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「…勝手じゃないよ、そんなの言い出したらきりないじゃん。俺だって、勝手に(あき)の中にズカズカ入り込んで、それでも知りたいって思ってる。俺は大丈夫だよ、十分気をつけてるし、仕事も新人だからまだそんなにないと思うし、マコちゃんとリン君も側にいるし。…暁の側にだって、いて良いんでしょ?」 僅か触れる体温、自分から近づいておきながら恥ずかしくて、智哉(ともや)は目をぎゅっと閉じた。離れるのも、これ以上近づくのも、勇気が出ない。 そうか、怖いんだなと、智哉は思った。暁孝(あきたか)への気持ちは何があったって変わらないのに、暁孝の言葉は簡単に智哉の心を弱くしてしまう。暁孝がもういいよと言えば、離れろと本気で言うなら、もうこんな風に近寄れない。 「…居てくれないと困るって、言った」 その言葉に、はっとして顔を上げた。暁孝は振り返らないまま、困っているのか照れくさいのか、首筋に手をあて俯いている。 暁孝は、こんな自分の気持ちも分かっているのだろうか、欲しい言葉をくれるのは、どうしてだろう。 振り返りかけた暁孝に、智哉は慌ててその両肩を掴んだ。 きっと今、変な顔をしている。暁孝の一言で、心は途端にほぐれて舞い上がってしまう。嬉しくて、ほっとして、鼻の奥がツンとして、泣きそうだ。そんな自分の顔を見られまいと、智哉は暁孝の両肩から手を離せない。 「(とも)?」 今振り返られたら、きっと泣いて抱きついてしまう。だから、いつもみたいに笑わなきゃと、智哉はその肩を揺さぶった。 「へへ、なんだよー今日の暁は素直だなー」 「やめろ、笑うな」 「はは、俺って愛されてるなー」 「お前な、そういう事あまり、」 振り返った顔があまりに近くて、互いに驚き固まってしまった。 途端に鼓動が早まって、上手く息が出来ない。 「あ、あき、」 智哉は困り果て、どうにか名前を呼ぶのが精一杯だ。一歩後ろへ後退れば良いだけの事、それだけで、呼吸困難に陥りそうなこの状況からは回避出来る。だけど、それが出来ない。足も手も嘘みたいに固まって、まっすぐ見つめる瞳から目を逸らせないでいる。 どうしよう、苦しい、どうしよう、好きだ。 混乱する頭では何も考えられず、意を決してその目を閉じようとした瞬間、暁孝の手が動いた。 「いって!」 そして、まさかの額への衝撃。ピシッと良い音を響かせたのは、暁孝の中指だ。その痛みに再び驚いて目を開ければ、暁孝はいつの間にか智哉と距離を取り、笑っていた。 「良い音したな」 「な、なんでデコピンなんか!」 「してほしそうな顔してただろ?」 「し、してない!」 部屋を出て行く暁孝に、智哉は拍子抜けして、体中から力が抜けていくのを感じた。 「なんだよ、もー…」 キスする展開かと期待した自分が恥ずかしい。同時に、また決定的な瞬間を逃したと知る。 以前は、マコ達が来て打ち消された甘い予感。けれど今は、暁孝自ら遮った。 やっぱり、恋とは違うのかな。 暁孝と自分は同じ想いを抱いていないと突き付けられたようで、智哉は一人落ち込むしかなかった。 「ヨシエへのフォローは出来たか?」 「問題ない」 「ん、アキ?」 二階へ上がって来たシロにすれ違い様に声を掛けて、暁孝は一人一階へ下りていく。そうして、リビングの壁に凭れしゃがみ込んだ。大きな溜め息と共に。 また、手を出してしまう所だった。 顔を赤く染め、深く落ち込む。頭を抱えかけた時、暁孝は火傷のあった掌に目を止め、再び溜め息を吐いた。 智哉への想いは伝えられない、暁孝は、今の自分の状態では智哉を更に不安にさせかねないと思っていた。 自分の体に何らかの変化が起きてるのは明らかで、それは恐らくアカツキと関係のあるものだ。アカツキの力に触れたせいとしか考えられない。これが、ただ傷の治りが異様に早い体になっただけなら、いや、それでも普通ではないのだ、だから単純に前向きにはなれなかった。 妖が見える体質は、智哉や義一(ぎいち)夫妻のおかげで自分でもちゃんと受け止められるようになった。その裏で、暁孝と一緒にいる事で智哉まで変わり者扱いされていた事に、暁孝も気づいていた。 また、同じような事になったら。それこそ智哉はこれ以上巻き込めない。 何者かも分からない自分は、智哉の隣に立てない、いくら想いが募っても、暁孝は自分の事が信じられない。 神の生まれ変わりという自分は、本当にただの人なのかと、不安で堪らない。 そんな危うい自分を、智哉の前には差し出せない。 「…じいさん、俺はどうすればいいんだろう」 答えの出ない問いに、義一の顔が頭に過る。義一は人として育ててくれた、不自由なく、沢山の愛情を持って。 暁孝は、暁孝だ。何であろうと。けれど、そんな自分が恐ろしく思える日が来たら? 大切な人を、まさか傷つけるような事が起きてしまったら? 今になって、まさかこんなに怖くなるなんて。 暁孝は、しゃがみ込んだまま顔を伏せた。そんな暁孝の姿を、空から見つめる影がある。洋館の屋根も壁も、彼の丸い覗き穴越しなら何でも見通せる。 「あいつが、アカツキか」 呟きが静かな空に落ちる。覗き穴の作り方は簡単だ、親指と人差し指で輪を作り、その穴を片目で覗けば良いだけ。そうすれば、彼には見たいものが何でも見通せた。見えないものは、未来だけだ。 口元に弧を描く、もうすぐ夜が始まる。空に浮かぶその体は、誰にも気づかれる事なく、夜の闇に溶けて消えていった。 了

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