が貴様を、いや地球人の男を全てを殺す!そうすれば神を受胎させる為に天使の生殖能力が目覚めるに違いない!そして俺が天使を真の姿に戻す!真の天界開闢を行う!」  サタンは両腕を広げた。サタンの周囲が、一挙に真っ黒い闇に覆われた。その周囲の植物が一瞬で枯死した。  レリエルが恐怖に身をすくめた。 「サタン様の、腐死咒法!肉体も魂も一瞬で破壊する恐ろしい咒法だ!」  震えるレリエルの前に、すっとアレスは歩み出た。  その手を前にかざした。  サタンが嘲笑った。 「ばかめ、何をしている!?これを手で止められるとでも?触れたが最後、貴様の手は一瞬で腐り落ちる!」  サタンが両腕を前に伸ばした  巨大な闇が、ドーム内を端から覆い尽くしていく。転がって伸びる赤絨毯のように、空間の中、闇が伸びる。   触れた植物全てを死滅させながら、腐死の闇がアレスに迫った。  レリエルは恐ろしさに目をつぶった。  ……が、いつまで経っても、闇が身を腐らせる気配がなかった。  恐る恐る目を開けると、闇はアレスに触れる直前で止まっていた。  空間が、アレスのかざした手の地点から、まっすぐ分断されていた。  闇と光に。 「なっ!」  サタンが驚愕している。  アレスは呼吸を整えながら、かざす手をくいと(ひね)り、(てのひら)を上に向けた。  すると目前の闇が、その掌の上に浮かぶ一点に、吸い込まれるように集まり始めた。  大量の闇が、滝つぼに落ちる滝の水のようにとてつもない勢いで、手の平の上の一点にに吸い込まれる。  ドーム内をほとんど覆い尽くしていた、全ての闇が消失した。  代わりにアレスの掌の上には、黒いビー玉のようなものが出現していた。  アレスはその黒いビー玉を握り締めた。そして掌を下に向け、開く。  まるで手品のように、アレスの手の中からさらさらと黒い砂が零れ落ちていった。  無表情で、こともなげに。  ドーム内の植物はほとんどが枯死していた。  アレスの(てのひら)よりこちら側に生えていた植物だけを残して。 「な、何をした貴様、そんなバカな!」  その信じがたい、奇跡の所業に、サタンは身を硬直させた。  そこに、男の声が響いた。かつかつと歩み寄る足音と共に。 「無駄だ、サタン。その者はもう、ドゥムジとして目覚めている。既に神と同等の力を持っている。お前一人に勝てる相手ではない」  ドーム内に入ってきたのはルシフェルだった。  ルシフェルは警戒するアレスとレリエルの脇をすり抜けまっすぐ、サタンのそばに歩み寄った。  サタンは苛立たしげに、 「何をしに来た、ルシフェル!人間と共に俺と戦おうと言うのか!」 「……違う。私は摂理の遵守を望み、お前は摂理の変革を望む。確かに我々の目的は異なる。だが、私は決して、お前と敵対しはしない。私は今、お前と共に……この、異形のドゥムジを殺すために来た」  言って、アレスを睨みつける。 「異形ドゥムジよ、摂理の遂行のため、摂理を乱すそなたを排除する!」  サタンは兄の顔を見つめ、そしてふっと口元を緩めた。 「なるほど。我らの思想的対立は、しばし休戦といこうか」 「ああ。共にこの、異形ドゥムジと叛逆の受胎天使を殺そう。二人ならば……」  ルシフェルはサタンに目線で何かを伝える。サタンは笑みを浮かべ、兄の目線を受け止めうなずく。 「そうだな、我々は不測の事態に備えて、神にあらがう力を授けられている……!」  そして阿吽の呼吸で、双子は向かい合い、互いの両方の掌を合わせた。  うつむき、天使の言語で呪を唱え出す。  それはまるで歌うような、神々しいほど美しい、二声のハーモニーであった。  天上の音楽というものがあるのなら、きっとこのようなものだろう。  双子の体から、強烈な閃光が放たれた。  あまりの眩しさにアレスとレリエルは目をつぶった。

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