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第1話

 赤い満月が夜空に浮かぶ。ルービーのような、闇夜に浮かぶ怪しげな色である。それに誘われるように、蝶が蠢いていた。ふわふわと揺れるように羽を動かし、雑草に止まっている。紫の蝶の体、羽についた体は本来ならば昆虫の体だ。その蝶の体は大きな女の顔である。鱗粉が冷たい風に乗る。甘い香りがした。  月を見上げていた少年達がいた。そうして、視線は物陰にいる蝶に転じる。 「中野(なかの)」  あそこだと物陰に指を向けた少年がいた。  彼の顔立ちは繊細な作りで人形のようだと思わせる、不思議な少年だった。そうして中野と呼ばれた少年、こちらはさっきほどの少年とは違った。目が大きいとわかる。しかし、その目は強い光りを帯びていた。 「行くぞ」  彼は闇夜に刀を抜いた。しかし、刀の刃はなかった。刃は抜かれている。しかし、そうしてよく見ると暗い闇の色のなにかがあった。  中野の前に蝶がふわりと飛びかかってきた。  蝶は笑っていた。なにが楽しいのかわからない。美しい少年は微笑んでいた。そうしていつの間にか、蝶の羽をつかんでいた。片手から両手になり、鱗粉がつくことをいとわない素振りで中野に向けて蝶の顔を見せていた。  中野は平然としたまま、それを見つめていた。 「あんた、悲しいんだね」  と声変わりしたばかりの声で言った。そんな彼を笑いかけていた女は口を開けて、なにかを放とうとした。呪詛のような言葉だろうか。  少年は刀、闇色の刃を女に突き刺した。女は悲鳴をあげた。  気がつけば、女の羽は取れていた。女の体がある。裸で。膨らんだ乳房や柔らかい下半身を前にしても二人の少年は顔色を変えなかった。女は泣いていた。 「塵の世界にいては、だめだ。あなたを元の世界に戻す」  女は不思議そうにした。まばたきをする。  中野少年のポケットからスマホが取り出される。 『ゲートが開きました』 「ゆっくり休んで」  ふわりと女がスマホに吸い込まれていく。女は歓喜したような表情をしていた。  そうして、中野少年のスマホは何事もなかったようにホーム画面に戻っていた。 「中野」 「山代(やましろ)」  ふっと山代と呼ばれた少年、美しい少年が笑った。 「名前を呼んだのは悪かったか」 「悪いよ。俺が縛られたらどうするんだよ」 「ああ。まあそいつを食えばいいんだ。早いだろう」 「助けられないじゃん」  中野は呆れたようにいう。そうして、また赤い月を見上げていた。  山代も顔を上げた。 「いい月だ。中野。血が騒ぐような」 「やめてくれ」  そう言いながら、二人は空を見上げていた。秋風から冬に向かうような、凍えるような風が二人を包んでいた。真っ赤な月はまたゆっくりと白銀へと変わりはじめていた。  それでも月を二人は見つめていた。  学校、それは教室で変わらない日常を楽しむための場所。中野少年は高校生で、とある田舎の学校に通っている。中野少年の名前は、中野辰喜(なかのたつき)。周囲には読みにくいと言われている。  彼の前の席に山代がいる。山代はまっすぐに前を向き、ホワイトボードの板書をしているのだった。  確かに、二人はクラスメートである。  中野はノートにホワイトボードの板書。隣の女子がスマホを触っている。  中野は大人しく教科書を見ていた。甘い香りがしてきた。中野は顔を上げた。中野の様子に誰も気にとめていないようだ。辺りを見回す中野に内容を書くことに集中していた教師がいきなり「中野、問題を問いて」と言われた。  はいと中野は慌てたように答えた。  クスクスと笑い声が聞こえたような気が中野にはした。中野はさりげなく辺りを探るが、早くしなさいと教師に急かされた。  教室の生徒は、授業が終わるのをそわそわして待っていた。ノーチャイム制が生徒の自主性を養うためにという名目で導入された。中野は安い、百円しかしない腕時計が休み時間になるのを待っていた。 「山代。実は」  ああと言った山代は中野の顔を見た。しかし、違うクラスメートが中野より早く話しかけていた。目立つグループ和泉(いずみ)の顔はまあまあイケメンで運動ができるタイプだった。 「昨日アップされた」  山代と話がしたいために、中野をにらみつけるようた和泉がいた。中野は素直に山代から離れた。 「おい。また振られたな」  友人の藤間(とうま)に言われた。藤間はため息をついた。 「山代、気がついていないけど、危ないよな。和泉に処女を奪われるか、童貞を失うか」 「やめろよ。冗談でも言うなよ」 「だって俺が山代に先生の伝言を言ったらにらんでくるだぞ。あれはなにかある」  いやそうな顔を中野は見せていた。中野の顔を見ていた藤間はニヤニヤと笑う。どっと笑い声が聞こえてきた。クラスメートが笑っている。  山代を囲った女子や男子やらが笑っている。和泉がなにかおかしいことをした生徒、一番気弱そうな男子をからかっていたからだ。 「悪趣味だ」  中野はそう言ったが、慌てている気弱そう男子の様子が滑稽に見えるのか周りはよく笑っている。山代は中野の視線に気がつくと「やめろよ」と言った。  和泉が顔は怒っているようだった。山代は冷静に見つめていた。まるで気にしていない。 「面白くない」  冷え冷えとした口調で言った。人形のように整った唇から出た言葉に周りは凍りついた。和泉は眉間にしわを寄せた。気弱な生徒はヒーローを見るような目で山代を見ていた。 「えっ」 「わかったよ」  あの和泉が肩を落とした。借りだぞと和泉が言った。  藤間は「なんだ、あれ」と言った。中野は顔をしかめて「さあ」と言った。中野と目があったとき、山代が注意したように、藤間には見えた。中野と山代がどんな関係なのか、いまいち想像できない。というより、あまり想像したくない藤間がいた。 「借りって友達で使うか」 「あるさ」  中野の質問に藤間があっさり答えた。プログラミングの授業中に中野は藤間に問いかけた。普通ならば、さっきのできごとで和泉と山代は離れているはずが、二人は仲良くしている。山代は笑うことがない。ただ、和泉ははしゃいでいた。  山代目当ての女子はうふふと笑みをこぼして、べったりと山代にくっついていた。  山代と目と合った中野に、山代は笑いかける。そうすると中野は目を伏せた。 「山代って笑うのか、無表情だから気がつかなかった。中野を見るとそうなるのか。気をつけろよ」  ちらりとした視線を感じて「たまたまだろう」と中野は言った。実際にはわからないのだ。中野はつぶやきそうになる。 「いや、山代はよく中野を見ているよ。おまえ、ヤバいかもな」 「友達にいうことか」 「襲われないように」 「襲われたら逃げるよ」 「いや、無理、無理」  楽しげな藤間になにか言おうとした中野がいた。しかし、中野はタブレットに向かい、アプリの動作を確認していた。 「なあ。山代」  山代がセーター、私服姿で中野の側にいた。中野は簡単な料理を作っていた。彼は電子レンジを使っている。 「中野。おまえに入り込む余地はない」 「ということはなにかしたな」 「言えない」 「まあいいけどさ。おまえ騒ぎを起こすなよ。あと俺をじろじろ見るな、笑いかけるな」  山代は不思議そうな顔をしていた。中野は舌打ちをしそうになるのを抑えていた。 「あっ、牛乳がないから買いに行く」と中野がいうと、山代がついていく。  ドアを開けると、玄関に立っていた男に気がついた。 「三田(みた)さん」  帰ってきたのと中野が問うと、三田という男はうなずいた。短い髪に精悍な顔つきをしている。そうして「どこに行くんだ。アルバイト?」と問いかける。 「うちの高校、アルバイト禁止。お手伝い。いや、牛乳がないから買いに行きたくて」 「今日はやめた方がいい。暗い。それに、茶にしろ」 「俺、身長が小さいから」 「わかったよ。俺が買いに行く」 「悪いよ」  いいんだと三田が出て行く。はあとため息を中野はした。二人を観察していた山代がいることに気がついた中野は「なんだよ」と言う。 「俺と話すとき、中野は変わる」  山代が唐突に言った。変わるかよと中野が言った。いきなり、中野の腕をつかんだ山代はそのまま、中野を閉じ込めるように抱きしめた。 「そんなにあの男がいいなら」 「おまえさ。いちいち変なことを考えすぎ。わかったって。別に、な、おまえが嫌いじゃない」 「?」 「好きでもない」 「俺は中野が好きた。喜ばしたいだけだ」 「いや、ありがたいような迷惑なような」  山代の顔が中野の顔に近づいてくる。さすがに慌てている中野がいた。山代は平然としている。まるで自分の愛情表現が当たり前と言いたいのだろうか。 「待て、やめろ」 「ずっと欲しかったから」  待てない。山代はそのまま中野に顔を近づけ、そのまま唇を重ね、舌を入れようとした。  中野は山代の舌を噛んだ。 「なんで、いいことをしよう」 「そっちはやめろ。手をつなぐだけでいい」  渋々といった様子で山代は中野を解放した。 「おまえ、どれだけ盛っているんだよ」 「押し倒したい」 「藤間が言った通りになりそう」 「なんで、中野は女ではないか」 「おまえ、頭がおかしい」 「悪いことは言わないから。俺のものになればいい」 「絶対にヤダ」  山代は不思議そうに見つめていた中野から視線を転じて、三田がいいのかとつぶやいた。 「三田さんは大人だからな。おまえは危険、三田さんは安全だから」 「そうか」  手をつないだまま、山代は満たされたような顔をしていた。

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