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幼い日々 5
「嘉月先生!隆文さん!お疲れさまでした!予定よりだいぶん早い帰りでしたね。」
再び俺たちが、一色家に戻った時には時刻は22時を回っていた。しかし、透くんも、一色の両親も、俺たちを待っていてくれたようだった。
「ああ、嘉月がいてくれたからな。いつもよりスムーズに終わったよ。」
「……買い被りすぎだ。」
隆文の真っ直ぐな言葉に、居た堪れなさを感じて小さく呟く。そんな俺の態度が気になったのか、透くんが心配そうに俺を覗った。そうした優しい心根も、この二人は似ているのだから、本当に番なのだ、と場違いにふと感じた。
「二人とも、ご苦労様でした。透くんが夕飯を温め直してくれたから、冷めないうちに召し上がってちょうだい。」
俺のせいで変な空気になってしまった玄関先に、晶子さんもやって来た。けれども今は、晶子さんの言葉に素直に乗って、この場をやり過ごそう。隆文にも透くんにも、これ以上俺の醜い姿を見せたくなかった。
「ありがとうございます。透くんもありがとう。」
スリッパを出して優しく俺を促す晶子さんにお礼を言って、まだ心配そうに俺を見つめる透くんにも、沢山の意味を込めてお礼を言った。
◇◇◇
隆文と俺が遅くなった夕食を取りながら、五人で思い出話に花を咲かせていたら、あっという間に夜中になっていた。楽しい余韻に浸りながら、キッチンを借りて皿を洗っていると、透くんが横に駆け寄って来る。
「嘉月先生、オペの後で疲れているでしょうから、僕がお皿を洗いますよ。」
「ううん。美味しい夕飯に楽しいひと時も頂けたのだから、これくらいはやらせて。」
「ふふっ!じゃあ、僕はお皿を拭きますね!」
透くんは少しそわそわしていて、やっぱりオペ後の俺の雰囲気を気にしているようだった。言わなくとも「隆文さんと何かあった?」と顔に書いてある。そんな、素直な彼を可愛いと思った。
「ねえ、隆文。京くんも透くんも良い子で可愛すぎないかしら?!二人が並ぶと本当に癒されるわ〜。」
俺たちのぎこちない空気を察したのか、晶子さんが明るい口調で話し始めた。
「まったく母さんは……まあ、でも、こんなに喜んでもらえるのならば、たまには二人を連れて来ます。」
隆文も満更でもないという風に応えている。
「たまにどころか、毎日連れて来て欲しいものだな。なあ、晶子。」
最終的には、隆文のお父さんまで話題に乗っかってきた。やはり、血は争えないのだな。
「そうね!お父さんも分かってるわね〜!今日はもちろん泊まって行くわよね?」
「ダメです!透も嘉月も俺が連れて帰ります!」
「そんな!ずるいぞ。隆文!!」
「そうよ!独り占めだなんて!!」
「独り占めでもずるくもありません!二人は明日も仕事なんですから!……ていうか、透に至っては俺の番なんですからね!」
どんどんヒートアップしていく三人を見て、透くんと俺は顔を見合わせた。
「アハハ、隆文さん、またムキになってますね。」
「三人はいつもあんなだよね。」
そう言えば、俺が学生の頃も、遊びに行く度にこんなやり取りをしていた気がする。もちろんその時は、「俺の親友なんですからね!」だったが。
「嘉月先生が学生の頃から変わらないんですね!いいな!僕もその頃から、嘉月先生と隆文さんに出会いたかったな!」
「ふふっ。その頃は透くん、まだ小学生くらいじゃないのかな?」
「あーあ、もっと早くに産まれてくればよかったな。」
「でも、そうしたら今度はアオくんと歳が離れてしまうよ。」
ころころ表情が変わる透くんを、やっぱり可愛いなと思いながら、少し意地悪なことを言えば、やっぱり慌てたような顔をしていて、思わず笑ってしまう。
「わー!それは嫌かもです!やっぱり僕は、今のままが最高に良いタイミングだったんだなぁ。」
俺も、今の透くんに出会えてよかったよ。もし、きみが同い年だったら、俺は立ち直れないくらい隆文に失恋をしてしまいそうだから。
◇◇◇
「……っ」
そんな酷いことを考えた罰が当たったのか。ふらりと視界が揺れた。カシャンと音を立てて、シンクに皿が滑り落ちてゆく。
「嘉月先生?!」
「あ、だいじょうぶ……ちょっと、めまいが……」
「とりあえず、座ってください。」
透くんがすかさず支えてくれたが、触れた所からじんわりと熱が滲み出てくるようだった。
「ヒッ……うそ、なんで……?!」
――こんなの、ヒートだ。この前終わったばかりだろう?!
「嘉月?!」
異変に気がついた隆文が、俺の元へと駆けつけてくる気配を感じる。その瞬間、俺の身体は番ではないアルファを激しく拒絶し始める。
「あっ、こないで……いやだぁ……」
「透!ジャケットを借りるぞ!」
「うん!」
ふわりと包まれた香りは、同じオメガの透くんのものだった。さっきまで逆立っていた神経が少しだけ柔らかくなる。
「嘉月、俺が直接運ぶよりかはマシだろう?少しの間だけ耐えてくれ。」
「いやだぁ……さわ、ないで……」
それでも布越しに感じるアルファの気配に、隆文のものだと分かっていても拒んでしまう。
「いい子だから。もう少しだ、大丈夫。」
「うっ、うぅっ……」
耳元で囁かれた隆文の低く優しい声音に、俺の身体は浅ましく反応する。中途半端に感じるくらいなら、全力で隆文の存在を拒絶して欲しかった。どこまでも意地汚い自分に、悔しくて涙が溢れた。
「寝かせるぞ。ここは客室だから、少しはアルファのフェロモンもましになるだろう。俺もすぐ出ていくから。」
「隆文さん!僕が抑制剤打ちますね。」
急激な熱に浮かされて朦朧とする意識の中、僅かな痛みが太腿に走った。きっと透くんが抑制剤を打ってくれたのだろう。
「ありがとう。透、あとは任せた。俺は成界に連絡する。」
「そうだね、青木さんに迎えに来てもらった方がいいかも。」
遠くで聞こえたその言葉に、また意識が覚醒して、透くんの腕を掴んだ。
「なん、で……?せ、かいは、よばないでぇ……ね、がい、おねがいっ……」
「嘉月先生!!!それでも、青木さんといる時が最も落ち着くことを、あなたが一番理解しているじゃないですか!」
普段は声を荒げることもない透くんが、怒鳴った。
「ど、して……?」
「わかりますよ……!それくらい!だって、ずっと傍にいるのは、僕じゃないですか……」
左目から一筋の涙を零している姿があまりにも切なくて、そっと手で拭ってやる。
そうだね、きみはいつも俺を見守ってくれていたね。
「あ、ごめ、ごめんね……」
「謝らないでください。それでも、僕も隆文さんも、それに青木さんだって、あなたのことを大切に思っていることに、気がついて欲しかったんです……」
「う、ん……うん、そうだね、ありがとう……」
ずっと、ずっと気がつかなくてごめんなさい。
諦めを覚え切った幼い日の俺が、どこかで、声をあげて泣いていた。
(第三章 終わり)
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