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13.龍介:それは埋火のように

 目覚めた瞬間は、自分がどこにいるのかわからなかった。  ベッドの中であることはなんとなくわかったが、糊の利いたシーツの感触が自分のよく知ったものとは違う。  寝返りを打つ。  鼻先が触れ合う程の距離に、可愛らしい寝顔があった。  やはり、こうして見るとあどけなさが残っている。バーのママとのやりとりを思えば、酒が飲める歳なのは間違いないのだろうが、きっとまだ二十歳そこそこだ。  微かな寝息を漏らしている、桜色の唇に視線を誘われる。夕べ、焦らすように自分を愛撫してくれた唇。可愛らしい嬌声を漏らしていた唇だ。  今こうして見せる幼さと、夜の淫らさ、どっちが本当の姿だ? と思う。  考えながら見つめていると、そのまま目を離せなくなった。あのつぶらな瞳を早く見たいという気持ちと、まだ目を閉じていて欲しいという気持ちがせめぎ合う。  起きてしまったら、用は済んだとばかりに帰ってしまうかもしれないから。幸い、百樹の眠りはまだ深そうだった。昨夜散々貪り合ったせいかもしれない。  ――手加減、できなかった。  昨夜。 『そうだね、今までのなかではまあまあだったよ』  不適な笑みと共にそう言われたとき、かつて味わったことのない鈍い熱が自分の中で生まれた。  まるで埋み火が突然燃え上がったようなそれだった。  自分の中に、そんな炎が眠っていたなんて、それまで知りもしなかったのに。  気づいたら百樹の脚を大きく開かせて、思うさま楔を打ち立てていた。達したばかりだったのに、百樹のひときわ高い嬌声を耳にしたとたん、そこは凶器のように張り詰めた。  初めて自分から激しく突き立てたSEX。   それは終始リードされていたものとは比べものにならない快感だった。  自分の中にそんな凶暴なものが隠されていたことに戦く。  自分でどうにもできない強い衝動に身を任せると、快感はいっそう増した――  会って数日。名前くらいしか知らない相手に、自分がそんな感情を抱いているのが不思議でたまらない。  目覚めたらもっと話をしてみたいが、百樹はそれを許してくれるだろうか?  いつまで梓にいる? ふだんなにしてる? 仕事は?  会ったその日に誘ってくるような彼だ。そんな煩わしい会話は嫌がるだろうか。  駄目元で言ってみた「教えてくれ」に応じてくれたことだけで、満足するべきなのか。  なにも訊かずにこれで別れるのが、特定の相手を持たないゲイの世界のスマートなやり方なんだろうか。  わからない。  起きろ。  いや起きるな。  相反する気持ちを持て余したまま見つめることしかできずにいると「ん……」と百樹が身じろいだ。  さっきまで規則正しい吐息をこぼしていた唇が苦しげに歪み、小さく形のよい鼻の付け根には、皺が刻まれている。  ――嫌な夢でも見てるのか?  そんな顔をすると、天使のようだった顔にも、年齢なりの疲れが垣間見えるような気もした。  ――そりゃそうか。人間、二十年そこそこでも、生きてりゃいろいろある。  はすっぱな顔。けんかっ早い顔。小悪魔のような顔。天使の寝顔。そしてこの、苦悩の顔。  たった二晩。それだけで龍介の胸のうちには百樹の幾つもの表情が刻みつけられていた。消しがたく、深く。  苦しげな寝顔を見ていると、どうにかして助けてやりたくなる。けれど起こすのは忍びない。起こして、なんと言ったらいいのかもわからない。 「……」  結局できたのは、眉間にひとつ口づけを落とすくらいのことだった。  自分でやっておきながら、無性に恥ずかしくなってくる。  ――なんだこれ。  昨夜、よっぽど恥ずかしいことをしただろうに。  まるで甲子園のグラウンドで灼かれたように顔が火照って、龍介は両手で顔を覆った。 「なにをやってるんだ俺は……」  ベッドの端に力なく腰を下ろしたまま、ため息と共に吐き出す。そのとき、不意にカタカタと耳障りな音がし始めた。  テーブルの上に放り出した百樹のスマホに着信があったようだ。  バイブだが、テーブルが硝子製なせいで音が響く。しばらくすれば切れるかと思ったが、スマホは思いのほか長く震えていた。  緊急かもしれない。  龍介は己にそう言い訳し、ベッドを抜け出す。間の悪いことに、ちょうど掴み上げた瞬間に切れてしまった。画面が暗くなる直前に表示されていた文字が、一瞬だけ目に入る。 〈轍人さん〉  読み方は、てつと、だろうか。随分何回もかかってきているようだ。  てつと。――『てっちゃん』か。  昨日の朝、見逃し三振より振って三振だと腹を決めて電話してみたとき、百樹が口にした名前だ。  こちらの言葉を聞きもせず、まっさきに口にした。それだけ近しい間柄ということだろう。 『今までのなかではまあまあだったよ』  ――「今までのなか」の一人ってことか?  空気が冷たいわけでもないのに、ぞわ、と体の中に不快な震えが走る。  震えはやがて熱に変わった。今度ははっきりと認めざるを得ない。――体のどこか奥底で、燃え上がる炎の存在を。  シーツの衣擦れの音に、 「ん……」  という、まだ半分眠りの中にいるような、かすれた声が混ざる。その声も、目を擦る仕草も、自分だけのものではないなんて。  龍介はことさらそっとスマホをテーブルに戻すと、まだ眠たげに目を擦る百樹に告げた。 「海でも行かないか」

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