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第4話
中野は簡単に調理をする。焦って指をやけどしてしまった。中野の家の時計は七時を差そうとした。中野は食事を慌てて済ました。少しだけ重くなった腹を抱えるように中野は家を出た。彼は食事がどんな味がしたか、よくおぼえていなかった。中野は走りたい自分を抑えるように学校へと通学路を歩く。
人影はあまりない。高校生もこの時間はいるが、集団である。群れをなしている。魚のように見える。中野を見てもこれから塾に向かうのだと解釈してくれることを中野は祈る。
暗闇は等しく、街の明かり以外は黒く塗りつぶされているようだった。住宅街の明かりが途切れば、闇の世界。毎日通い慣れているから、どこになにがあるのかわかる。駐車場のフェンス。町のバス停。ベンチ。それら中野に慣れ親しんだ世界なのだ。
これから魔所に向かうせいか、中野の首筋はチリチリとしたなにかを感じていた。山代がいない中、自分はどうすればいいのか考えていた。が、どう対処するというマニュアルなどない。
学校が見えた。門は閉ざされている。学校はなにかの怪物のようにそびえているように中野には見えた。塀をよじ登ろうとしたが、門を動かしてみる。簡単に動いた。
そうっと動かして、入ってみる。鍵は閉めているだろうか。そんなことを考えながら職員玄関の前に立つ。扉を開けようとすると、鍵がかかっていない。なぜか鍵は開いているのかと中野は考えていた。
人影があった。うわっと、中野は声を上げた。暗闇の中でなにかいたような気がしたからだ。中野は夜目がなれるのを待っていた。そうしてなにもいないことを確認する。ゆっくりと扉を開けると、すんなりと開いた。まるで中野を待ち望んでいたかのように。
中野はバクバクと鳴る心臓をなだめるようにゆっくりと玄関に入る。
「中野」
びくりと中野は肩を震わした。目が慣れたが、人の顔がよく見えないでいる。
「誰だ」
中野は鞄から刃のない刀の柄を握る。緊張していた声をしていると自分でもわかる。
「山代だ」
パッ、と明かりがついた。山代の人形みたいな整った顔が浮かぶ。中野は困惑した。
「スマホを取られた」
「は」
「だから、って来ることはない。もしかして寂しかったのか」
「いや、最初から話せよ」
中野の困惑した顔を見つめていた山代は不思議そうな顔で「最初って」と問いかけていた。中野はいらだったのは言うまでもない。
「だから、なんでここにいるんだよ」
「ああ、肝試し」
「メンバーは」
「和泉と俺と橋本と……」
メンバーを頭に入れた中野は「こんな危険なことを止めないのか」と山代に問いかけた。
「危険じゃない」
「危険だ。異界の住人がいるかもしれないんだぞ」
「異界はいつも待っている」
わけのわからないことを言い出す山代を中野はにらみつけたが、長くは保たなかった。
「キャアアア」
「助けてー」
中野は緊張した顔をした。行くぞ、山代と言った。一階のフロアーに靴下だけで駆けていく中野がいた。床はつるつる滑った。真っ暗闇の廊下の中、明かりをつけていく中野がいた。まるで昼間の廊下と違い、冷たい印象を受ける中野の後ろから山代がかけていく。
中野の教室を開ける。なにかがいた。蠢いている。中野は柄を握った。
「助けて」
「助けてくれ」
「山代か」
なにかは叫んでいた。人間に似たものだった。なんだ、これと中野はつぶやいた。泥人形が中野に向かって手を伸ばしていた。中野は反射的に後ろへと下がる。
「なんだ。おまえか」
声をする方へと顔を向けるが暗闇でわからない。山代はいない。
「おまえは誰だ、なんでこんなことをする」
中野は思わず問いかけていた。暗い教室には、確かになにかがいる気配もする。なにかがわからなければけして、対応できない。
「なんだ。なにも知らないのか。パートナーなのに」
パートナー? と中野はつぶやいた。中野の反応が面白かったのか、そいつは笑い出していた。刀を構える。緊張した面もちの中野は手がふるえていた。
相手が悪意を持っていることがわかる。悪意は必ず、中野に向かってくるのだろうと予想できた。
「他のみんなはどうした」
「いるさ。ここに」
横たえたクラスメートがいるのだろうか。廊下の明かりを頼りに、目を細めている中野に向かってなにかが飛んできた。
中野は反応したが、手に少し当たった。いっ、と手を見ると、少し腫れている。
「楽しませろよ。いたぶってやる」
「おい」
人間じゃないのかと中野は思った。わからないから山代と叫んだ。こいつは異界の人間か、はたまた悪意を持った人間を取り込んだ異界の住人か、それとも人間かは中野にはわからなかった。
明かりをつけた中野は動けなかった。衝撃で。
そこにいたのは倒れたクラスメート達だった。木の根に包まれ、顔色が悪い。そこにいるのは影の薄いクラスメート、名前は確か「室田(むろた)」と中野は言った。
隣には和泉がいる。和泉はニヤニヤと笑っている。
「なにしに来た」
「おまえら。なにをやったんだ」
「正義のヒーロー気取り? やめろよ。僕は復讐するんだ。僕は強くなったから」
「いや、待て。こいつは生け贄に使える」
山代に献上すればもっと力をもらえるぞと二人は言った。
「おまえら、いじめっこといじめられっこの関係じゃなかったのか」
「僕と和泉君は仲間さ。僕らはいじめられっこだった。和泉君は山代にあるものを渡して今の姿になった」
「じゃあ。室田はなんだ」
「言うわけない。でも特別に教えてあげるよ。僕の神様」
うふふふ、と笑い声が聞こえた。妙に甲高い声である。女の子の声だ。ふわりとそれは舞う。骸骨、目の中に蝶が一つ入っている。骸骨は犬の骨の形をしている。そこが気に入っているのか、と中野は考え、目を細めた。
「入れ物を貸したのか」
「なんで、わかったの。そう。犬の骨をあげたの。大丈夫。虐待してあげたんじゃなくて、骨になったのを見つけたんだ。僕らで」
「異界のものは返すのが当たり前なんだ」
「はあ。なんで、おまえは山代と一緒にいるんだよ」
「ちゃんとお互いに納得の上で」
いきなり、手をつかまれた。泥人形である。中野は手をつかまれたが、とっさに泥人形を引きちぎろうとした。
「山代君に献上するからさ。なにをもらう」
「室田がイケメンになって」
対価はなにを払うという話になっている二人を尻目に中野は腕や体の腹に力を込めて、踏ん張る形で、泥人形の腕を引きちぎる。しかし、泥人形は形を崩れたまま、中野に襲いかかろうとした。
「意気込んで来たわりにはたいしたことがないね」
「ちっ」
中野は片手で刀を持って、刃を出す。刃は黒く実体がない。
「なに、それかっこいい」
「本当だ」
和泉はつまらなそうに言った。中野は心の中で頼む、効いてくれとつぶやいた。形のない刃はいきなり伸びて、直角に進み、泥人形を直撃させた。泥人形はあっとつぶやいて、形を崩した。ほっとした中野に痛みが走る。腕が腫れ上がる。痛みに顔を歪めている中野に対して「早くも倒れるのか、だらしないなあ」と室田がいう。
「君、僕がいじめられたとき、無視したよね。なにもないみたいな。それもイジメの荷担だよ。わかる」
「わかっているさ。だから、謝るよ。ごめん。おまえらがいじめられていても知らん顔をして」
「中野君ってお人好しだね。だから山代君が気に入っているかな。顔だけは識別できるようにして。あとは腫れ上がってもらうよ」
痛いの、僕だって我慢したものと室田は言い出す。中野は無理やり、体を動かした。
「いじめられたからってイジメをしていいなんて法律はないんだ。室田はそんな奴じゃない」
室田はにんまりと笑った。その顔はどこか虚ろに映る。そうして、指を鳴らす。
「和泉。こいつを殺そう」
「は」
「生け贄はなし。だって、ムカつくから」
「殺すのはヤバいって。室田、やめとけ」
和泉は後方に突き飛ばされた。いきなりのことだったので中野は目を疑った。室田の手からなにか波動のようなものが出てきて、和泉の腹に直撃した。
「ずっと、美味しそうな匂いがしたんだ。君から」
「おまえ。室田じゃないな」
「室田という入れ物に、僕がいるだけだ」
「異界に帰りたいんじゃないか」
「いやだ。やっと肉体を得たんだ。返さない。人間どもを混乱させるのは楽しいからね」
中野は痛む手に気を取られたが、走り出した。宙に浮いた頭蓋骨をつかんだ。犬の頭蓋骨の中にある蝶を取ろうとした中野に、室田がいう。
「中野君。ごめんね。僕達、そんなつもりじゃなかった。山代君が助けてくれるから。きっと」
「室田を返せ」
「わからないの。室田は僕だよ」
中野は頭蓋骨を割ろうとした。しかし、第三者の手を掴まれた。
「山代」
「これを割らなきゃ、室田が室田じゃなくなるんだ」
「割ってむき出しになった室田の魂は、あいつによって食べられる」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「和泉。起きろ。主人の命令だ。室田はなんでこうなった」
「はい。ご主人様。机を裏返して、また山代様に室田をかっこよくしてもらおうとしたんです。でも山代様の代わりに別の奴が現れたんです」
「原因はおまえか」
中野がいうと、中野の顔を見ずに山代はつづきを和泉にいう。
「で、犬の亡骸を持って室田の体にある紋章を書いたんです。紋章は簡単な星マークで。三角形を上下にくっつけたもので」
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