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第5話

 中野の頭に星のマークが浮かんでいた。西洋占いによく使われるものだ。悪いものではない。むしろ神聖なものでもある。  多分、力があるから利用されたのだろう。力があれば縛れる。その上、なにかを刻印することは従う、服従の証だ。奴隷が逃げないように体に刻印されるように、それと同じ意味だろう。 「山代。こういう場合は」 「力を吸い取れば正気に戻るだろう」  腕が痛み、しかめ面をする中野がいた。なんとか片手だけ動かせるが、痛くて体を動かすのがやっとだ。自分が間違っていたのだろうか。中野は痛みに支配される前に考える。 「和泉に顔を変えたのか。それとも操作して」 「やめとけ。俺はおまえだけを守る」 「泳がせただろう。俺をわざと」  中野が動くことにより、相手の情報がわかることもある。それに山代は共食いをするつもりだと中野にはわかる。そんなことはさせるつもりはない。  とある漢詩を中野は思い出した。神仙達には下界は塵芥の世界と言われる。そう異界の住人にはそのような世界だろう。異界の住人が神仙達とは言わないが、ただ下界はあまりいい影響を与えない。  特に学校のような閉鎖的な世界は。和泉のように中野を嫉妬する負の感情。室田のようにいじめられる感情。成長過程でうまれるイライラ。そんなものが、異界の住人にいい影響を与えるかといえば、ノーだ。  そんなことを考えている中野は包帯を取り出した。痛む手でぎゅっと左手と刀を結ぶ。山代は意図がわかったのか手伝う。山代の手がゆるく結ばれた包帯をきつく縛っていく。 「助けてくれるか」 「中野が望むならば」  あっそうと中野は言った。中野はじっと室田の体を借りた異界の住人を見つめていた。 「なんで、待った」 「だってフェアが好きだから」 「これのどこがフェアなんだよ」  丸腰の和泉に、助けてくれるかわからない山代、異界の住人を助けたい中野。そんな三人が、室田や異界の住人を助けられるだろうか。  泥人形達が中野達にめがけ襲ってくる。触れる前に中野は刀の刃を消して、すり抜ける。体に激痛が走り、また別の泥人形が違う部分を触る、右足を捕まえられる。湿った足の感触とも共に痺れるような痛み。山代は和泉を守っているようだ。  痛みでしゃがむ中野に「今度は痛くしたよ。君は食べたら美味しそうだ」と異界の住人はいう。 「いっ。そんなことをしたら戻れなくなるぞ」 「戻りたくないもん。別に」  笑い声を上げている異界の住人がいる。泥人形がべたりと中野の右足をつかんでいるのはわかる。山代がにやりと笑った気配もする。  中野は動ける左手で柄を強く握った。息を整える。痛みで目がチカチカする。意識はギリギリ保たれているのがわかっている。  時間稼ぎぐらいはなるかなとつぶやいた中野は笑った。  匂いが立ち込める。甘い香り、なにかの花のような香りである。それが異界の住人に届いたようだった。異界の住人はとろんとした顔になった。山代も、だ。そうして急に笑い声が響いた。 「眠り薬なんてやるな」  泥人形は意志を持って、中野の左足をつかんだ。痛みでくらくらした中野は意識を失った。  中野は痛みで目が覚めた。  青年が側にいた。中野が意識して「永沼(ながぬま)さん?」と青年に問いかけた。永沼はメガネの奥から中野を見つめていた。 「ここは」 「病室。無茶をしたね」 「山代は。和泉は。室田は」 「大丈夫。彼らは無事だ」 「異界の住人は」  大丈夫と言われた中野はうっかり意識が失いそうになる。永沼はナースコールを押す。永沼は三田にメールするようだった。 「僕達が到着したとき、山代も異界の住人も眠っていたよ、やりやすかった」  えっと中野が尋ねる前に看護士が現れて、医師も現れた。医師は中野の腫れ上がった体を触って痛むかと言われた。 「今、薬で治療しているから痛まないけど、薬の効能が切れたら痛くなるからね」  と言われてしまった。中野は点滴につながれ、救いを求めるように永沼を見た。個室ではない病室はカーテンで仕切っているくらいである。中野は疲れたのか、意識がなくなりそうになる自分に気がついた。  まだ意識を手放したくないのに、意識は朦朧して知らぬ間に眠りに落ちていた。  公園の花、あれはポピーだ。小さな花。滑り台の根本に生えている。サーモンピンクの優しい色。ふわふわと揺れている。しゃがんで中野はそれを見ている。うふふふ、と笑う。意味のない楽しい時間。 「ねえ」  誰かが呼ぶ声だ。 「なに」 「お別れだって」 「やだよ。もっと遊びたい」 「だめだよ。だって、大人が決めたことだもん」 「じゃあ、別れるの」 「わかんない。でもいつか会えるよ」  頬に冷たい感触が中野は感じた。それは女の子が男の子にするものである。口をとがらせる中野に誰かが笑う。 「きっと会えるよ」  強くなってと言われた。  痛み。まるで体を引き裂くような痛み、ジンジンと熱を持って、中野を苦しめる。中野は脂汗をかいている。ナースコールを押したくても、痛みで体を動かせない。いい夢を見ていたはずなのに、なんだよ、これと中野はつぶやいた。シャーとカーテンレールが動く音が聞こえた。  誰かがいる。誰かはわからない。痛いのに意識がある。意識なんてなければいいのに、痛くて、痛くて一人なんだと絶望的な気分に中野はなった。  ナースコールが押される。 「あら、君」 「俺は大丈夫です」 「わかったわ」 「鎮痛剤は」 「打てないのよ。ごめんね」  あなたは寝ていいのよ、これでは眠れないけどという会話を中野は聞いていなかった。激痛を叫んでいた。痛い、痛い、助けてと叫んでいた。  誰に救いを求めればいいかわからない。普通ならば母だろうか。一瞬で考えていたことは飛散する。  痛み。まるで意識していないのに、腕や足が引き裂くと思うくらい、痛みだす。痛みのリズムが早い。涙が中野には出てきた。助けて、看護士さんというが「がんばって耐えてね」と言われる。はい、はいと返事される。中野は悪夢のような夜を過ごした。  泣きつかれ、鎮痛剤が打てる頃には中野は眠っていた。中野は目が覚めたとき、またあの痛みを味わうのかと思った。  サンプルとして血を採られ、特殊なカメラで細胞の写真や動画を撮られる。中野は文句を言わず耐えていた。  三田が現れ、着替えを持ってきてくれた。まだかかりそうだと言われた。町に戻れると問いかければ大丈夫だと言われた。  中野は町に戻ってきた。三田の代わりに山代は迎えに来ている手筈になっている。電車に降りて、荷物を持っていく。何人か降りてくる。そうして、中野を迎えたのは山々だった。遠くの山を見ながら、中野はバス停に向かう。そこで山代と会う手筈になっていた。  スマホを見る。山代のメッセージはない。ベンチに座ると筋トレしなきゃとつぶやく中野がいた。  永沼から室田が転校したと聞いた。理由はいじめらしい。その方がいいかもしれない。山代が契約したのは。  気配がして、中野は顔を上げた。山代だった。久しぶりに見る山代の顔は人形めいて、そう中野には見えた。 「おまえが契約したのは室田なんだな」 「ああ」  室田がなにかを呼んだときに山代が現れた。室田のいじめから死のうとして、山代が助けたらしい。  血をわけてもらう代わりに願いを叶えたが、室田の血ではそれほど強く現実には作用しなかった。和泉はいじめっ子だった。いじめっ子のリーダーを友達にすればいいと思ったが、実際は友達だったとは言い難いものらしい。  和泉は山代を好いていた。友達なのか、主人としてわからないが、山代は自分のものにしてしまった。 「教室にいた異界の住人はどうなった」 「ああ、目が覚めたときはいなかった」  中野と山代は歩いていた。では、術士が解決したのだろう。中野はそう考えることにした。 「室田はなんで体なんて貸したんだ」 「わからない。ただ、自分が存在してはいけないような気がしたらしい」 「そんなことはないのに」 「逃げたかったと室田は言った」  逃げられるならば、どこでも良かったのかもしれない。そこに異界の住人につけ込まれたのか、自然の流れでそうなったのか中野はわからない。ただ、中野には室田の気持ちがわからなかった。  想像した。毎日殴られ、ひどい言葉を投げられ、毎日、毎日、いらないものとして扱われる。 「勘違いしても仕方ない。だってさ。毎日、言われたら、なにか楽しみがなくちゃ折れてしまう。別にそう思うのが悪いことじゃない。いじめた奴が悪いんだ。いじめた奴が」 「中野はいじめられたのか」 「覚えていない」  中野にはきっとわからないが。わからないからこそ、恐怖で自分を守っていた。 「よく室田の魂じゃないってわかったな」 「ああ、勘って奴かな。俺さ。いじめられたから、いじめる奴かな、室田って思った」 「いじめられたからいじめる奴なんてたくさんいる。中野はお人好しだ。だまされないように気をつけるんだぞ」 「わかっているよ」  そう、つぶやいた中野は顔を上げた。和泉を返したと山代は言った。御咎めありで山代はこれから力を制限されていたらしい。まだその期間は残っている。 「俺も始末書を書かなきゃ、な」  中野は苦笑してから言った。手はちゃんと動く、足も動く。痛みは取れた。それなのに中野の胸には苦いものが残っていた。

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