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第2話
学校での東はいつも通りだった。
登校した際、朝練終わりであろう東と廊下ですれ違った時に目が合ったが、何事もなかったかのように隣を通り抜けていった。何を期待していたのか、てっきり声を掛けてくるものだと思っていたから少なからずショックを受けた。昨夜の出来事は夢だったのかとさえ思った。荷物を下ろして椅子に座ると、スマホが点滅していることに気付く。東からのフォローメールだった。”さっきはごめん。ゲイバレしたくないから、学校ではいつも通りに接してほしい”--つまり話しかけるな、ということだ。わかった、と打ち込んで送信した。東の言うことは正しい。東の周りには常に人がいて、東を慕う女子も多い。付き合っていることがバレたら面倒くさいことは容易に想像がつく。男同士で、しかも相手が何の接点もない自分だからなおさらだ。面倒事は好まない。小学生ぶりに告白なんかをされて、柄になく舞い上がっていたらしい。
一線を引かれたことに対して、傷つくのと同時に安堵している自分がいた。好奇心から交際をすることになったが、未知の世界へ踏み込む勇気は最初からなかったのだ。
その日、東がどうしても会いたいと言うから、東の部活が終わる時間にファミレスで待ち合わせをすることにした。学校が終わったその足でファミレスへ向かい、東が相席してきた日と同じようにフライドポテトとドリンクバーを注文してゲームをする。すっかりフライドポテトを平らげ、何回もドリンクバーをおかわりして、そろそろ店員の目が気になりだした頃向かいの席に大きなスポーツバッグが無遠慮に置かれた。
「ごめん、お待たせ」
「お疲れ。何か頼めば?」
イヤホンを抜き、東にメニューを差し出す。気付けば、辺りは暗くなり始めている。少し乱れた呼吸、額に浮かぶ汗。ここまで走ってきたのだろうか。メニューを見ながら、東は襟をつまみ上下に動かして風を送っている。東からは、汗の匂いではなく制汗剤の匂いがしていた。
自分のために相手が駆け付けてくれた。しかも相手は我が校のエースである。少女漫画のようなシチュエーション、女子だったら大喜びしそうなものだ。だが、倉本には何の感情も湧かない。元々東には興味がなく、強引に接触してきたと思ったら一方的に突き放された。倉本の中の東の評価は、むしろ下方修正されていた。
「あの、今朝はごめん!」
東がメニューから勢いよく顔を上げた。
「倉本のこと、本当に好きなんだよ。だけど、ゲイバレするの怖くて。倉本と付き合えて嬉しいのに、嫌な思いさせて本当にごめん」
気圧されて、倉本はただ瞬きを繰り返した。呼び出された目的は謝罪のためだろうと予測をしており、実際その通りになった。ゲイバレしたくないという東の声は大きく、言っていることとやっていることが矛盾している。誰かに聞かれたのではと周囲を窺う自分とは裏腹に、東には倉本しか見えていないようである。覚悟を決めたような、それでいて怯えているような目でじっと倉本を見つめている。
「いいから、先に注文決めなよ」
テーブルに肘を置き、頬杖をつく。東の必死さがすごく重い。無意識に口の端が上がり、慌てて口元を隠した。好きだとか嬉しいだとか、真っ直ぐに好意を伝えられることがこんなにも照れくさいとは知らなかった。
「気にしてないってメールしたじゃん」
東の顔が、ふにゃっとほころぶ。安心したような、幸せそうな、無防備な表情。この顔を見るのはこれで2回目だが、この笑い方は東の癖なのだろう。
「倉本、奢ってやるって言ったら何か食べる?」
「え、マジ!?」
倉本の食いつきぶりに、東がニヤリと笑う。
「仕送りいつも貯金してるし、今日待たせちゃったから、お詫び」
倉本の視線が早速メニューの上に落とされる。夕飯時だというのに、小遣いの関係でフライドポテトしか食べていなかった。甘言を前に、すっかり絆されてしまった上に餌付けまでされていることにすぐには気付けなかった。東はいい奴だ。元々いい印象がなかった上、下方修正されて嫌いになりかけていたことなどすっかり忘れている。謝罪を受け入れられた東は、晴れやかな表情で上機嫌だった。
「東は俺のどこが好きなの?」
倉本はハンバーグステーキを、東は豚の生姜焼きを注文した。料理を待つ間、倉本はそれとなく一番気になっていることを聞いた。
「顔かな。眼鏡似合ってて、俺眼鏡似合わないから羨ましい。それから、クールなところとか」
喜んでいいものかわからない。倉本には東の言うことがひとつも理解できなかった。理解できたのは、顔がいいと言われても意外と嬉しくないこと。自分で自分の顔がいいと思ったことは一度もない。自分の目の前に座り、自分の顔が好きという男の顔の方が確実に女子受けするし、実際している。同性から見ると自分の顔は好かれる要素になりうるのだろうか。それから、東はクールというが倉本は単純に人と話すのが苦手なだけだった。それを指摘すると、東は困ったようにそれでも自分は倉本の顔が好みで、周りと一線を引いているところが大人びて見えると言った。本当に東は自分のことが好きなんだと言うことはよくわかった。むずがゆくて、これ以上は何も言えなかった。
遠い存在だと思っていたが、話してみると東は意外と気さくで話しやすい相手だった。同性を意識したのは幼稚園の頃からで、小学生の時は同級生を、中学生の頃は同級生の兄、つまり先輩が好きだったと話し難いであろうことまで聞けば答えてくれた。
「倉本は塾の後いつもこのファミレスに寄るの?」
注文していた料理がテーブルに届けられ、生姜焼きに箸をつけながら東が聞く。この場所は通い始めた塾から近くて、親の目を隠れてゲームしに来ていることはもう話してある。
「いや、小遣い少ないから週に1回くらいしか来れないかな」
答えてから、一口大の肉の塊を口の中に放り込んだ。フォークとナイフの扱いが下手な倉本は、初めにハンバーグを一口サイズに切り刻んでから箸で食事を進めている。高級レストランではあるまい、フォークとナイフを使わなくても気に留める人は誰もいない。
「だったら、これからはうちに来ない?」
顔を上げると、いつの間に取り出したのか東のてのひらにストラップが付いていない家鍵のようなものが乗っていた。
「うちのスペアキーなんだけど、よかったら持ってて」
飴やガムを渡すかのように気安く渡そうとする東に、倉本が困惑する。
「いや、だって俺たちまだ2回ぐらいしかまともに喋ってないじゃん。なのにもう鍵渡そうとするとかおかしいでしょ」
「別に盗られて困るようなものとか置いてないし」
頑として受け取ろうとしない倉本に、東は何としても鍵を握らせようと食い下がる。
「そもそもお前の家知らないし」
「じゃあ、これから行こうよ」
目を輝かせた東を前に、身の危険を感じて親が心配するからと理由をつけて申し出を断った。だが、鍵を受け取る日が少し伸びただけであった。
倉本に予備校がある日は東と会うことになった。
翌日、予備校で授業が終わった倉本は東との待ち合わせ場所であるコンビニへ向かった。紙パックのコーヒー牛乳を購入し、イートインスペースでゲームをしながら東を待つ。コンビニでジュースを買う方がファミレスに入るよりも断然安い。最初からこうすればよかった。それにしても、妙なことになったと倉本は思う。これから合流して、東の下宿先へ向かう。下宿と言っても、多少セキュリティがしっかりしている学生アパートのようなところらしい。
付き合うと言っても倉本には深入りするつもりはなかった。それなのに、合鍵は渡されそうになるし今日はひとり暮らしの部屋へ招かれている。まだ付き合い始めて日は浅いし、想像しているようなことは起こらないと信じたいが、押されるままにずいぶんと流されて来てしまったような気がする。ここらで引き返しておかないと、後がないという危機感がある。指は反応して的確に動いているが、全然ゲームに気持ちが乗らなかった。
やっぱり、帰ろうか。東には適当な理由をつけて謝ればいい。ゲーム画面から顔を上げると、自分と同じ制服の男子高生が早足に真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。時間切れだ。
店内に入ってくると、東は真っ先に倉本の元へ来た。
「遅くなってごめん。夕飯買ってくから、ちょっと待ってて」
返事も聞かず、慌てた様子で店の奥へ消えていった。部活の後でクタクタに疲れているだろうに、一体どこにこんな体力があるのだろう。ごめん、やっぱり今日は帰る、と言う暇はもちろんなかった。帰るのは諦めるしかなさそうだ。溜息を吐き、荷物をまとめた。空になった紙パックをゴミ箱に捨て、東を探しに行く。狭いコンビニだ。弁当が陳列する棚の前で悩んでる様子の東をすぐに発見した。
「ごめん、もうちょっとだけ待って」
倉本が隣に立ったことに気付いた東は、棚から隣へ目を移した。
「別に、ゆっくり選べばいいよ」
東が自分のために焦っている様子を見ると、優越感を覚えて悪くない気分になる。自尊心が満たされる気がする。東と並んでスカスカの商品棚を見ていると、見ているだけでだんだんお腹が空いてきた。
「倉本はもうメシ食った?」
「や、まだだけど。帰れば一応夕飯あるから」
「軽く何か食べれば?」
おにぎりをかごに入れながら東が言う。タイミングが悪かった。例えば、イートインスペースでゲームをしている時ならば提案を断っていただろう。空腹を自覚してしまった倉本には、見る惣菜全てが魅力的に見えていた。後で夕飯が待っていることを考慮し、かつ財布と相談した結果、サンドイッチを選んだ。倉本が悩んでいる間に東の持つかごの中身が増えていた。おにぎりがふたつに、パウチのハンバーグ。1Lのペットボトルでサイダーとポテトチップス。他に何か買うものある? という東の問いに倉本は首を振る。会計を済ませ、東の下宿先へ向かった。
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