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さよなら
それから三人は毎日、河原で会うようになりました。ジャックは最初こそ戸惑っていましたが、告白の返事を急かしたりせず紳士的でユーモアのあるスタンの立ち居振る舞いを、いつしか魅力的だと思うようになっていました。
明日は、スタンがロンドンに帰る日です。返事をするのが誠意だと思いましたが、ジャックは答えを決めかねていました。
「ジャック。アタシ、先に帰るわね」
「えっ。何で?」
グレイルが耳元に囁いてきて、ジャックはドキリとしました。そうなったら、スタンと二人きりです。
「決まってるじゃない。気を利かせてるのよ。ちゃんと返事、しなさいよね」
「グ、グレイル……」
「スタン! アタシ、母さんに晩ご飯のお使いを頼まれてるの。先に帰るわね。気を付けてロンドンまで帰ってちょうだい」
「ああ、ありがとう。またな」
グレイルが急ぎ足で駆けていくパタパタという音が遠ざかると、辺りは急に静かになったように感じられました。
ジャックは高鳴る鼓動がスタンに聞こえてしまうのではと恐れて、思わず左胸をそっと押さえます。
「……ジャック」
「な、何?」
スタンが急に真剣な声音を出すものだから、鼓動はますます速くなるのでした。時刻は、夕暮れのオレンジ色が、全てをロマンティックに染め上げている午後六時半です。
「俺は明日、ロンドンに帰る。返事を、聞かせてくれないか」
「な、何の返事?」
その答えに、スタンはクスリともらしました。二人の間にはいつも危うい均衡があって、それはスタンの告白によってもたらされたものでした。
「何の返事かだって? 忘れてるなら、もう一回正式に申し込もうか?」
片膝を折りかけるスタンを、大急ぎでジャックが制しました。
「い、いいよ!」
「じゃあ何で、そんなつれない事を言うんだ。俺は毎日、返事を待ってた」
ジャックは困ってしまいました。ことここに至っても、返事を決めかねていたからです。スタンがジッと見詰める先で、夕映えの中にも赤くなっている事が分かるほど上気しながら、ジャックは俯いて指をモジモジと組み合わせました。
「その……返事なんだけど……」
スタンは辛抱強く待ちました。
「……俺にも、分かんない……」
こんな返事では怒られるかと、ジャックは僅かに首を竦めていましたが、意外にも上がったのはスタンの喜びのため息でした。
「て事は、満更でもないって事だな? 良かった……」
「ええと。その……」
「好きだ。ジャック」
「え」
ジャックは、心臓が口から飛び出るのではないかと思いました。スタンが素早く駆け寄ってきて、右手を握ったからでした。
「恋をした事はあるか?」
「な……ない……」
「じゃあ、自分の気持ちがよく分からねぇんだろう。分かるようにしてやろう」
「!!」
見開かれたままのフォレストグリーンの瞳の先で、ディープブルーのスタンの瞳がグッとジャックに近付きました。ジャックは反射的に、スタンを突き飛ばしていました。
(キス……される……!)
ジャックは真っ赤な顔色を気取られぬよう、脇目も振らずに背を向けて、川向こうの家を目指して一目散に逃げ出しました。スタンは、ただ黙ってその後ろ姿を見送りました。
「駄目だったか……」
そう呟くと、苦い表情で祖母の農場に帰ります。出発は明日の予定でしたが、スタンは部屋に着くと荷物を纏めて、鉄道の駅に向かって歩き出しました。
駅には、蒸気機関車が着いていました。スタンは席につくと、出発までの間ぼんやりと田園の風景を眺めます。脳裏をよぎるのは、大輪のヤマユリのように伸びやかなジャックの笑顔ばかりでした。
「ジャック……」
ゆっくりと、機関車が動き出します。
「さよなら……」
「スタン!」
「……ジャック!?」
「スタン! スタン!」
馬に跨ったジャックが、遠くから駆けてくるのが見えました。
「スタン! 俺、も、スタンが好きだ! 春になったら、ロンドンに行くよ! だから、それまで待ってて……」
速度を上げた機関車に追いつけず、ジャックの声は風に千切れて行きました。スタンは窓から顔を出して、ジャックに大きく手を振ります。
「ジャック……」
カーヴを曲がって見えなくなった彼の名を呟き、スタンはほくそ笑みました。
(俺は明日まで休みなんだぞ、ジャック。一駅引き返して、お前を抱きしめるのなんか、訳もないんだ)
スタンは自慢のブロンドを撫で付けて、瞳の奥を光らせます。
(覚悟してろ、ジャック……)
そんな事とは露知らぬジャックは、桜色の頬を涙に濡らしているのでした。
「待ってて……スタン」
すれ違う気持ちが混ざりあって一つになってしまうまで、あと一時間の夕暮れでした。
End.
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