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第1話

 陸前高田(りくぜんたかた)咲桜(さくら)は滝の音を背に休んでいた。彼は今、山にいた。このまま進むと村があるらしい。滝が見えたらもうすぐだと聞いている。立ち寄った町の人が言うには風情があるというので勧められた。風の赴くまま放浪する彼に目的はない。帰る場所もない。通りがかった町で聞いた情報でいきなり進路を変えることもできる。  滝の音の中に若者たちの声が混じった。額の汗を拭い、疎らになった木々を隔て下方にある滝を見下ろした。小麦色に焼けた上半身を晒し、瑞々しい声が飛び交っている。数え年で22歳の咲桜もまだ十分世間的に見れば若かったが、帰る場所に背を向け、雨に濡れ寒空に浸り酒を流し込む生活ばかりしてきた彼の表情は若々しさは確かにまだあったけれど、同世代の者たちを突き放すようなところがあった。それでいて決して人嫌いなわけではないためにこの先にあると言われている村を見に行くのだった。  都会では危なげですぐにでも規制されそうな遊び方を、咲桜も身に染み付いた都会的な危機感で眺めていた。滝といってもそこまで大規模なものではなかったが白い飛沫に人が墜落していく様は息を呑むものがある。彼等を横目に、教えられた通りの山道を進む。別の町に行くために山を突っ切る道と途中から外れるのだった。そこは夜になるとクマやシカ、イノシシが出ると脅されもした。急勾配になっていて木の根を頼りに登っていく。整備された箇所がぽつぽつとあるところを見ると隔絶された場所というわけではないらしい。途中足を休めると白く透けた隣の山が見えた。空は淡い縹色を一面に塗りたくっている。  朝がそろそろ終わるという時間に登り、村に着く頃には昼過ぎになっていた。日が高く昇っているのを枝々の濃い影から知れた。青々しい雑木林に東西と北を囲まれたような村は想像していたものよりも小規模で、板葺の屋根が目立った。咲桜の生まれ育った土地ではすでに相続人不在または不明の廃屋として散見された。あとは国有地になり、雑草生い茂るのを待つだけだ。生まれ故郷の風景を思い出す。しかし帰ってみようとはならなかった。実際の郷里が脳裏に描像したものほど美しく優しいものでないことを知っている。置いてあったり吊り下げられている物の違いは多少あれど、外観のほぼ揃った家々の奥には真っ黒な瓦が日に白く照っていた。村を横断するように長い。全貌は見なかった。咲桜は村に足を踏み入れなかった。村の情報を話した駐在員の警告に沿って咲桜は一目見て立ち去った。彼が聞いたところでは、こういう閉鎖的な村ではありがちだが、外者に対して排他的であるらしい。縦横の繋がりが強いだけに独立した存在を危険視する。閉鎖的な社会だけに村全体が各個人の共有地、所有地であり、そこに部外者が踏み込んでくるのは都会的にいえば不法侵入に相当するのだろう。気持ちの良いものではない。  下りの道を行く。そのまま山を突っ切る形をとろうとしていた。少し歩くと視界の横に人影が映った気がした。反射的に向いてしまう。山の中では木や蔦がそういうふうに見えることが多々あった。振り向いた時にその類いと気付き、そうだと高を括ったが、実際人であった。咲桜に背を向ける形で屈んでいる。拝んでいるようにも見えた。野生動物の遺骸でもあったのかと思われた。通り過ぎようとしたときその者は振り向いた。腺病質のような容貌だが体格はよい。屈んでないいても高身長であるのが窺えた。少女性を残す幼い顔立ちだがおそらく男性で、雀卵斑(じゃくらんはん)がある。彼はひょいと立ち上がった。何を拝んでいたのかが見えた。両手で一杯土を掻き集め固めたような大きさの土饅頭がある。そこに枝が刺さっていた。よく見ると鼻梁が高く、眼窩は奥まり彫りが深い。海沿いで会った異国人を思わせる。頭には手拭いを巻き、癖のある毛先が見えた。10代半ばだろうか。しかし仕草や態度が幼かった。それでいて成人男性の平均身長を上回っているであろう背の高さが彼の推定年齢を狂わせた。互いに視線はぶつかり合っていたが、どちらも挨拶も交わさないくせ2人共々静止している。そこにまた別の足音が混じった。 「こんちは」  咲桜は掠れたような声にやっと不思議な少年から目を離した。黒い髪がぴんぴんと跳ねた青年が釣竿を片手に咲桜を見ていた。人見知りな咲桜は小さく会釈する。 「物見遊山(ものみゆさん)のお客さん?」  人懐こい笑みと八重歯が強くこの青年を特徴付ける。着流しだったが片腕は袖を通していない。 「魚いっぱい釣れたんだよ。食っていけよ」  あまりに馴れ馴れしい態度は誰に言ったのかも分からなかった。咲桜は肩を組まれた。 「やめとけよ、和泉(いずみ)の兄ちゃん。その人、通りすがりの人でしょ」  土饅頭に拝んでいた不思議な容貌の少年が横から口を挟んだ。声変わり間もないのか高い。10代半ばと踏んだが10代前半なのかも知れない。 「こんなたくさん獲れたんだ。縁よ、縁よ」  距離感のおかしな青年が魚籠(びく)を見せた。弱っているげな魚が積まれぬらぬらと光ってのたくっている。 「ぼっちゃん()、空いてるべ?お父っつぁまに訊いてよ。みんなで食うほうが美味いっしょ。お宅さんもせっかく来たんなら、うちの村の名物見てけよ」  少年は気だけでなく帯のすぐ下の布地も揉んだ。咲桜がこの馴れ馴れし過ぎる青年に抱いた印象は村の鼻摘み者だった。 「名前は?おらぁ和泉砂川(いずみすながわ)ってんだ。どっから来たんで?」 「……あっちのほう」  咲桜は相手の威勢に押され、山の中ゆえに多少方向感覚が狂っていたものの生まれ故郷のあるほうを指した。 「ふぅん。鮎好き?食うべぇよ。おらぁ外の話聞きてぇもん。山辺のぼうず、早よお父っつぁまに行ってこんかい」  少年は露骨に不機嫌げな顔をして走り去ってしまった。和泉砂川と名乗った青年は軽快に笑う。 「あいつは鈍臭ぇけど村一番の家の息子さね。当主数えで16の時の子だわな。ンまぁ(おい)に懐かないんだわ」  咲桜は少年の退いた土饅頭を見ていた。 「可愛がってたネコでも死んだんでしょうな。可哀想に」  和泉砂川の腕は咲桜をまた村に連れ戻すようだった。 「金春(こんぱる)村ってんだ。もう知ってるかい」  咲桜は首を振った。陽気な人柄が却って関わりづらい。 「じゃあ紹介してやるし、(おい)と一緒なら村の連中も何も言ってこねぇべ。鼻摘みもんだかんな」  肩を組んだまま咲桜は引き摺られた。村の有力者については一軒一軒紹介された。そして次こそ、この村の最大有力者らしき瓦が日輪によって白く眩しい屋敷だった。家屋と揃いの瓦が乗った土塀が長く伸び、一般的な村人との住処を区切るようないやらしい感じがあった。 「ンで、ここが野州山辺(やしゅうやまべ)。当主は数えで32。若ぇだろ。なかなかの男振りだから惚れるないや」  白い歯を見せて和泉砂川は笑った。立派な門と松の木を潜る。右手奥に水辺の多い庭園が見え、左手には白洲と玉砂利の敷き詰められた縁側、土塀に沿って鬱蒼と茂る木々が見えた。声の嗄れた猫が2人を出迎えた。 「猫、触りたい」 「ありゃあおらぁの魚目当てだいな」  和泉砂川は魚籠の下の方の死んだ魚をふっくらした猫に放り投げる。彼が背を叩くと咲桜は毛物に手を伸ばした。 「山下は猫いないんけ?」 「いる……けど、すぐ逃げるから」 「ふぅん」  この青年といて咲桜が分かったのは和泉砂川は軟派なほど距離を詰めて人と接するが脈絡なく突き放し人の話を聞いていないような軽率な反応を示す。だが咲桜もあまり気にしなかった。あまりに胡散臭い男に素気無い態度を取られて傷心するほど、まだこの者に対して好感を抱いていない。言語化できない生理的な部分で和泉砂川はいやらしさがある。  猫を触っているうちに縁側から使用人たちが七輪や包丁、俎板を並べはじめた。遅れてこの家の息子だという少年が渋々といった様子で現れた。 「おっ、来た。捌いてやるから待ってろぃ」  野良か飼われているのか分からないほど毛並みの艶やかな猫から離れるのは惜しかった。だが咲桜も和泉砂川についていった。 「お屋敷のご主人に挨拶がしたい」  庭先を借りるからには一言申し入れなければならないだろう。咲桜は少年に言った。 「おうおう、なんか文句言われたら(おい)が言い返してやるよ」 「奥にいるから案内するよ」  2人は反対のことを言う。少年のほうではすでに咲桜の腕を引いていた。それは何か咄嗟の行動というような急なものがあった。それか彼も人懐こい性格なのかも知れない。 「ふぅん。じゃあ呼ばってこいや」  魚籠から取り出された魚が次々に腹を切られ、俎板は赤く染まっている。野州山辺の息子に連れられ屋敷の中へと入った。長く入り組んだ廊下を歩く。少年はちらちらと客人が来ているのか確認した。無言が気拙いらしかった。 「オレは陸前高田咲桜と言います。たまたま下の町でこの村のことを聞いて来ました」 「陸前高田?咲桜くんでいい?」 「どうぞ」 「僕、野州山辺 灼鯉(あかり)。和泉の兄ちゃんから聞いてるかな」  灼鯉という少年はやっと気を許したような表情をした。長身を追う。鈍い者にも豪華だと分かる襖の前で彼は立ち止まった。 「お父さん、僕です。いいですか」  咲桜の想像に反して返答の声は柔らかかった。厳つく低い唸り声が返ってくるものと思っていた。しかし息子が随分と俗っぽい人柄なのである。  灼鯉は襖を丁寧に開いてまず一歩踏み入った。 「散歩をしてたら出会った人がいて、和泉の兄ちゃんが魚を食べさせてくれるって言うから、たまたまその人も一緒にってことで、連れて来たんですけど、紹介していいですか」  息子の話を頷きながら聞いている野州山辺の当主を咲桜は一方的に観察する隙があった。布団に座り下半身を隠しているが息子同様に大柄で、顔立ちも彫りが深く幅の広い二重瞼や厚みのある唇などよく似ていた。しかし年齢のものなのか印象はまるで違う。父親の方は落ち着きのある穏やかげで、体格の割に儚げな感じがあった。それでいて息子にある腺病質を思わせる青白さはない。髪は真っ黒く、毛先に癖がある。 「ああ、ぜひ紹介してくれ」  息子と似たところのある目が咲桜を捉えた。穏やかな微笑を浮かべている。 「じゃ、じゃあ、陸前高田くん」  下の名前で呼ぶのが突然照れ臭くなったのか、或いは父親の前で改まったのだろう。しかし少年の軽快なところは多分に残っていた。咲桜も野州山辺の当主の部屋の敷居を跨いだ。 「ご紹介に与りました、陸前高田咲桜と申します。探訪が趣味でこの地に辿り着きました」 「陸前高田くん、だね。私は野州山辺 巴炎(ともえ)だ」  丁寧に掛布団を捲り、彼は立ち上がった。髪は背の高いこの男の腰を越えるほど長い。握手を求められ、応じる。体温が高い。手が大きい分、重く感じられ空いた片手も出してしまう。五尺七寸から五尺八寸ほどはある咲桜よりも高いところにある眼差しは柔らかく、その瞳とぶつかった瞬間に逸らせなくなってしまった。惚れるなという和泉砂川の意味の分からない忠告をなんとなく理解する。咲桜は間抜けにも口をぽかんと空けて巴炎を見上げていた。 「お父さんも魚一緒に食べないかって、和泉の兄ちゃんが」 「そうか、鹿楓も来ているのか。後から伺うよ」  灼鯉に連れられて行こうとしたところを呼び止められた。 「楽しんでいってくれ、陸前高田くん」  柔和な微笑みを向けられる。息子のほうもきょとんとしていた。 「はい」  咲桜は陰気な返事をした。灼鯉はまた人懐こく咲桜の傍で身体を揺らした。この少年もこの少年で見知らぬ土地から来た者に興味があるらしかった。 「お父さん、来ないと思うな」  彼は呟きながら首を捻った。 「行こ。鮎の塩焼き好きなんだ、僕」  戻ると和泉砂川が内臓を取り除いた川魚に次々と竹串を刺していた。 「父ちゃんはどうしたぃ」 「後から来るって」  咲桜は指示され、戦役で兵隊に取られていたときに支給されたライターで七輪に火を点ける。 「外の暮らしは便利なこったな」  嫌味なのか素直な感想なのか、咲桜の抱く和泉砂川の印象が惑わす。灼鯉のほうではライターに強い興味を示した。着火器を持った咲桜の手ごと握って顔を近付ける。 「すごいこれ!わぁ、いいなぁ」  オイルライターのほかに煙草も支給されたが喫煙者ではないためにあまり使う機会はなかった。一度弾いただけでは点火できなかったがそれすらも閉鎖的な村の少年には魅力的に映ったことだろう。 「お風呂とかすぐ焚けるじゃん」  七輪に塩でよく白ずんだ川魚が緋色に輝く炭を囲む。 「背骨までカリッカリにすると美味ぇんだ。お宅さんなんつったっけ」 「……陸前高田。咲桜」 「そうだ、そうだ。お宅、酒はイケるクチかい」 「少々」  機嫌好く彼は喉を鳴らす。 「ひれ酒、やっていくっしょ」 「……これから日没前に山を下りますから………」  夜にはクマが出るという。弱いつもりはなかったが山の途中で酒など入れたら動けなくなってしまう。 「泊まっていっちまえよ。おらさんの家空いてるぜ」  咲桜が口を開く前に灼鯉がずいと前に出た。 「あ、お父さんに僕ン()泊まれるか訊いてみるよ。ダメって言わないと思うけど、確認のためにね。うち広いし、布団も余ってるから」  オイルライターによって外の者に大きな好奇心を抱いたのか食い気味だ。 「ね、いいでしょ!うちの村のご飯食べていきなよ。もっとお話聞きたいしさ!」  彼は我の強さを見せた。そして時折和泉砂川の顔色を窺う。 「じゃあ、お言葉に甘えて」  山を下りたところで予定はなく、日没前に寝泊まりする場所が見つかるかも分からない。場所によっては追い出しだけでなく職務質問が待っている。何度か駐在所で寝泊まりしたこともあった。屋根と布団があるのは都合が良い。 「ふぅん」  団扇を叩きながら和泉砂川のネコを思わせる吊り気味な目は興味を失ったように煌々と燃える炭に落ちていた。灰が舞う。口下手な咲桜は自ら話を切り出すこともなくら縮んでいく皮の上で泡のように繊細に水滴の滲んでは消えていく川魚の死体を眺めていた。香ばしい匂いも漂っている。炭が鳴る。団扇が打たれ、灰が飛び、川魚は身を引き締めていく。時の流れを感じていながら、同時に時間のことなどまるで忘れていた。 「巴炎来ねぇんね」  和泉砂川の一言に誰も反応を示さなかった。 「お前さんのお父っつぁまだよ。忙しいんかい」 「知らないよ」 「巴炎、背骨炙ったの好きだろうが。お客人が泊まること含めて訊いてきなさいよ」  灼鯉は面倒臭そうに座っていた縁側から立って屋敷の中に行ってしまった。 「あれで弟みてぇなもんなんでさ。15しか離れてない親子ってのは見てるとついつい構いたくなっちまうもんだ」  炭が両手を打ち鳴らしたように音を立てている。 「お宅さんはあんまし、ひとりでふらふらあてもなく流離(さすら)うような気性の御仁って感じじゃないんね。どっちかってば家ン中で本でも読んでるような……巴炎もそんな感じさね。気は合うと思いますわ」  どう返していいか分からずにいると和泉砂川はその無言をどう受け取ったのか笑みを強調した。 「別にバカにしたワケじゃないんだわ。なんか放浪してないとどうにもならんような訳ありなんかと思っただけさな。陰気な巴炎と仲良くしてやってよ。あの人もなかなか家の奥に引っ込んだら出て来ない人だから」  やはりそれが弁解であったのか彼の本心だったのか咲桜にはこの男の印象が割り込んでしまい、断じることができなかった。 「幼馴染ですか」 「みたいなもんだな。あっちのが年上だけどな」  鳥の羽撃(はばた)きに似た音と灰が舞う。沈黙がやってくる。灼鯉が戻ってきて宿泊の確認をしてきたらしかった。今夜の居場所が決まる。 「で、ぼっちゃん。お前のお父っつぁまは」 「別に用があるからまだ来られないって」 「ふぅん」  明らかに彼は萎えた表情を見せた。ほんの一瞬を咲桜は横目で見ていた。灼鯉も縁側に座り、十分地に着いて余りある足を浮かせ、つまらなげに揺らしていた。雰囲気はやはり子供に変わりない。咲桜は己が15歳のときのことを覚えてはいなかったけれど21歳になってから見た15歳は随分と若く幼く見え、また15の時分に抱いた20歳を越えた自己は今より大人びているはずだった。  やがて魚はよく焼けた。竹串の熱さを気にしたふうもなく渡される。灼鯉は頬張るように食っていた。和泉砂川も食いながら炭を調整する。身が締まり、甘味と旨みが塩でよく引き出されていた。匂いもいい。食に対してこれという関心はなかったが、雰囲気ごと味わった。 「外もんの楽して点けた火で焼いたもんは不味いなんて(うちら)のジジババたちゃ口揃えて言うけど、嘘だわな。火は火だわ」  忙しなく炭を突つきながら魚の肉を齧り、ほろほろになった白い身が露出する。 「炭火焼きかガスかの違いでは」  和泉砂川はちらと小さな口で魚を食らう客人を見下ろした。 「ほぉ」  愛嬌のある顔だが、上から注がれた眼差しに咲桜は射竦められる。 「やっぱ違うけ?」 「……はい」  我の強い猫目に咲桜は躊躇を覚えた。この男は全身を舐め回すような目を遣う。それが咲桜は苦手だった。弱くなった火が輪を欠いた魚を炙り続ける。妖しげな瞳をおそるおそる見返した。爪先から脳天まで舐め返して見つめた。相手は曖昧な苦笑を浮かべ鼻先を野州山辺の息子に向けた。 「お父っつぁまはまだ来ないのけ」 「う、うん。そうみたい。届けておくから背骨までしっかり焼いてね」 「お客人のおもてなしくれぇしろよな。悪ぃねぇ。真面目でお忙しい人なんでさ。お宅さんを歓迎してないわけじゃないよ」  咲桜は頷いた。息子のほうは魚を食みながら眉間に皺を寄せていた。 「でもよ、このお客人は今この時だけだぜ。足も生えない仕事を優先するかい。まさか恥ずかしがってるワケでもあるめぇに」  揶揄するような口振りに灼鯉はわなわなと震えた。 「バカにしないでよ!」  食いかけの川魚が宙を飛ぶ。灼鯉が和泉砂川に掴みかかり、咲桜は倒れそうになる七輪を足で支えながら仲裁に入ったが、まだ炙られている魚は土瀝青(どれきせい)の上に転がった。人間でも塩映(しおはゆ)いほどの白い塊りを纏っているにも関わらず縁の下から現れた猫たちが群がった。  害意のある灼鯉のほうを締め上げるが少年といえども背が高く簡単には捕まえられなかった。多少なりとも驚いている和泉砂川のその裏には侮りの影が漏れ出ている。咲桜に止められているのをいいことに半歩後退る。 「お父さんをバカにするな!」  まだ抵抗する野州山辺の息子を玉砂利に引き倒し、咲桜は間に入った。炭がぷすぷすと鳴っている。ひれ酒どころではない。 「灼鯉くん、いけない」  和泉砂川はすぐに引いた。咲桜の冷めた声音に15の少年もばつの悪そうに後ろに引いた。 「僕、悪くない……」  咲桜は頷いた。通りすがりみたいな来訪者の前で父親を愚弄されたなら怒るのも無理はない。何しろ彼は咲桜の見てきた山下の15の男子たちよりも父親に近しい。そこには憧憬や尊敬もあるだろうが、何より親しみが感じられた。 「僕、悪くないもん……」 「君の怒りは真っ当だ」  咲桜の声は届かない。灼鯉は顔面の中心に皺を寄せて俯いてしまった。 「あ~あ、もったいな。魚さん、おれたちのために死んでくれたんになぁ」  和泉砂川は(わざ)とらしく溜息を吐いてみせた。肩を竦めている。一歩踏み出ようとする灼鯉の細いながらも大きな身体を咲桜は抱き留める。双方に折り合う気がないようだった。そのことについて咲桜は宥めようとはしない。ただ止めるだけだ。 「お父さんだってアンタの釣ったもんなんて要らないよ!」 「ふぅん。あぁ、そう。じゃ、もうお邪魔しませんよ、と」  踵を返す和泉砂川を灼鯉は野犬のように唸って襲い掛からんばかりだった。咲桜は父親とは似ずあまり筋肉質ではない身体を押さえながら縁側の人影を認める。使用人が呼んだらしい。野州山辺の当主はぼんやりと和泉砂川の去っていく後姿を凝らしていた。門の奥に軟派な軽忽(きょうこつ)鼻摘み者が見えなくなり、野州山辺巴炎の困惑した目が息子とそれを止める客人を捉えた。虚に開き震える唇が笑みを繕うものの、頬は引き攣り、眉は忙しなく伸び縮みする。

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