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第1話 終わりと始まり

「店長、お疲れ様です。戻りました。あの・・・僕、今月でお店辞めます」 「ん?和樹?どうした?まあ、そう言うってことは、そろそろ夢に向かって動き出すってことなんだよな?わかったよ。今月いっぱいで退店ってことだな」 「はい。急ですみません」 「いいって。この店に来た時に約束しただろ?この商売は一生できるものではないし、目標決めて、それが達成できたらすぐに辞めろって。そうしないと、自分を見失うからな」 「はい。店長、1年間お世話になりました」 「おう。とりあえず、今月いっぱいって事だな。これ、今日の分の給料」 そう言うと、風俗店の店長は和樹に封筒に入った現金を渡した。店の外は朝日の気配でうっすら明るくなってきていた。 3月の朝の6時。まだ寒い。 だが街が起き出す時間だ。 和樹はこの一年、この風俗店で男娼として勤めてきた。ゲイ専門の店でお客も男だ。 会員制になっているお店のため、ややこしい客はおらず、紳士的な客が多いとの評判だったから、 この店を選んだ。最初は金のためであったが、元来、セックスは嫌いでなかった。 だからこの商売を選んだ。 だが気がつくと一人の客との時間を楽しみにしている自分がいた。その客とも、今朝サヨナラの時が来たようだった。いつも一緒にホテルを出てくれる男が今日はいなかった。 そして、約束のダイヤモンドが置いてあった。自分と過ごす最後の時にプレゼントしてくれとお願いしていた品だった。 まさか、彼との別れがこんなに寂しいことだとは思いもしなかった。指輪を見れば見るほど悲しくなってきた。もう他の男に抱かれる事が嫌だと思ってしまった。だから店を辞めることにした。 いつもならそのまま家に帰ってシャワーを浴びて寝るところだが、この日はまっすぐ帰る気になれなかった。 「もしもし?あや?ごめん。こんな朝早く。今から家に行ってもいい?」 「ん?和樹君?いいけど・・・どうした?」 「うん。ちょっとね。今から家に行くね」 「は〜い。あ!牛乳買ってきて!」 そう言うと、電話の向こうで大きな欠伸をしている音が聞こえた。 あやの家に向かう。 あやは、義理の姉だ。 和樹の母親が再婚した人の娘だ。 和樹の父親はまだ和樹が幼い頃に事故で亡くなったと聞いている。 そして、母親は女手一つで和樹を育て上げた。 和樹が15歳の時、母親はこのあやの父親と再婚した。 新しい父親はとても裕福な人で、忙しいのか家を留守にする事が多かったが、和樹の生活は激変 した。 でもその生活は一年で終わる。 和樹の母親が病気で亡くなったのだ。 長年無理をして働き詰めていたからだろう。やっと再婚して時間的にも金銭的にも楽になったところだったのに、気がついた時にはもう手遅れになっていた。 膵臓癌だった。 新しい父親はとてもいい人で、その後も和樹のことを邪険にすることなく受け入れてくれていた。ただ、仕事で家を空ける事が多かったため、和樹はこの義理の姉と過ごす時間が多かった。 義理の姉”あや”は和樹の5歳上だ。 だから姉弟になった時には、既に20歳で大人だった。 だが同じ屋根に暮らし、和樹の世話をしてくれた。 一人で過ごす事が多かった和樹にとって、いつも一緒に夕飯を食べてくれる初めての存在だった。多感な時期を迎えていた和樹の変化にも気がついて、いつも相談に乗ってくれた。 和樹が自分の性的嗜好に悩んだ時も、この姉の存在が大きかっただろう。 ”ピンポーン” あやの家のインターホンを鳴らす。 中から、元気なあやの声と共に、玄関が開いた。 「久しぶりね。和樹元気にしてたの?半年ぶり?」 「うん。あや、これ牛乳」 「ああ!ありがとう。何飲む?コーヒー?」 「うん。コーヒーでいいよ」 「朝ごはんは?」 「うん。食べる」 「じゃあそこにある食パン焼いて」 言われた通り、食パンをトースターに入れる。 この部屋はあやが暮らしている家だ。あやは結婚したが旦那が単身赴任になったため、一人暮らしのようなものだった。あやは今妊娠している。半年前に会った時には目立たなかったお腹も今はだいぶ大きくなっていた。 「うちのコーヒー、カフェインレスだから、美味しくないと思うけど・・・」 そう言って、目の前に温かいコーヒーを出してくれた。 「最近は何してるの?ちゃんと学校行ってる?」 「うん。行ってるよ。ちゃんと行ってる」 「そっか、ならよかった」 和樹の様子がいつもと違うことは、義姉のあやにはすぐわかっていた。 「和樹、もうそろそろ学校卒業だよね?進路どうするの?」 そろそろ卒業のシーズンだった。 「うん。どうしよう」 「メイクの仕事は?学校、2年制のメイクの学校でしょ?就職活動はしなかったの?」 「うん・・・・」 「和樹、あってると思うけどなーメイクさん。私の結婚式の前撮り写真、和樹にしてもらったメイク、綺麗にできてたじゃない。あ!まあ私の顔がいいのもあるけど!」 そう言って笑っている。 「うん。あやちゃん綺麗だから」 「ちょっと、普通に褒めないでよ!ツッコむとこ!でもまあ、ゆっくり考えたら?今は就職難っていう時代じゃないし。まあ、どうにかなるでしょ!」 そう言って焼けた食パンを皿に乗せる。このあやはとても楽観的だ。目の前に皿に乗った食パンと、焼いてくれた目玉焼きとウインナーが出てきた。 「さ、食べて!あ、ヨーグルトもあるよ。食べる?」 「ううん。これでいい」 「はい!じゃあいただきます!」 そう言って向かい合って手を合わせて”いただきます”をする。懐かしい朝ごはんだ。 「和樹はちゃんと食べてるの?変わらず細いし。お姉ちゃんは心配だわー」 そう言いながら顔を覗き込む。 「食べてるよ。大丈夫」 「ならいいんだけど・・・」 その後は、最近の妊婦としての悩みや父親のことなんかを話した。 和樹はこうやって変わらずに接してくれる義姉の顔を見ると安心する。特別何かをしてくれるわけではないのだが、和樹にとって彼女と過ごす時間が『生活している』 実感が湧くのだ。 「あ!お腹蹴った!最近、よく動くのよねーこの子。和樹ももう少ししたら、おじさんだよー」 そう言って大きくなったお腹を撫でている。 「和樹、お腹触ってみる?」 そう聞いてきた。和樹はそっと手を伸ばす。 その手をあやが掴んで、自分のお腹に当てた。 「ほら、また蹴った!わかった?和樹?」 「うん。すごいね。こんなにポコポコ蹴るんだ・・・」 初めて妊婦のお腹を触った。 そして中で動く生命を感じた。 ちょっと感動した。 「そうだよー。この子の性別はまだ聞いてないんだよねー。お医者さんに、まだ言わないでって言ってるの。秀一が帰ってきた時に一緒に聞こうって約束してて」 秀一とはあやの旦那だ。和樹にとっては義兄にあたる。 「秀一さん、元気?」 和樹が聞いた。 「うん。元気だよー。前は週に一回は帰って来てくれてたんだけど、今、年度末でちょっと忙しいみたいで、二週間に一回になってるけど今度の週末に帰ってくるよ。その時暇してたらご飯食べにおいでよ。この前和樹と会ってないねーって言ってたとこだから!」 「うん。また連絡する」 そんな会話をして、9時頃にあやの家を出た。 もう少しゆっくりしていったらいいと言われたのだが、もう胸が一杯だった。 「和樹お父さんのところにも、たまには連絡入れてあげてよ。お父さん、相変わらず海外出張行ったりしてて、忙しそうだけど、和樹のこと心配してたから!」 そう別れる時に言われた。 和樹は家に帰る道中、思っていた。 この人たちの家族になれて幸せだと。 今やなんの血の繋がりも無い自分を、まだ家族として扱ってくれる。 母親に死なれた時には一人になるかもしれないと覚悟をしたが、そんな事はなかった。 もちろん男娼の仕事をしている事は黙っていた。 知れば悲しむだろうということはわかっていたがお金で世話にはなりたくなかった。 メイクの勉強の為の学費は、母親が生前積み立ててくれていたお金でどうにかできた。 でもそれ以外のお金は自分でなんとかしたいと思っていたから、進学と共に、水商売でアルバイトをし始めた。その時にお客にもっと稼げる店があると言われて、男娼になったのだ。 でもその男娼になる時に店長と約束をしていた。 ”目標が達成できたら辞めること” 稼ぐ目標額、時期を決めろと言われた。 そしてその目標額は既に達成されていた。 だが続けたのはあの客”よし君”がいたからだった。 特別好きなのかと聞かれると、その時は正直わからなかった。でも彼の指名が入ると嬉しかった。他の客にはしないサービスも、彼にはできた。 自前のランジェリーも用意して楽しんでいた。 きっと好きだったのだと今更わかった。 そして、そのよし君は去っていった。 去る予感はしていたし、愛する人ができたら来るなと言ったのも自分だ。 でも、まさかこんなに早くその時が来るとは思ってなかった。 自分にも義姉のように、愛する人と家族になれるのだろうか? もちろん自分はゲイだから、普通の家族は無理だろうが、せめて一生を共にできる人に出会えたらと思った。

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