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202x.8.22(3h) 他人を葬る

 ケリ・ガースンの葬儀、セントポール福音教会にて11時より。埋葬、ローズデール墓地にて13時。  マーロンの寝室のクローゼットから取り出した、おろしたてのスーツを着て気分がいい。夜更けまで耽ったセックスの疲弊もさっぱり拭い取られるようだ。彼も「似合っているよ」と言ってくれたし、事実、鏡に映しても見栄えがよかった。泣き過ぎたせいか目が痛いので、サングラスを掛けた。  うだつが上がらないとマーロンは揶揄していたが、参列者は小さな教会でも空白が気にならない程度には多かった。40人程の会衆の中に親族はいない。母親が引き取りを拒絶したと聞く。おかげで彼の面倒を見ていた、マーロンの部下のマックス・トージアが全ての手配を引き受けたのだとか。  式次自体は特筆すべきこともない。午前中に教会で行われたフード・パントリーが押し、葬儀の開始が30分程遅れた程度だ。駐車場が遠すぎて一度車へ戻るわけにも行かず、皆刺すような日差しに晒されながら、教会前の石段でじりじりと待っていた。トージアのやきもきした表情は、哀れを催すほどだった。  暑さは墓地に行っても変わらない。ロッカー式の墓は庇が短く、せっかく教会や移動中のカークーラーで乾かした汗がまた吹き出した。 「随分張り込んだな」  仰々しい御影石の墓前へ立つマーロンのこめかみにも、玉のような汗が浮いていた。 「あの予算の割には。だいぶ頑張ってカンパ集めただろ」 「カンパどころじゃ済まなかったすよ、普通に足出ました」  隣に並んでいたトージアが、アメフトのディフェンスラインにいそうな上背を丸めて耳打ちする。 「それなのにあの『ル・ポールのドラァグ・レース』に出てそうなデブ、『追悼会はケータリングだけなんて、シケてるわね』とか。自分は一セントも出さない癖して」 「管財人に話通してあるんだろ、あるもの全部処分しちまえ。特定疾患の申請書出せば、大分還元されるから、それまでの我慢さ」  俺もこっそり、マーロンが感情の見えない横目を這わした方角を見やった。参列者の群像の中で、埋葬者を称するとき「彼」ではなく、「私達」と口にする人達。つまりは鮫と鰯の鰯側。鮫達が皆、ぐっと苛立ちを押し殺したような顔で牧師の話に耳を傾けているのに比べ、彼らは皆心から悲しみ、涙を流していた。  芝生を走り抜ける生ぬるい風にすらよろめきそうな程の心痛だ。故人のことをろくに知らない俺ですらしんみりしてくる。それなのに、ほんの短い間とは言え過去にガースンのマネジメントを担当していたマーロンは、徹底的にすげない。微かに引き攣った頬へ浮かべられた、くたびれ混じりの軽蔑は、いっそ感嘆するほどだった。 「ニタだっけ? 病院は来週か」 「手配、マジで助かりました」 「分かってると思うけど、深入りしない程度にちゃんと労ってやれよ……病気伝染されたうえ、一人で子供は育てられないよなあ」 「ガースン、癌じゃなかったっけ」 「あーっ、それガセ、ガセ」  俺の問いかけに、トージアが顔をしかめて手を振る。 「お袋さんは最後まで認めたがらなかったから、表向きはそうなってるけど……アナル(A)インサート(I)したりディック(D)サック(S)したりし過ぎたから」 「注射針だよ。重症のヘロ中」  静かにそう被せてから、マーロンはようやく心優しい参列者たちから視線を剥がした。 「死んだら、生前の悪行は忘れ去られがちだよな」   謙遜せずとも、墓地のゲストハウスで開かれた追悼会は立派なものだった。ホール中に飾られたジャスミンの、むせかえりそうな程濃い芳香。棺の中から音楽を聴くことなど出来ないだろうに、トージアは故人の意向に添い、マリアッチの楽団まで呼んだのだ。食事は冷房で乾いてはいるが量も種類もたっぷり、アルコールはビールのみ。幸い、一人一人が故人の思い出を皆の前で披露するなんてことはなかった。やっと熱波から逃れ、皆やれやれとバドワイザー入りの紙コップに手を伸ばす。  マーロンはトージアやテン、その他お仲間の業界人達と話し込んでいることが多かったから、俺は勧められた通りにタダ飯を食っていた。どこの仕出し屋に頼んだのか知らないが、豚足がやたらと美味かった。  タコスやら殻付きの牡蠣やら、鶏ミンチの甘酢団子やら鯰のフリッターやらを頬張っている間に、名刺を3枚貰って、7人とアドレスを交換した。声をかけてくる中には仕事関係じゃない人種もいたが、概ねはよく知らないマネジメントやパブリシスト事務所の人間。断るのに苦労した。あまりすげない態度を取ると、後日マーロンの仕事へ差し障るかもしれない。  「デュースズ・ワイルドの人?」先程熱心に泣いていたハンサムの1人に声を掛けられた時は、名刺攻勢が束の間途切れたタイミングだったので、内心ホッとした。 「マル・ヒルデブラントと一緒にいたでしょ」 「あー、うん」 「俳優かと思った。彼のクライアントかなって」  一難去ってまた一難というわけだ。どう言った類のリップサービスなのかとまじまじ見つめていたら、「そんな警戒しないでよ」と笑われた。 「先に種明かししておくけど、ユリア・レオポルドが」  と、彼はこの会場で幾つか出来ている人の群を一つ顎でしゃくった。輪の中心的位置付けにいるチャーミングな女性は、確かに見覚えがあった。 「最近ウィルヘルミナに移ったから、新しい人を探してて。君のことをスパイして来いってさ」 「葬式でヘッドハンティングするなんて、どうかと思うぜ」 「この世は弱肉強食だよ」  べちゃべちゃしたフリッターの味がしなくなってくる。ふと頭の中に、青い海の中をすいすいと自在に泳ぐ鮫の姿が浮かんだ。近頃海に行っていない。昔は「地獄の黙示録」の中佐並にサーフィンへはまっていて、将来はプロのサーファーになりたいとすら思っていたこともある俺がだ。マーロンと付き合うようになってから、全くと言っていいほど足を向けていなかった。  俺は一体何をしているんだ? 「マルは悪どいって聞くけど、いじめられてない?」 「親切だよ、彼は」 「まあ、そう言わざるを得ないよね」  マーロンの姿を見失っていることに気付き、目線で探した。着込んだスーツは暑く、頭がくらくらしたことも相まって、適当な相槌しか打てなくなる。 「マックスにここで追悼会をやれって入れ知恵したの、彼なんだろう。自分の奥さんの葬式の時で懲りたから。去年の、君も行った?」 「ああ」 「凄かったよね、コロンブス・サークルの『ウーゴ』で、街中の売れない役者や歌手やダンサーがたかりに来てた」 「俺もたかりに言った側だったからな、意見は保留しとく」  軽く冗談めかした、その実上の空の口調は、自分の耳すら素通りする。  忘れるわけも無い。奥さんを埋葬した日、俺が休みだったのは全く偶然の出来事で、それはつまり運命ということだ。  ごった返すイタリアレストランの奥で、喪主のマーロンはまるで幽霊のようだった。見かけこそ、酒や料理が切れないように気を配り、弔問客の言葉へ丁寧に応対する物腰は毅然としていた。何とか絞り出した儀礼的な悔やみの言葉を口にする俺にも、「君も来てくれたんだな、彼女も喜ぶよ」と微笑んで見せたほどだった。  勿論、俺には分かっていた。彼が「立派にやり遂げたね、気丈だね」と言われることを全く望んでいなかったことに。それならばいっそ「可哀想に」と同情され、誰かの肩を借りたがっていたことに。 「彼女が溺れた時、マルは素面だったんでしょう。ビリー・マクギーと、それからデブラシオ市長の側近と何か話してたって……今度の市長選で、ビリーが民主党に凄い献金をしたって話だけど、それと関係あるのかな」  彼は未だ誰の肩を借りることもなく、しめやかな場であはは、と笑う。一際大きな一団の中で見つけた彼は、その場にいる誰かが放った冗談にでも耳にしたのだろうか。  自分がされてうんざりしたことを、誰かにやり返すのは、どんな気持ちだろう。彼は強いから、苦痛すら教訓にして自らの武器に変えてしまうのかもしれない。  余りにも憚ることなく見つめていたから、気付かれてしまったらしい。マーロンはこちらを振り返った。すぐさま、薬でもやっていたかのようにリラックスしていた瞳に理性が戻った。  緊張は伝染する。俺がたじろぎ、何でもないと手を振るより早く、彼は傍らのトージアに耳打ちした。 「もうすぐ回顧上映が始まるってさ。あのスプラッタ映画を観るのもこれが最後だな」  すぐさま歩み寄ってくるなり、彼は俺の肩を掴んだ。ぐっと、痛い程に。 「ユリアはどうしてる?」 「相変わらずだよ」  いささか罰が悪そうに口ごもった青年へ、マーロンは「全く」と呟いた。 「彼女もしつこいな。こいつは駄目だ、絶対駄目。諦めろって言っといてくれ」  そのまま訳も分からず、ぐいぐいとホールの外まで引っ張って行かれた。抗弁しようとしたが、彼がぴしゃりと叩きつける方が早かった。 「しっかりしろよ、あいつがユリアのスカウトだってすぐに分かっただろ」 「何だってんだ一体、俺が誰と世間話してようと……」 「恥知らずのエージェントと、ろくでなしマネージャーの愛人同士がくっちゃべってるって周りに思われてたんだよ」  真夏の太陽の下、彼の顔は酷く赤らんで見えた。本気で怒った子供のようだった。 「あいつと話してたら、残りの20人も飛びかかっていいと思い込む。狼の群れに羊を放り込むみたいなもんだ」  随分と彼は腹を立てている。普段と逆の立場なのがおかしくて、不謹慎な話だが、俺は思わずふっと口元を緩めてしまった。マーロンはますます不機嫌を増し、舌打ちを一つ漏らす。 「ったく、何ニヤついてるんだよ。お前、奴の渡してきた酒とか飲まなかっただろうな」 「飲んでない……なあマーロン、もしかして、妬いたのか」 「違う。恋人が軽く見られて、安いワナビーみたいな扱いされから腹が立つんだよ」  恋人。恋人か。  俺はその瞬間、勝利を確信した。マーロン本人は気付いていないかも知れないが。 「悪かったよ。モデルの葬式なんか、引き抜き合戦になるのが目に見えてたのに……連れてくるんじゃなかった」 「でもさ。マーロン」  一歩、二歩と歩み寄り、心底忌々しげに唸る彼の手を握った。たった今掌の中へ入れたものを逃さない為に。 「俺は、葬式に相手を連れて行くってことは、その人間を正式な存在だと見なすもんだって、そういう躾を受けて育ったんだ」 「それは結婚式だろ」 「あー、そうだったかも」  そのとき、マーロンは振り解かなかった。ひんやりした彼の指が、汗ばんだ俺の指に絡む。一度ぎゅっと握ってから離すと、陽光を吸い込んですっかり汗染みを浮かせた、俺のスーツを乱暴にどやしつけた。 「もううんざりだ、引き上げよう」 「マックスは放っておいても大丈夫なのか」 「みんな腹も膨れたし、あの精神病みたいな映画が始まる前に引き上げるよ」  言われて思い出したのは、明日取っていたコフマン先生の予約だった。危ない、すっかり忘れるところだった。  すっぽかしても良いのかも知れないが、取り敢えず明日は顔を出そうと思う。  少なくとも、しれっとした顔で嘘をつくことは出来るだろう。俺はもう、その自信があった。

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