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第38話

 閉店まで店で待ち、傑と一緒に帰ることにした。ドーナッツもちゃんと買った。  ちらちらと雪が降り始める中、そっと手を繋いでみる。嫌がりもせずに握り返してくれる掌に、傑の仕事の邪魔になる、と言い訳をして傑の心を見なかったのは俺の方だったと自覚する。「アイス買っていかない?」 「ドーナッツもあるのに? 優ちゃん糖尿病になるよ」 「汗かいたあとのアイスは最高でしょ」 「えっ!」  傑の大きな声に道行く人が振り返った。 「声がでかいよ」 「汗かくようなことすんの?」 「しないの?」 「する!」  アイスと一緒に意気揚々とコンドームを買っている恋人を見て、ぐるぐる考えるのはもうやめにしようと思った。  瞼を刺す光で目が覚めた。  朝の光の中で神様に造られた男が目を覚ましていた。血管が見えるほど薄い瞼は、長いまつ毛に縁取られている。そして、この世で一番美しい榛色が花開くようにゆっくりと瞬きをした。 「おはよう」 「おはよう、優ちゃん」  柔らかい唇が幸せそうに笑みを浮かべる。胸の中がふんわりと暖かくなって、俺は愛する男を力いっぱい抱きしめた。   仲直りえっちする気満々だったのに、ふたりとも半分くらい服を脱いで寝落ちていたらしい。俺はスキニーを片足だけ脱がされたままだったし、傑はインナーを首まで脱ぎかけていた。傑は毛布一枚だけかかっていたから、寝ている間に寒くなって自分でかけたんだろう。 「ちがうよ。たぶん優ちゃんがかけてくれたんだよ」 「覚えてないよ」 「お布団かけてくれた、って思ったし」  全く記憶がない。足半分が寒くて、羽毛布団と毛布を引っ張り上げた。 「お腹すいた?」 「うーん……二度寝しよ」  すり寄ってきた傑を抱きしめて、温かい体温に心まで温まるような気がした。 「あ、そうだ」  突然腕の中から離れていくと、ベッドから出ていく。スキニーとワイシャツをぽいぽい脱ぎながら、何かをとってきた。 「これ」  右手に数枚の借用書、左手に茶封筒。 「え、今?」 「ご確認ください」  中を検めるとたしかにきっちり貸した分が入っている。 「返してくれてありがとう」  借用書を受け取って、手で引きちぎってサイドボードに置いた。捨てるのは二度寝の後にする。 「……何も聞かないの?」 「なにを?」 「……お金のこと」  ぎゅ、とTシャツの裾を握りしめて俯いている。その顔がまた泣きそうになっている。ベッドを叩いて隣に誘った。  胸に飛び込んできた傑をぎゅうっと抱きしめる。 「もうやだ。優ちゃんに拾われてからずっと変」 「うん」  まるっこい頭を撫でながら錦糸のような金髪を指に絡ませる。 「お金はずっと前から返せた。でも、返したら速攻で別れられる、って思って返せなかった。ごめん」  そのつもりだったから何も言えず、黙って頭を撫でた。あの頃は恋をする気はなかったし、まさか両想いになる日が来るとは夢にも思っていなかった時期だ。  もしかして、借金したのも俺と別れたくなかったからだったりして。  それはさすがに都合がよすぎるか。 「そのお金で旅行に行こう。温泉宿に泊まって、美味しいご飯食べて、ふかふかの布団でごろごろする」 「休み取れるの?」 「それがですね、うちの店には有給というものが存在しまして」 「サイコー」  ふたりで旅行だなんて、ついさっきまでは考えもしなかった。 「でもあれ、優ちゃんのお金だよ?」 「傑貯金だったと思うことにする」 「じゃあ俺も同じだけのお金出すから、めっちゃいいところに泊まろう」 「どれだけいいところに泊まるつもりなの」  ふたりで肩を震わせて笑った。胸から顔をあげた傑はまたちょっと泣いている。鼻声になっていることには触れないようにしてあげようと思っていたのに。  榛色を濡らして、頬を伝う涙を指で拭った。  そして、そっとあわせた唇のやわらかさに目の奥が熱くなる。 「優ちゃんが泣いてる」  言わなくていいことを喋る口を笑いながら塞いだ。 「幸せすぎて泣いてるんだ」  終わる準備をしているのは前とは変わらない。それでも、傑と生きた毎日が宝物だと言えるように、いつか終わる日に向かって進むことにした。  その終わる日が本当の「最期」だといい、と心から願っている。

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