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第129話 天空宮殿(6) 新たな神

 ルシフェルは硬直したレリエルの口をこじ開け、その上にぶよぶよと膨らんだ赤黒い実を掲げた。  アレスはそれが「天使を新たな神に変化させる方法」なのだと瞬時に理解した。 「させるかぁぁぁっ!!」  アレスは剣を振り抜き、飛翔してルシフェルに突進する。  ルシフェルがぐちゃりと赤黒い実を潰す。  こじ開けられたレリエルの口の中に、その最初の一滴がしたたり落ちる。  しかし。  その一滴は、レリエルの口の中に入ることはなかった。  下方から飛び出してきた黒い影が、レリエルの体を突き飛ばし阻止したために。  レリエルを突き飛ばしたのはアレスではなく、サタンだった。  アレスは驚き目を見張り、ルシフェルも呆気に取られる。  ルシフェルは、レリエルを突き飛ばし自分の腕を掴んでいる、死んだはずの弟を凝視した。  サタンの瞳は、赤かった。  そして漆黒のはずの翼は色褪せたように半透明になっていた。  ルシフェルは震えながらサタンの(セフィロト)を見つめた。 「サタン、なのか!?赤い瞳と、半透明の翼と……赤い(セフィロト)!?」  アレスは瓦礫の中に落下するレリエルを宙で抱き止めつつ、ごくりと唾を飲み込み事態を見守った。  赤。それは死霊傀儡の瞳と、傀儡魂(ギミック・セフィラ)の色だ。 「だ、大丈夫かレリエル……」  レリエルはアレスの腕の中から起き上がり、空中浮遊した。 「ああ、もう行動不能(スタン)は解除されてる。それよりもアレは……!」 「サタンが……死霊傀儡になっちまった……?」  赤い瞳のサタンは、ルシフェルの手から崩れた果実をもぎ取り、狂気じみた笑みを浮かべた。 「ルシフェル、見よ私は不死身だ!お前は言った、この実ゼリアルを少しでも摂取すれば破滅をもたらすと。だが破滅どころか、神の実は我が体にこのような奇跡をもたらした!」  ルシフェルは青ざめ、首を振る。 「違う、それは奇跡などではない……。禁断の実を口にして、お前の肉体と魂に奇怪な不具合が起きてしまったのだ……」  ルシフェルのかさついた声は、弟の耳には届かない。 「今こそ理解した、私がなるべきは神の夫ではなかったのだ。私自身が神だ!もはや神の夫など不要、私一人で全てを行う!」 「サタン、何を……!」  サタンはにたりと笑うと、上を向き大きく口を開けた。  崩れた神の果実を上に掲げ、握り締め、ゼリアルの蜜を絞りだす。  サタンの口の中にその赤い蜜が滴り落ちた。  その途端。  爆発が起きたかのようだった。  サタンを中心とした爆風が一体を横薙ぎにした。アレスとレリエルの体も吹き飛ばされた。 「わあああっ!」  宮殿の瓦礫に衝突する寸前のレリエルを、アレスは抱きすくめて守った。防御球を展開し、とてつもない暴風に耐えた。  やがて爆風が凪ぎ、不気味な静けさが訪れた。  見上げると、壊れた宮殿の上空に、六枚の漆黒の羽を持つ、女性体のサタンが浮かんでいた。  ルシフェルに瓜二つの、黒髪の女だった。  サタンの着ていた黒い長衣を着ているが、肉体は女のそれであった。膨れた胸、くびれ、肉感的な尻。  長衣はまるでドレスのように、女体としての凹凸をはっきりと強調していた。    その赤い傀儡魂(ギミック・セフィラ)の数は、十一だった。  宮殿の塔につかまって爆風をしのいでいたルシフェルが、ガクガクと震えながら首を横に振った。 「馬鹿な……!無色天使以外が神になったことなど、かつて一度もなかった!まして死霊がなどと!摂理の……崩壊!!」  サタンは高らかに哄笑した。 「ここに天界開闢の第三段階、神の成熟は成された!ああこれは……!なんという感覚だ!全ての細胞で力がみなぎっている。これが神か……!男にして女、父にして母、私という完全体が、真の天界開闢を行うのだ!!」  サタンの周囲に暗黒のオーラが立ち込めていた。  それは傀儡村に立ち込めていた邪気を何百倍にも濃縮したような、凄まじい密度の邪気だった。  明らかに「神気」と対極にあるもの。  ルシフェルが掠れた声でつぶやく。 「天界開闢の……失敗……。神域を満たすプラーナは四十八時間で消えてなくなる……。天使は、もう生きていけない……」  そして全てに疲れたかのように、目を瞑る。激しく損傷した魂構成子(セフィラ)一つで無理に動いた反動が、今来た。  ルシフェルは意識を失い、地上へと落下して行った。  サタンがうっとりと目を細めた。 「プラーナ?そんなものは不要。私はもはやプラーナなど必要としない」  アレスの体に緊張が走った。  確かにサタンの言う通りである。死霊傀儡は天使と違って、神域外でも活動できる。  サタンは頭上を見上げた。 「さあ、今すぐこの閉ざされた霧の中から飛び出し、人間共を殺しに行こう!神の……貴様らにとっては魔王の降臨だ、地球人ども!」 「させると思うか!?」  アレスはサタンに向かって飛翔しながら剣を振るった。 「斬魂波(ザン・セフィロト・ヴァーグ)!」  斬魂の衝撃波をサタンに向かって放つ。サタンは飛んでその衝撃波を避けた。  サタンの両腕の周囲に暗黒のもやが立ち込めた。もやに隠された腕が再びその姿を表した時、それは異形の腕と化していた。  二の腕の先から、鋭い先端を持つドス黒い金属が生えていた。巨大な鎌のようだ。   獰猛な気を宿し、サタンが迫り来る。  右の大鎌がぶんとうなりをあげ、首を竦ませたアレスの頭上すれすれをすり抜けた。骨をも打ち砕くだろう恐ろしい大鎌が。  続けざまに襲いくる左の大鎌を足の裏にかわし、空中で前転してサタンの背後に浮遊する。  サタンが背後のアレスに、振り向きざまの大鎌を叩きつける。アレスも振り向き剣でそれを弾く。  怒涛の攻撃がアレスを襲った。一振りで屠られるだろう大鎌が、ぶんぶんと振り回される。アレスはそれを右に左にと受け止め弾く。  女の体に似合わぬ、強力な斬撃であった。 「はっ、カマキリみてえ!すっかり化け物になっちまったなぁ、お前、きっしょくわりい!」 「下等生物が……!」  アレスの煽りに(いきどお)ったらしく、サタンがくわっとその口を開いた。その口から真っ黒な球体が生じる。  レリエルの言っていた「腐死咒法」だと直感した。肉体も魂も一瞬で破壊する技。  アレスは飛びすさって距離を取り、放出された恐るべき球体をかわす。  同時に、術名を叫びながら剣を振るう。 「風斬剣(ザン・ウェントス)!」  無数の風の刃がサタンを襲い、その体が空中で四散した。黒い体液を撒き散らしながら肉体が切り刻まれ千切れ飛び、生首が宙を舞った。  だが、サタンの生首が宙を舞いながらけたたましい笑い声を立てた。 「何度でも破壊するがいい!無駄だ!」  真っ黒い首の断面を見せ飛んでいた生首が、空中でぴたりと止まり、ぷかりと浮かんで、アレスの方を向いた。  生首は笑みを浮かべた。  やがてその生首の下に、四散した肉体が寄り集まる。  黒い液体を滴らせる、バラバラになった手足や、女性らしい胸や尻が、パズルのように組み合わされ、再び一人の人間の形を成す。  四肢切断から復活したサタンは勝ち誇ったように叫ぶ。 「ほうら私は不死身だ!私こそ完全なる生命体だ!」 「ただの死霊傀儡だろ!次は(セフィロト)をあの世に送ってやる!——斬魂剣(ザン・セフィロト)!」  虹色の光を放つ神剣を、サタンの脳天中心に斬り下ろした。  頭が真ん中からすっぱり割れる。その胴体も。  そして肉体と同時に傀儡魂(ギミック・セフィラ)をバリバリと切り裂く……はずなのだが。 「くっ……」  アレスが眉間にしわを寄せ、真っ二つに割ったサタンの体を悔しげに見る。  縦二つに割れた顔の双方の口が嘲笑う。 「どうした、あの世に送るのではないのか!」  傀儡魂(ギミック・セフィラ)が、硬かった。  以前戦った巨大死霊傀儡の傀儡魂(ギミック・セフィラ)のように術が施されているわけではないが、純粋に、その硬度がとてつもなく高かった。

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