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第2話
寂しいと中野は気がついた。それは夢だと知っている。自分にはなにかが欠けている。それがなにかは中野にはわからない。
言葉にしようとする。しかし、出てくる言葉は寂しい。なぜ寂しいのか、肉親がいないからだと中野は解釈している。それ以上に、寂しさに悩まされたくないから中野は次の夢を待つ。夢は幸せなものではなかった。
“もの”が追いかけてくる夢である。それがなんだか、形が形容しがたいものだった。本で読んだものだ、俗にいう化け物達まで出てくる。怖いなとつぶやく中野がいた。
いつの間にか自分の体が幼くなっていることに中野は気がついた。小さな体をめがけ、正体不明のものが中野に向かって、手を伸ばしていく。それの手の形があやふやで水に墨を入れたような形だ。ただ、気持ち悪かった。
あれに触れられたら戻れない。なににという前に「……に触れるな」という幼い声が聞こえた。
中野の目の前に同じくらいの背格好の誰かがいた。大丈夫だからねと言われた。
「オレが守るよ」
なにを言っているんだよと中野は言いそうになった。おまえだって手が震えていると中野は言う前に少年が笑う。
中野の目の前にいた少年は闇の中に消えていく。
「寂しいお化けはオレが退治するからね。だから待っていてね」
そうか、寂しいお化けだったのかと中野は妙に納得した。中野はしばらくなにも夢を見ることなく、眠ることができた。
目が覚める中野は布団の暖かいぬくもりを味わおうと深く息を吸い込んだ。だが、違和感があった。目の前には別の体温を感じたからだ。目を開けば中野の目の前には人がいた。びくりと体を震わす中野にその人物は無害そのものに寝息をたてていた。
「山代。おまえ」
山代にはちゃんと寝床があることを中野は知っている。そんな中野を知らず、中野の体を平然と受け止めている山代がいた。人形のように形のよい顔は、眠っていても美しく見せる。神々しいくらいである。しかし、中野は山代から腕から抜け出そうした。がっしりと腕は中野の背中にまわっている。
「この、起きているんだろう」
「なんだ。かわいいことを言うな」
スエットの上から中野の腹をなでる。中野はゾッとした。意識がなくなるまで眠っていた中野が悪いと言われればそれまで。山代相手に野生動物が腹を見せて寝ていたのと同じだからだ。
「かわいい。中野が眠っていてうまそうだった。食べちゃいたい」
「どこで覚えた」
「貸してくれた漫画。男同士が恋愛している」
「あれはフィクション。こんなことをされても気持ち悪い」
「でも人のぬくもりは嫌いじゃないだろう」
「それは親密な相手だけ」
なんだと山代はつまらなそうに言っている。なにもしていないようだが、まるで自分が正しいと言わんばかりの態度が中野を腹立たしく感じさせる。
「どけろ」
「わかった」
中野は解放された。そのまま、顔を上げた山代は「もうちょっと寝ていれば良かったのに」と冗談めかしに言ってくる。
「絶対にいやだからな」
早く出ろと山代に向かっていう。山代の布団は隣にある。布団に入ってきたのは予想外でもあった中野には、山代がなぜあんなことをしたのかスマホで検索しようかと考えていた。
「気まぐれにしては冗談でもないような」
食べちゃいたいという言葉に背筋が凍る中野がいた。山代にとって中野は食べ物しか見えていないのだろう。だからあんなにうっとりとした顔で言えるのだろう。
朝食を作ってあった。三田が作ってくれたのだろう。三田に感謝しながら中野は席に着く。食卓には穏やかな気配が残っている。山代はスエット姿で食べ始めていた。
学校は同じだから、一緒に登校しようと山代は言わない。お互いに別の時間帯に出て行く。山代は先に、中野は家の鍵を閉めて歩く。テスト期間が一番困る。だから中野は山代と会わないように放課後、図書館にこもって勉強する。
図書館ならば食堂があり、カップ麺も売っている上、お湯もあるのでたいていそこで済ます。山代がなにをしているか中野は知らない。
お互いに知りたくなかったのかもしれない。
「おはよう」
藤間が話しかけて、考えにふけっていた中野は顔を上げた。中野の顔を見るなり「どうした」と藤間は問いかけた。
「いやな夢を見て」
「夢なんて気にするんだ。まあ、わからないけど、あんまり気にすると体に毒だぞ」
「ありがとう」
藤間と動画の話になる。なにが楽しいというとバカみたいに笑えるからだと中野は気がついた。
藤間がいてよかったと改めて中野は感じていた。
ふふと笑い声が聞こえた。幻聴かと中野は考えていた。あまりこの手の輩は反応しない方がいいと知っているからか、中野は気にすることなく藤間と話していた。
学校に着くと自分達の教室に入る。そこには、机がすべて逆さまに並べられていた。ぎょっとした二人に「なにこれ、いたずら」と女子達が騒いでいた。
「なんだ、これ」
イスはそのまま正しく立ち、机だけが、四本の足を天井に向けて、台の木の部分を床に伏せていた。まるでなにかの儀式のようである。すべての机がそのようになっているのは異様である。
「おはよう。なにこれ」
と言った生徒が多数だった。騒ぎを聞きつけた教師が驚いた顔をしたが「ここにいる生徒でみんなの机を直すぞ」という。教科書や筆箱が入った机があり、いちいち出さなければならなかった。人の机とは妙なもので、その人の個性が出ている。プリントがそのまま入っているもの。教科書やノートが鞄の中身のように机に入っているもの。借りた本が入っているものもいた。
「それにしても手間がかかるいたずらをするな」
「だよな」
藤間は困惑した顔をした。藤間自身、わけのわからない、はた迷惑ないたずらと思っているのだろう。
「遠くから見て笑っているかも、な」
「性格悪い」
朝の自由時間がこれでつぶれてしまった。生徒達は不満げである。山代は静かに直していた。それもそうだ、中野より早く学校に来ていたからだ。
「他のクラスにはなにもなかったって」
「うちのクラスだけかよ」
「なんか気味悪い」
「誰だよ。やった奴」
そんな生徒に対して学校側である教師達はこんないたずらをした生徒を探さないのだろう。事なかれ主義なのか、報復を恐れているのか、わからない。
「先生は犯人探ししないからな。もしかしたらみんなに助けてほしいのかもしれない。みんなどう思う」
「どう見たっていたずらでしょう」
「じゃあ、なんでいたずらをする」
「憂さ晴らし」
「なんで」
「先生、授業しよう」
「それだけストレスがたまっているんじゃないかな。そういうときは友達や先生に相談しろよ」
「はーい」
気のない返事が教室に響くが、教師は満足したのか、授業を再開する。中野はいたずらか、それともやつらの仕業か判断つかなかった。ただ、中野には不思議と大人数でこれをしたのだろうか。教室に忍び込んで一人でこれをするのは大変な労力である。
しかし大人数でことを運ぶには警備員だって気がつく騒ぎになるだろう。中野の頭の中には夜に忍び込んでいく以外なさそうだと考えていた。
「中野。どうした。難しい顔をしてさ」
「藤間か。あのさ。やっぱり、さ、あのいたずら、誰がやったと思う」
「うーん。遊びだよな。誰も気がつかないで机を逆さまにする」
「遊び」
「それで賭をするか。気弱そうな奴をつかまえてやらかす」
「一番聞きたくない」
「まあな。本当にやったからビビるけど、教室の奴らにそんなことを言っている奴はいないし」
「わかるよな。ニヤニヤ笑って」
「そうそう」
あっ、と山代が声をあげた。周りがいっせいに山代を見た。山代の視線は恥ずかしがらず、和泉に向かう。納得した生徒が会話を再開させていた。
中野には不自然に見えていたが、誰も気にとめていない。藤間も気にしていないのか「どうした」と不思議そうに尋ねていた。
「うん。なんでもない」
帰ったら山代と和泉の関係を問い詰めてやると中野は考えていた。中野の顔を見ていた藤間は「大丈夫か。本当に」とさらに問いかけていた。
「なんで逆さまにするんだろうな」
「さあ。逆さまは昔、呪術的な意味があった。ほら、よく逆さまになった城壁の石とかある」
「オカルト話」
「ごめん」
「じゃあ、今回、なんの意味があるんだ」
「さあな。儀式を行いたいとか」
「うわ。やめろよ」
気味悪いと言いたげな藤間に中野は「そんな時代錯誤なことをしたら、捕まる」と笑い話にした。
しかし、言ってみたものの、それはそれなりに信憑性があるなと中野は考えていた。
「オカルト映画を見すぎ」
「あんなの作り話か、まあたまに本物がまじったりする。わかんないけど」
「やめろよ」
と、非現実的な妄想を楽しんでいる場合ならばいいのだ。そう中野は思う。こんな明るい真っ昼間に話すからいいのだ。そう、わからないと人は恐怖を感じる。
そうではないだろうか。
中野はそんなことを考えていた。
「それにしても気味悪い」
「あっ、ごめん」
隣にいた女子が気味悪いのか「変質者だったらどうするのよ」と言われた二人は納得してしまったのだ。
「変質者なら、ガラス割りだろう」
他の男子も混ざってくれて、もうと彼女は怒ったように言った。
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