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第1話
突然目の前に現れた東が断りもなく相席してきたことに驚いた。ゲーム機から勢いよく顔を上げると、気まずそうな東と視線がぶつかった。すぐに目を逸らし、周囲を確認する。からかわれているのだと思った。これは嫌がらせで、別の席から部活終わりのサッカー部員がニヤニヤしながらこちらを見ているはずだった。平日午後8時を過ぎたファミレスは閑散としていて、倉本が思っているようなサッカー部はどこにも見当たらなかった。
倉本には、東が相席してきた理由がわからない。席なら他にいくらでも空いている。東とはもうクラスが別れてしまったが、高校1、2年は同じクラスだった。それだけである。何回か喋ったことがあったかもしれないが、片や強豪校である我がサッカー部のエース、一方の倉本はどこにでもいる目立たないタイプの男子生徒だった。
「何してたの?」
東の口が動いていることに気付き、イヤホンを耳から抜いた。ガチャガチャとうるさい電子音から解放されて、今度は雑音の交じった眠気を誘うようなゆったりとした店内BGMに包まれる。何してたの、と東が同じ言葉を繰り返す。
「別に……ただゲームしてただけ」
「ずっと?」
真意が掴めず小首を傾げるが、自分がまだ制服姿だったことに気付いた。
「予備校行ってて、その帰り」
「へぇー、倉本予備校行ってるんだ! 偉いなー。将来のこととか考えてるの?」
「いや、全然。そんんじゃないけど成績悪いから親に無理矢理行かされてる」
「もう3年だもんな。俺も受験のこととか考えないと」
ここで会話は一度途切れる。一体これは何なのだろう? 傍から見れば最初から待ち合わせしていたかのように映るかもしれないが、もちろんそのような事実はない。
「俺まだ夕飯食ってなくて。ここで食っていい?」
「いいけど……」
東が隅に立てかけてあったメニューを引っ張り出し、机の上に広げた。東を無視してゲームをするにしても、東の存在が気になって集中できない気がする。東がめくるメニューをなんとなく一緒に見ていると、何か頼む? と聞かれた。いい、と断ると東がベルで店員を呼ぶ。
「すいません、ステーキのライスセットと、ドリンクバーください」
東が席を立ち、ようやくひとりになれるとほっとした。今まで接点のなかった東がいきなり接触してきた目的は何なのだろう。東が頼んだステーキセットは、このファミレスの中では高いものの部類に入る。腹を空かしてファミレスの横を通りかかった際に自分を見つけ、カモにしようと考えた。東の黒い噂は聞いたことがないが、可能性として真っ先に浮かんだ。あり得ないとは思いつつも、テーブルの下で財布の中身を確認する。2000円しか入っていない。
「カルピスでよかった?」
いきなり声を掛けられて、ビクッと肩を跳ねさせた。
「大丈夫。ありがとう」
東はテーブルの上にふたり分のドリンクを置くと、当たり前のように倉本の前に座った。ストローを使ってコーラを飲んでいる東を見つめながら、もしかしてこいつが食い終わるまで待っていなければならないのかと思うとうんざりした気持ちになる。ここへは、親の目を逃れてゲームをするために来たのだ。
不意に東が目線を上げ、視線がぶつかった。見すぎていたかと内心焦るが、今度は東が先に視線を逸らした。ストローを銜えたまま居心地悪そうな顔をしている。ふと東の表情に違和感を覚えたが、その正体に心当たりはない。東に興味があるわけでもなし、違和感の正体を突き止めようという気も起こらなかった。
「ねぇ、宿題ここでやっていい?」
「好きにすれば?」
東が勉強するなら、自分は心置きなくゲームをやろう。一体何のために自分と相席したのだろうとつくづく思いながらイヤホンを耳に嵌め直していると、東が声を掛けて来た。
「倉本、3組だっけ。誰と一緒?」
指を折りながら、思い出せる限りのクラスメイトを上げた。すると今度は担任と教科担当を訊ねられる。それにも答えてやると、次は数学の教科書を開いてもうここは授業で習ったかと聞かれた。ひょっとして東は勉強を教えてもらうために声を掛けて来たのだろうか。だとしたら、お門違いもいいところだ。教室の隅で本を読んでいるような奴が頭がいいとは限らない。倉本の成績は全教科通して中の下である。力になれることはないだろうが、一応ほぼ新品の綺麗な教科書を覗き込んだ。ステーキが来るまでの間、東に邪魔をされてゲームを再開させることはできなかった。
ステーキが来ると、東はほぼ手付かずの教科書とノートをしまって自分の話を始めた。新しいクラスのこと、担任と教科担当のこと。それから、部活と将来のことについて。サッカーは趣味で続けるが、サッカー選手になるつもりはないから普通の大学に進学したいとのこと。ずっとサッカー一筋でやってきたから、他にやりたいことが浮かばずに進路に迷っているらしい。食べ終わるまでの間、東がずっと喋り続けていたから結局ゲームがほとんど進まなかった。東と自分とでは住む世界が違うと思っていた。いきなり相席をしてきたり、フォークに刺した一口大のステーキを「あーん」して食べさせようとしてくるところなど、やっぱり理解できないところも多いが東なりに等身大に自分と同じような悩みを抱えていたことを知って少しだけ親近感が湧いた。
「近くにいっぱい桜の木が植わってる公園があるんだけど、よかったらこの後見に行かない?」
もうほとんど散ってるかもだけど、と皿の上を綺麗に平らげた東が提案した。特に断る理由も見つからず、倉本は提案を承諾する。荷物を持ってレジへ向かいながら、再び抱いた奇妙な違和感を今度は消化できずにいた。
当たり前だが、会計は別々だった。
「俺、この近くに住んでるんだ」
公園への道中、東は家のことを話して聞かせた。実家は石川県で、3世代一緒に暮らしていること。歳の離れた妹と弟がいること。高校へはサッカー推薦で入って、実家を離れて下宿していること。東の話は耳半分に聞いていた。徐々に大きくなっていく違和感に向き合うことに忙しかった。
人通りが途絶えたところで、東は不自然に周囲を見回し、さりげなく倉本の手を握った。驚かないと言ったら嘘になるが、やっぱりか、という確信の方が強かった。倉本はやんわりと手を引いた。饒舌だった東が黙り込み、再び手を伸ばしてこようとはしなった。
すぐに公園に着いたが、桜はほとんど散ってしまっていて緑の葉が生い茂る桜の木の下にピンク色の絨毯ができていた。
「桜、もう散っちゃったね」
東は落胆した様子で言うが、恐らくさほど桜に興味はなかったのだろう。
「あのさ、もう気付いてるかもしれないけど倉本が好き」
相席してきた理由も、聞いてもいないのに一生懸命自分のことを喋る理由も、人目を盗んで手を繋いできた理由も、これで納得ができた。一番わからないのは、なぜ自分なのかということ。
「男が好きなの?」
今にも泣きそうな顔をして、ゆっくりと頷いた。
「いや、別に偏見があるわけじゃなくて! ほら、今よく見るじゃん。LGBTとか、性の多様性とか。俺オタクだからBLとか理解ある方だし」
泣かせるつもりはなかった。慌てて弁明すると、東は泣きはしなかったが複雑な表情を浮かべてじっと倉本を見つめる。
「返事、欲しいんだけど」
「いいよ」
告白されたらどうしよう、と道中考えていた。その時は答えが出なかったのだが、実際にされてみると何も考えず言葉が口をついて出た。
「それって、OKってことでいいの?」
「まぁ、そういうこと」
東に同情したわけではない。滅多にあることじゃないし、彼女はいないし、一生に一度くらい、こんな経験をしてみてもいいだろうという好奇心からだった。それに、相手が東なら不足はない。
伸びて来た両手にいきなり肩を掴まれ、顔が近づいてきた。驚く暇もなく、反射的に東を突き飛ばした。
「お前……こういうのには順序があるだろ!」
突き飛ばされた東は一瞬呆気に取られていたが、すぐにふにゃっと笑った。
公園で別れ、それぞれ帰路についた。歩き出して少し経つと、スマホの通知が鳴った。親からだったら嫌だな。一瞬顔をしかめて画面を見ると、先程連絡先を交換したばかりの東からだった。”家着いた。倉本はまだ外?”返信しようとアプリを立ち上げると、それを待たずに東からメッセージが入る。”これから宿題。風呂も沸かさなきゃだし、寝るの何時になるかな””明日も朝練あってキツイ”矢継ぎ早に送られてくるメッセージを見て、どれに返事をしたらいいかわからなくなる。家に着いたら返事を返そうと思い、ポケットにスマホをしまった。すると、今度は違う着信音が鳴った。東が電話をかけて来た。
「なに?」
「あ、倉本、まだ家着いてない?」
「まだだけど」
「着くまででいいから電話しようよ。メッセ送るよりこっちの方が早い」
「いいけど、宿題やるんじゃなかったの? 朝早いんでしょ」
東はかなりマメに連絡をしてくる男だった。帰宅して通話を終え、日付が変わる頃に「おやすみ」のメッセージを入れて寄越した。また、朝起きると早い時間に「おはよう」と「いってきます」のメッセージが入っていた。返事をしなければいけないのは面倒くさいが、浮かれっぷりが手に取ってわかるようで、悪い気はしなかった。
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