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14.クリームソーダ
『海でもいかないか』
目覚めていきなりそう言われた。行きずりの男に。
自分がしらふでも男と致せる奴だとはっきりしたのだ。満足して、朝になったらいなくなっていてもおかしくはないと思っていた。いただけでも驚きだというのに、さらにどこかに行こうと提案してくるなんて。
百樹は眠い目をぱちぱちと瞬いた。
「なんで?」
「……いろいろ教えてもらった礼だ。今日、仕事も休みだし」
――ま、まじめ?
内心そう突っ込んだが、すぐに思い直した。
――よっぽどお気に召したのかな? 男の体が。
構造上、男の方が締め付けが強いと言われている。
それゆえに、ストレートだが一度くらいなら男とも経験してみたいという輩がいるとは、ときどき噂に聞く。
ちょっと言いよどんだのもそういうことなんだろう。まだしたりないから帰したくないとは言い出しにくいから。どこか行くのは口実で、夜にはまたどこかで。
「……別にいいけど」
自分は別の意味で離れがたいと思っていることを悟られたくはなく、百樹は寝穢く寝返りを打つふりで背を向ける。子供の頃そうしたように、爪を噛んだ。
「ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから」
百樹に幹線道路沿いで待つように告げて、龍介は一旦どこかへ消えた。「足を回してくる」とかなんとか言ってた気がするから、家に帰ったのだろうか。 日常に戻ったら冷静になって、もう現れないかも――とも思ったが、果たして龍介は再び戻ってきた。
大型バイクに乗って。
――ハーレー、じゃない……なんて読むんだ? トライ……アンフ?
大型バイクといったらハーレーくらいしか思いつかない百樹には、見覚えのないロゴだ。
なんであれ、もしも自分がこれのハンドルを握ったら「颯爽と」とはいかない。完全に「乗られている」感じになってしまうだろう。恵まれた体をさらにちゃんと鍛えている龍介が乗るからこそ様になる。いっそ憎らしくなるくらいの足の長さだ。
「ん」
ヘルメットを放ってよこされ、反射で受け取る。後ろに乗れということか。
――バイクに二人乗りなんて、したことないよ。
びびっているのを悟られたくはなく、促されるまま跨がる。
「まずは朝飯だな。――しっかりつかまってろよ」
内心おっかなびっくりの百樹とは裏腹に、バイクは危なげなく走り出す。
覚悟はしていたが、しかし体を嬲っていく風はその覚悟よりはるかに強い。「しっかりつかまってろ」と言われるまでもなく、しがみつかずにはいられなかった。
龍介のライダースが、ぎゅっと微かに音を立てる。爽やかな朝の空気の中に、男臭い革の匂いが混ざった。
人のバイクに乗るのは初めてだったが、たぶん、龍介の運転はうまいのだと思う。変に速度を出すこともない確実な運転。
――運転って、性格出るっていうよね。
誠実な運転をする龍介なのに、自分に求められているのはデビューに相応しく軽いノリの男。
そんなことを考えたとき、前方の視界が広く開けた。――城と並んで梓の観光の目玉である、湖だ。思えばまだ観光もろくにしていない。
微かな風に揺れ動く湖水は、朝日を受けてきらきらと輝いていた。
「……ちょうちょみたいだ」
無数の金色の蝶が、羽を煌めかせて舞っている。水面の漣がそんなふうに見えたのだ。
――しまった。メルヘンなこと言っちゃった。
ビッチは「ちょうちょ」とか言わないよ――一瞬青ざめたが、幸い運転中の龍介には聞こえてはいないようだ。
気をつけなきゃ、と思ったところでバイクは湖畔の喫茶店に滑り込んだ。まだ早朝もいいところだが、もうオープンしてモーニングを提供しているらしい。
ナチュラルな木目の風合いを活かしたインテリアのカフェは、かなり広々としていた。さらに湖畔にせり出したテラス席まである。
「このあたりじゃここが一番人気だ」
「……ふうん、まあなんでもいいけど。腹減った」
嘘です。超可愛いです。絶対テラス席がいいです――とはもちろん言えない。
幸いなことに店内はまだ空いていて、店員のお姉さんは「今日はお天気がいいですから、よろしければテラス席どうぞ」と言ってくれた。
「テラスでいいか?」
「どこでもいい」
内心ぶんぶん尻尾を振りながら、百樹はテラス席へ向かう。
観光地にある店だけあって、朝からメニューは豊富だった。やって来た店員にお互い「これ」と指さして注文を済ます。
食べ物も美味しそうだったし〈当たり〉のカフェだ。おっとへらへらしないようにしなきゃ……もっと、まだ起き抜けでだるい、みたいな空気出さなきゃ。
敢えて気怠げな顔を保つこと数分、百樹の前には、クリームソーダが鎮座していた。
アイスの浮かぶ上の方はブルー。底にいくほど淡いピンクのグラデーションになる、凝った作りだ。アイスとソーダの境目のクラッシュアイスにも色が付いている。紅茶なのか、なにかフルーツのジュースなのか、透明な金色だ。
「かっ……」
わいい、と思わず口にしそうになり、ぎりぎりのところで険しい顔を作った。
まったく眼中になかった、メニューのクリームソーダの欄にあらためて目を走らせる。これは湖の朝焼けを――つまりまさにさっき見た景色を再現したものらしい。
並んでもう一つ、夕日バージョンもあって、そこには「この湖に沈む夕日を一緒に見たふたりは、永遠の愛で結ばれると言われています」と可愛らしい字で書き添えてあった。
どうやらそれがこの湖観光の一番の売りらしい。永遠の愛なんて、これまた自分には縁のないものだ。
いや、それよりなにより。
俺これ頼んでないんだけど……
可愛いものは大好きだが、モーニングのホットサンドを食べながらクリームソーダを飲もうとは思わない。ごくごく無難に〈当店オリジナルブレンド〉をブラックで頼んだはずなのだが。
怪訝に思っていると、再び「お待たせ致しました」とやってきた店員が、龍介のほうへ給仕した。〈当店オリジナルブレンド〉を。
龍介は「しまった」みたいな顔をしている。
「……これ、そっちの?」
「……ああ」
注文をとった店員と、運んできた店員は別だった。きっとテーブル番号だけ聞いていて、見た目幼さの残る百樹のほうへ置いたのだろう。――より可愛いものを。
仕事の合間に轍人と食事に行くときもそういうことはよくあるから、そのこと自体にいちいち驚いたりへそを曲げたりもうしない。でも。
これを、この人が?
まじまじと見つめていると、龍介は目を合せようとはせず、苦々しい口調でしぼりだした。
「……高校時代、部活で炭酸が禁止されてて。そもそも友だちと喫茶店に行くなんていう暇もなくて、その頃の反動で……クリームソーダがあると」
思わず頼んでしまうらしい。百樹と一緒だということもすっかり忘れていたようだ。
「まさかここまで可愛いのがくるとは思ってなかった」
恥ずかしいのか、龍介はばつの悪そうな顔でしきりに長めの髪をかきあげている。
……かっわ。
百樹はそう口にしてしまいそうになるのをまたしても必死でこらえ、クリームソーダを龍介のほうへ押しやった。
「ま、いいんじゃねえの。そんなのは個人の自由だろ」
龍介は苦虫をかみつぶしたような顔でクリームソーダを受け取る。
苦虫をかみつぶしているくせに、おもむろにスマホを取り出すと、写真を撮った。
「――いや乙女か!」
「いつどこで頼んだか記録してるだけだ。SNSに投稿したりはしない」
「イケメン船頭さんの趣味はクリームソーダ食べ歩きなんて記事には書いてなかったぞ」
「わざわざ話さないからな」
そうか。この精悍な男が、こんな可愛いものを好きって知ってるのは、もしかしたらおれだけなのか。
知りたくなかったな、と百樹は思った。
だってかっこいい上に可愛いなんて――好きになっちゃいそうだ。
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