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第1話君に拾われた日から

【七瀬と紅緒の出会いの物語になります】 今から10年前、俺がまだアンダーグラウンドで汚い底辺の暮らしをしていた頃のことだ。 暑い夏が終わり、朝晩はめっきり涼しくなっていた。昼間はまだ暑い。狐族は主に夜活動するのだが、たまたまその日は用事があり、人間社会へ外出していた。 人間社会の汚さは狐とあまり変わらない。しかし、根元の部分は狐と比べ物にならないくらい腐敗臭がする。ひとたびそれに気付くと吐き気が止まらなくなるので、看過するのがいつもの習慣だった。見なければ大丈夫。何も恐れることはないと自分に言い聞かせる。 「はい、ではこちらで承ります。データもしっかり頂きました」 「よろしくお願いします」 鏡張りの喫茶店で、女性編集者はにっこりと微笑んだ。暇つぶしにほんの気まぐれで書いた小説が、とある出版社の目に留まり、副業で細々と作家をやっていた。子供向けの児童書でシリーズものの夢物語を書いている。 狐仲間が知れば大笑いされるだろう。文字を紡ぐ職業など狐社会では価値あるものとされていないからだ。 「先生、次回作の構想はありますか」 「まだぼんやりとしかないですね」 「先生の描かれる森に住む狐の悲しみや喜びをもっと掘り下げてはいかがですか。子供たちに動物達のリアルな生存競争を教えてあげたいです」 彼女、いや人間は簡単に他者への感情を文字に興せと言う。どす黒い感情に埋もれないために書いていたファンタジーなのに、わざわざ闇の部分へ注目しろとは、愚行の極みだ。 この編集者は、略奪や裏切り、性搾取などを子供向けに優しく説明しろと笑顔で言っているのだろうか。 「ちょっと考えてみます。考えが纏まったらメールします」 「分かりました。ご連絡お待ちしていますね」 別れ際、女性編集者はお土産にとお菓子を持たせてくれた。長い髪に、物腰柔らかな姿勢。おそらく魅力的な『人間』であるのだろう。笑い声も澄んでいる。 そろそろ甘いものが苦手だと伝えるべきか。毎回反吐が出る程甘いお菓子を用意してもらうのも気が引ける。 「先生、また会う日までお元気で」 「ええ。また……あ」 「何ですか?」 「……いえ。何にもないです」 言おうと思った言葉を飲み込む。余計な一言で不快にさせては申し訳ない。 どうせ『人間』とは衝突も仲良くもできないから、不必要な関わりを持つことは無駄である。 人間的に表現すれば、無粋である。 (空が青い……くらくらする) 初秋とは言え、昼間はまだ暑い。加えて狐は暑さに弱い。昼間の外出は極力控えたいものである。 公共交通機関は苦手なので、少し前に小さな車を買った。免許証も正規のルートで取得した。戸籍云々は案外なんとでもなる。 駐車場で自家用車に乗り込もうとした時だった。 (…………なんだあれ) 隣の公園にある金木犀の木の下に、何やら黒い大きな物体がある。それは塊でもあり、もぞもぞと動いていた。

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