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第3話

 中野は、教師から頼まれたクラスメート分のノートを運んでいた。彼の腕にはA4サイズの色とりどりのノート達がずっしりっとのしかかる。見つかった相手が悪かったと考えている中野の腕が急に軽くなる。  山代が半分取ってくれたのだ。隣に来た山代は顔色を変えずにいる。まるで中野を助けるのは当たり前だというように。 「おい。山代。ここ、学校」 「それが」  まるでそれが問題なく、誰も気にとめないと言いたげである。中野は違った。箱庭には箱庭のルールがあるように、学校には学校のルールがある。それは生徒だけしかわからず、教師は知らないルールである。 「目立ちたくないんだ」 「別にいいじゃないか。おまえがみんなを困らせたわけじゃないから」  そう能天気に中野は山代に言われた。ノートを奪いたくても、山代の方が背は高い。それに余計な誤解、じゃれているように見える可能性がある。  中野は想像する。そうして彼は頭の中でクラスメートを描く。彼らが意外そうに見つめるが、中野がありがとうと言えば簡単に解放される。そこまで考えていた中野が教室に近づいていくと。 「あっ、山代。どこに行っていたんだよ」  和泉が駆け寄ってくる。彼の体の大きさからまるで大型犬が走り寄ってくるようだった。和泉は中野に気がついたが、素知らぬ顔で山代を持ったノートを中野に乗せた。重みがかかって、うわっと言った体のバランスが崩れ、倒れそうになる中野に山代の腕が中野を包み込んだ。 「ありがとう」  にこりと山代の人形のような顔が笑う気配。ヤバいと思った中野は和泉を恐る恐る見た。 「おまえら、ホモかよ」  笑っている和泉がいた。明らかにバカにしたもので軽蔑の色が目に混じっている。中野は頭が痛くなるようだった。 「違う。いきなりノートを乗せたら、倒れそうになるだろう。助けてもらっただけだ。勘違いするなよ」 「まあ、そういうことにしたいよな」  彼は笑っていた。中野はため息をついた。いやな予感がする。中野を抱いていた山代はけろりとして、中野の顔色をうかがう。  和泉に対してなにも感じていないようだった。そんな和泉が山代ではなく、中野をにらみつけていた。  中野は逃げるようにノートを持って平気だから、と言って立ち去った。  山代は中野の背中を目で追いながら「ゲイは和泉じゃないか。もし中野に悪い噂を流せば、あまりいいことは起こらない」と山代が言った。和泉はいらだった顔で壁を蹴った。教師が慌てたように来て「なんだ、なんだ。ケンカか」と顔を出した。 「違います」と和泉は笑って言った。山代と和泉は目が合うことなく、教室に戻った。中野は教壇にノートを置いて藤間と話していた。  チッと和泉は舌打ちをしていた。 「ちょっと、和泉。どうしたの」 「うるせー」  そんな会話を薄ら寒い気持ちで中野は聞いていた。  中野達は寒い中、ストーブに集まっていた。私立ではない限り、市立の金ではストーブや扇風機がせいぜい。ただ、教師のいる職員室や準備室には冷暖房が完備されている。ケチくさい、子供にはそうみえる。  教師が残業をして、一生懸命働いているらしいが、熱心な教師はそれだけ消耗しているとは子供達には伝わらない。生徒は教師の人間性をよく見ているものだ。 「山田さ。あいつ、いやな奴だよな」  山田先生はやる気のない、問題から逃げている生徒である。いじめに対してもなにかの勘違いじゃないと言う。隠蔽である。  バカにされている教師とは彼が知っているか不安である。  藤間はまあまあとクラスメートに言った。 「間部(まなべ)も熱血でうざいしさ」  間部は中野のクラスを担当している教師の名前だ。中野は間部の顔を浮かべた。 「それほど熱血でもないような」 「あいつ、サッカーになると熱血になるから」 「あーサッカーバカね」  納得する藤間と中野にサッカー部の愚痴を彼はいう。彼は先輩の悪口を言い始めていた。たいした技術もないくせに威張り、そうして美味しいところをかっさらうなんて言っていた。 「俺の方がうまい」  はい、はいと二人は受け流した。和泉の視線がなくなるとようやく中野はほっとした。和泉は中野と山代の仲を疑っているのではないかと考えていた。  暖かな部屋の中、ストーブのごうごうと燃える音が聞こえていた。ストーブは小型である。教室を温めてくれる。窓を見ればいまにも雨が降りそうな黒い雲。それを気にしない、教室の明かりが頼もしかった。  クスクス、中野の耳に届いた。中野は教科書から顔を上げた。パリンとなにかが弾ける音、きゃあという女子の悲鳴。それに気を取られた生徒達、ざわざわと怯える声。 「なんだ。これ」  一番窓側の席、窓ガラスは割れていた。誰かが叩いたようではなく、自然と割れたように、ガラスに蜘蛛の巣のようなひびが入っている。教室にある窓ガラス全部がそうなっている。さすがに間部教員も絶句した。我に返った間部教員は窓ガラスの近くにいる生徒に「大丈夫か。ケガは」と駆け寄ってくる。騒ぎは隣のクラスでも広がり、隣の授業をしたベテラン教師も顔を出した。 「なんか、ホラー映画みたいだよな」 「呪われているのかな」 「やめてよ」 「実害がないから平気が一番危ないんだよな」  そんな会話がクラスメート達の間で流れている。窓は青いビニールシートがかけられ、ガムテープでとめられている。誰もさわっていないことは明白で、間部先生は温度差か、ガラスが老朽化したんだろうと片付けていた。  そんなことではクラスメート達の非日常のワクワク感と不安感は拭えなかった。不安は紙に水をたらしたように広がっていた。しかし、放課後に近づくにつれ、落ち着きを取り戻してきた生徒達がいた。 「夜の学校に忍び込んで」 「やめとけ、呪われるぞ」 「だからじゃん」 「やめてよ」  そんなかわいいものではない中野は気がついた。スマホを持ってきた中野はメールアプリを立ち上げようとした。クラスメートは誰も中野を気にしていない。 「中野なんだよ」 「あっ」 「ゲーム、いけないんだ」  藤間がからかうように言っている。中野は苦笑して電源を落として、鞄の中に入れた。 「気配を消すなよ。びっくりしたな」 「なんだよ。忍者あるまいし」 「だよな。ごめん」 「それにしてもどうやって割れたのかわからないな」 「老朽化だろう」  中野がいうと藤間は笑う。 「みんな、誰かが自殺したとか、誰かが呪われているなんて話している」 「ふうん」 「中野はどう思う?」 「老朽化かな」  だよなと藤間がほっとしたような顔をした。なにかに呪われている感覚が誰もが楽しいものではなく、恐れるものだということがクラスメートの半分を見ればわかる。もう半分はネット配信して教室を実況しようという話になっている。自分は関係ないと高をくくっているのだ。  そんなクラスメートを止めるものはいなかった。やめようなど反対意見を言えば、臆病者と揶揄されるだろう。そうして生徒達は家路につく。塾に行くもの、部活に行くもの、習い事に行くもの、それぞれだ。  クラスメートが散り散りになった教室に、暇そうな生徒達がいた。 「ねえ、こっくりさん、しない?」  いかにも危なげな遊びをしようとしているものがいた。周りはいやだと言った。こっくりさんをして本物が出てきたらいやだと思ったせいである。  舌打ちした生徒がいた。その中の一人が「誰か笑った?」とつぶやいた。誰も笑っていないよと言った。ガタガタと地震ではないのに、ホワイトボードが揺れた。青ざめた生徒達は立ち上がり、呆然とした。なにかがいると唐突にそこにいたものは感じた。背筋にぞわぞわとした寒気が走った。  うわあ、と叫び声を上げて鞄を忘れずに抱えて走り去っていた。そこにはただ空になった教室が残るだけだった。 「早く来ないかな」  誰かがつぶやいていた。  中野は学校から帰宅していた。夕飯の買い出しに行っていた。スーパーは主婦が多く、中野は大人に混じって肉を買う。 「えっと、モヤシは買った。ウィンナーと、牛乳と」  メモに書いているものをカゴに入れているとスマホが鳴った。藤間からのメールである。 「怖いことがまた起こった」  内容はさっき起きたできごとである。中野はなにかを考えていた。今日あったできごとをまとめた内容をとある人物にメールを送った。  邪魔そうな顔をした主婦に頭を下げて、買い物に戻る中野は自分が行くべきか迷っていた。  家に帰ってくるといつもいる山代がいなかった。メモが置いてあり、今日は一緒に食事ができない旨が書かれていた。 「なんで」  中野は電話をかけていた。コールを聞きながら、ゆっくり息を吸う中野がいた。頭の中ではなにをいうべきかわかっていた。 『もしもし』 「山代、どこにいるんだ。おまえはなにをたくらんでいる」  プツンと電話は切れた。中野は怒りにかられたが、焦る手でメールを送る。そうして電話を何度かかけていた。  中野は食材を見ていた。メールをまた書き始めていた。彼の目にはなにが映っているのか。学校か、台所の狭い流しか。スマホの画面か。 「行かなくちゃ」  そう言って、刀の柄を取り出した。刃の部分はないものである。御守りのようにそれをリュックに入れる。スマホは充電して、彼は待っていた。 『我々も行く。君も来たまえ』  スマホにはそんなメッセージが届いていた。

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