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第128話 天空宮殿(5) 神の死

 防護球が弾け飛ぶのと、その術が竜を搦めとるのは同時だった。  暗黒の雲が巨大な球となって竜を包み込んだ。 「!?」  雲に閉じ込められた竜が暴れるが、その雲を振り払うことはできなかった。  そして恐ろしい「罰」が始まる。  巨大な暗黒の雲の球の中から、竜の身の毛のよだつような絶叫が聞こえた。  雲の球は時に稲光りし、時に雪の粉を撒き散らし、時に炎をはみ出し、時に竜巻のように突風の渦を巻いた。  中で何が起きているのかは分からない。ただ閉じ込められた竜の絶え間ない絶叫が、その苦痛をありありと伝えてきた。  アレスは大量に汗をかき肩で息をしながら、その暗雲の球を見つめた。  これがおそらく、人類の魔術の中で最強の破壊力を持つ魔法だ。超極大級魔法。  暗黒の雲に閉じ込めた上で、極大レベルの攻撃を連続で浴びせ続け、嬲り殺すのだ。    この世の地獄のごとき、最強の天空魔法。上空の大気の中という完璧な発動条件。  やがて竜の叫びが収まった。  同時に、黒い雲に巻かれたまま、その巨体が落下していく。  ガラスドーム庭園の隣にある、玉ねぎ型の屋根を突き破って、竜の巨体が天空宮殿に叩きつけられた。  黒い雲は霧散していった。  アレスは突き破られた屋根の中から、瓦礫だらけの宮殿内部に降り立った。  瓦礫の中に変わり果てた無残な巨体が横たわっていた。  身体中を焦がし、刻まれ、ぐちゃぐちゃに潰され、巨大な肉塊と化している。 「アレス!」  呼び声が聞こえて振り向く。レリエルも様子を見て舞い戻って来たのだ。 「レリエル、無事か!良かった」 「すごかった、あの魔法!これでこの恐ろしい化け物は……」  アレスの隣に降り立ったレリエルの言葉の途中で、肉の山と化した竜の残骸が、閃光を放った。  その巨体が消失し、横たわる二人の天使が姿を現した。  サタンとルシフェル。  その体は綺麗で、竜の体のようにぐちゃぐちゃに損傷はしていないが、明らかに瀕死、あるいは既に死んでいる状態であった。 「あっ……」 「生きてるか死んでるか。確認しよう!」 「ああ!」  アレスとレリエルは瀕死の双子の傍に駆け寄った。  サタンは仰向けに、ルシフェルはうつ伏せで横たわっていた。  アレスの霊眼は、サタンの(セフィロト)全壊、すなわち死亡と、ルシフェルの魂構成子(セフィラ)一つの残存、すなわち生存を確認した。  ただルシフェルの最後の魂構成子(セフィラ)も深く傷ついており、その光は弱々しく消えかかっていた。 「うっ……くっ……」  うつ伏せのルシフェルが呻き声を上げながら、目を開けた。  そして手で体を支え顔を上げる。  傍のサタンを見て、悲痛に顔を歪めた。 「サタン、そんな……!ああサタン、私の大事な弟!」  サタンの亡骸にすがりついてかき抱く。  その時、上空、ガラスドーム庭園の方から白い髪の少女が舞い降りてきた。  六枚羽の少女。  とてつもない神気(シンキ)を、その全身から放っていた。  レリエルが息を飲む。 「かあさまっ……!」 「これが『神』!」  アレスはその凄まじい神気(シンキ)に、畏怖の念にすら近いものを感じた。  神は、サタンの亡骸を腕に抱くルシフェルを覗き込む。 「るしふぇる、なんで、ないてるの?さたん、どうしたの?」  ルシフェルは涙に濡れて神を見上げた。立ち上がり、神の足元に傅く。 「恐れながら、サタンは……、サタンはもう……!」  その先の言葉は途切れ、ルシフェルの嗚咽だけが場に響いた。  神はしばらくぼんやりしていたが、サタンのそばにかがみ、その体を揺する。 「ねえ、さたん。めをさまして。どうしたの、ねえ。もしかして。もしかして」  そこで言葉を切り、サタンの顔を両手で包んだ。その美しい死に顔を、ピンクダイヤのような瞳でじっと見つめ、 「もしかして……。しんじゃったの……?」  しばしの間があった。  神はくすくすと笑い声を立てた。  最初は小さな笑い声が、だんだんと大きくなる。 「あは、あは、あは、あははははははははははははははは」  やがて甲高く狂気じみた、けたたましい大音量となった。  その異様さに、アレスもレリエルもルシフェルも、ただ戸惑い見守るしかなかった。  神は笑い止むと、空を見つめた。そして小さな声で囁く。 「じゃあ、かみも、しんじゃう」  そして自らの胸に、手を当てた。手から魂を破壊する呪殺の思念波が発せられる。  神自身に向かって。  見守っていた者たちは、まさかの行動に目を見張った。 「そんなっ!」 「母様っ!」  ルシフェルとレリエルが同時に悲鳴をあげた。  一瞬で事切れて倒れる神を、ルシフェルは抱きとめた。 「神よ、ああ神よ!よもや自殺など、なんということ!」  絶望に打ちひしがれ、固く神を抱きしめるルシフェル。  だが、その苦悶の表情がつと真顔になった。 「四十八時間……。神の死後、四十八時間しか神域内のプラーナはもたぬ……。それまでに新たな神を……」  神の亡骸をそっと横たえると、ルシフェルはすくと立ち上がり、アレスとレリエルに向き合った。  その手をすっと横に伸ばすと、瓦礫の中のどこかから、不思議な実が飛んできて、ルシフェルの手の中に収まった。  次にルシフェルは、瞬間移動と見紛うばかりの動きを見せた。  一瞬でレリエルの隣に来てその体を抱えると、一瞬でアレスから距離をとった。 「えっ……」  突然のことにアレスは目を白黒させる。  いつの間にか、隣にレリエルがいなかった。  見回すと、先ほど竜が開けた屋根の穴のへりにルシフェルが佇んでいた。その隣にレリエルがいた。  ルシフェルは左腕をレリエルの腰に回し、がっしりとその体を抑え込んでいる。そして右手に不思議な果実。  アレスは目を剥いて怒鳴る。 「レリエルを離せ!何をする気だ!」  レリエルはぷるぷると奇妙な痙攣をしながら、懸命に口を動かした。 「か……体が……動か……ない……」  ルシフェルに何か、行動不能(スタン)系の魔法をかけられたようだ。  ルシフェルはアレスを見下ろし、口元に笑みを浮かべた。ただその瞳は笑っていない、どころか、殺気立った凄味に満ちていた。 「次の神は、全ての無色天使の中から選ばれる……。上級天使の中で唯一の無色天使、レリエルにもその資格はある……。異形ドゥムジよ、そなたはレリエルを愛しているのだろう?ならばレリエルが神になれば、神の夫になるな?」  アレスは驚愕に目を見開き、次に怒りに打ち震えた。 「なっ……!ざっけんじゃ、ねえええええ!!」

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