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里帰り-12
ようやく落ち着いた俺の腕でまったりとした時を過ごしていた風が、気持ち良さげに瞑っていた目をぱちっと開けて上半身を起こした。
「どうした?」
俺の問いにあのさぁと半ば呆れ気味な顔で口を開いた。
「さっきの話だけど……」
「さっきの?何だ?」
疲れ切った体では頭もろくに動かず、風に尋ね返す。
「光と僕のこと!気にするなとは言わないけれど、ちゃんと話し合ったんだから、光を信じてあげてよ!」
そう言って俺に背を向けて横になる。
その髪を撫でながら分かってるよと返すが、実のところ俺のいないところで勝手に話し合ったのも俺としては許せない。
寝かされていた部屋にいきなり風が来て、「もうわだかまりないから、光にも家に来てもらおうね!」って言われて、はい、そうですかなんて言えるわけないだろう。
あんな酷い事をした奴に、お前はなんでそんな寛大なんだよ?!
風の背中に顔をくっつける俺の頭を、伸ばした風の手が優しく撫でる。
「まだ、納得いかないの?された僕がいいよって言ってるのに?」
「いかねぇよ……いくわけないだろう?!俺は……俺の心はあの時で止まってる。お前を助けられなかった後悔と光への憎悪……俺はあいつの喉笛にいつだって……違う……俺は俺を殺してしまいたいんだ。お前を助けられなかったあの時の俺を……」
風の体がゆっくりと俺に向いて、その腕に俺の頭を抱える。
「ダメだよ?雷が死んだらその運命の相手である黒兎の僕の命も果てる。僕らには守らなきゃいけない子供達がいるんだ。二人して急にいなくなったら、それこそあの子達までもが……それに雷の獲物は僕だけ。僕だけが雷に狩られ、その体と一つになるんだからね?他に獲物がいるなんて、僕が許さないよ?」
「だけど……無理だ。あいつとこの家でお前達みたいに談笑なんて……無理だ!!お前の兄弟は俺達の誰も傷付けてはいない。静があの時に静観していたとしても、それは逆を言えばお前に命の危険があれば守っていたという事だ。だけど、あいつはお前と水に……くそっ!!」
風の胸が濡れていく。俺は肩を震わせて風の体を折れるほどに抱きしめた。
「……雷?ねぇ、聞いて?僕だって水だって受けた傷は塞がっても傷痕として残っている。あれだけの深手だもん、きれいな、何もなかった頃のように戻りはしない。でもね、少しずつ薄くなっていくんだよ、傷痕も。本当に少しずつ……でも、消えることは無い。」
「だったら、なおさら傷をほじくり返すようなことしないでくれ!俺はもうあの時みたいなお前に戻ってほしくない!!」
俺の必死の訴えに、風がふふっと笑った。
「戻らないよ。ううん、戻れない。だって僕の隣で僕を愛してくれる雷がいるんだよ?例えもっと酷い事をされても雷は僕を愛してくれる。僕が雷の前から消えようとしても絶対に探し出してくれる。雷が僕の居場所だって分かったから、もう僕は何があっても大丈夫。だからあの頃の僕とは違う。」
風の手が俺の背中をさする。
大丈夫
大丈夫
呪文のように……
「お前は絶対に光の側に行くな。水も陸もあいつから3m以上離れてろ!」
「それじゃあ、光は廊下にいなきゃいけないよ?」
「それでいい!あいつなんて冷えた廊下の床で十分だ!」
まったくと言って風が笑う。
見上げた俺の目と風の目が合ってどちらからともなく唇を合わせる。
「僕はね、光だから許すんだよ?雷の家族だから。雷が僕の家族を受け入れてくれたのと同じ。光も僕にとっては大事な家族なんだ。だから、大丈夫。光にとっても雷はお父さんだったんだね?そんな大切な唯一無二の存在を僕が光から奪ったのに、光はむしろ僕とも暮らしたかったと言ってくれた。光も被害者なんだよ。思惑のある大人達の勝手な都合に振り回された……」
光の言葉が叫びを思い出す。
大人達の都合で俺は懸命に探し出した風と村を追い出されたが、光はそれからすぐに親父も死に、なんの庇護もないままで大人の真っ黒で欲望まみれの只中にほっぽり出された。
「桐さんとうまくいくといいねぇ……」
急に風の口から出た言葉に上半身を起こす。
「桐?!え?!どういう……」
風が俺の剣幕に目を丸くしてからくすくすと笑い出し、俺の腕を引っ張ってベッドに戻した。
「光はね桐さんに恋してるの。でも、桐さんは人との間に子を成した罪人。バレればもう今みたいに光の側にはいられないし、最悪の場合、処刑もあり得る。それにその事を薄々勘づきながらも自分のそばに置いている光もタダでは済まないかもしれない…だから二人とも自分の気持ちを押し殺して生きている。僕はこの家でだけでも二人が自分の心のままに過ごせたらいいなって思ってるんだ。」
「風、お前……」
「惚れ直しちゃった?」
クスッと笑いながら尋ねる風にあぁと頷いて、再び唇を合わせる。
「あいつらも幸せにしてやりたいな……」
「そうだね。」
風の優しさと暖かさが俺の心の溶けなかった、いや、溶かしてはいけないと凍らせ続けていた氷を溶かしていく。
「いいのか?俺があいつの幸せを望んでも。俺があいつを迎え入れても……」
「やっぱりね。雷はもうとっくに光を許してたんでしょ?だって、光の気持ちも光の状況も雷には分かっていたはずだから。ただ、僕に悪いって、僕に酷い事をした光を自分が許したら僕に悪いって、だからずっと光との思い出に蓋をして、可哀想とか愛しいっていう想いに目を瞑って……ごめんね。分かっていたのに、僕もそんな雷の心を見て見ぬ振りしてたんだ。」
風の言葉にただ頷く。
「でもね、もういいんだよ?何も我慢しないでいいんだよ?僕、今回のことがなかったら、やっぱりずっと雷の心を無視していたと思う。でもね、光と向き合ってみたら出てきたのは、やっぱり雷に似てるんだなぁ……なんていう僕でも僕に馬鹿なの?って言いたくなるような感想だった。それまでの何もかもが一瞬でどっか遠くに行っちゃって、光を心が受け入れていた。それはきっと雷の家族だから。僕は雷が好きすぎて、愛しすぎて、きっと雷の何かって言うだけで特別に思ってしまうだと思う。ふふ。」
そうやって微笑む風にありがとうと囁いて顔を胸に埋める。
「ねぇ、僕に雷の小さい頃の話を聞かせてくれない?今までそれは光が紐付けられているからって雷は話さなかったでしょ?」
そうだった。
俺は俺の村での思い出に出てくる光すらも封印していた。だからそう言うことはあの事があってからは話すことはなかった。
「あぁ。そうだな……何が聞きたい?お前が眠るまで、聞かせてやるよ。」
うんと嬉しそうに頷く風を見ながら、いつくらいにあいつらを招待してやろうかな?とか、もう一部屋ある客室の掃除もしなきゃなと心の中で予定を立て始めていた。
(終
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