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第33話

 中野は体を動かしたあと、また勉強を始めた。勉強をしていた中野はしばらく眠くなるのを必死に耐えていた。  窓の外を見れば、夕暮れに染まる海が見える。雲が出てきて、一雨が来そうである。赤い空に黒い雲がかかっていく。海の音が聞こえてきた。  中野はパソコンの画面を集中する。先生の質問、ネット上のものを答えていく。SNSのグループに入った。それで、わからないところを質問しろと言われた。  授業が終わると、パソコンを閉じた。目頭を押さえると、固くなっている。それで、中野はストレッチをする。体がポカポカと暖かくなるのがわかる。視界が晴れるような気がした。 「山代、終わったのか」 「まだ」  じゃあ、なにか買ってくるよと言う前に「ここにいろ」と言われた。なんで、という前に夜叉丸のことを思い出した中野は素直に座る。眠くなってきた中野はゆっくりと目を閉じた。  中野の目の前にはなにか、いる。それはなにかわからない。ただ、大きなものである。目がある。それとあった。 「なんだ、これ」  眠っていた中野がいたとようやく中野は気がついた。毛布がかけられたまま、中野はあたりを見回す。そこにはまだなじんでいない自分の部屋があった。 「なんだ、あれ」 「起きたか?」 「あっ、山代か」  隣に山代がいた。まるで山代に寄りかかるようにくっついていた。山代の体温が中野の気持ちを落ち着かせていく。温かい。そうして、固いのだが。山代はしばらく中野を観察した。 「変な夢を見たのか」 「うん。って、また人の心を読んでいたのか」 「中野」  まるで安心させるように、山代の腕が中野の体を包む。人の温もりが寒かった体に安心感を与えているのかと中野は考えていた。いつもならば拒絶するはずが、さっきの異様な夢のせいか、中野は拒絶できなかった。 「変なものが流れた」 「それはたどれない。今は道が閉ざされた」 「えっ。じゃあ、俺が夢を見ている間はたどれるのか?」 「ダメだ。中野を一人にできない」  山代が中野を失うかのように考えている。強い口調がそれを教える。過保護だと中野は思った。 「俺は平気。なんとかできる」 「中野は弱い」 「なんで」 「俺は認めていない。だから、いやだ」 「俺のいうことはなんでも聞くって言ったはずだよな」 「これと、それとは別」  そう言っていた。夢はつながっている。一体誰と? と中野は考えていた。海は暗くなっていた。すべてを飲み込むような闇が広がっていた。山代は「夕食を食べる?」と言うから、中野は慌ててその背中を追いかけることにした。 「えっ、でかい体の変な生き物と目が合う夢?」  篤志はびっくりしたように言った。そうして、悩んだ。誰かの夢がつながったのかと「誰かが、兄ちゃんに助けを呼んでいるのか」とつぶやいた。  知り合いにはそんな人間はいないと中野は考えていた。SNSで連絡を取ったが、みな返事をしてくれた。  ただ一人、のぞいて。 「夜叉丸に連絡していない」 「うわっ。そいつのイメージが伝わったのか?」  うわっという、あからさまに嫌悪感をあらわにする篤志をとがめようとするべきか、中野は悩んだ。あんなことをしたが、研究者である。見習いとは立場が違う。 「やめとけよ。相手だって心がある」 「そうかな」  心があるならば、あんなことをしないはずだと言いたいのだろう。まず、スマホを見つめてみる。ホーム画面にSNSのアプリが追加され、ロゴが入っている。  それを押してチャットに入り、なにか悩みごとはないと聞くべきか、なにか変わったことはないかと聞いた方がいいと考える中野がいた。 「夜叉丸って、アニメからだろうね」 「多分。匂いで化け物を惑わすタイプって言っていたな」  ふーんと篤志が言う。中野の体のことは知っているのだろうかと中野は考えていた。山代は淡々と箸を進めていく。それは機械的に見える。好みはないのか。そんなことを中野は考えていた。 「山代はどうして、兄ちゃんが好きなんだろう?」 「目付役だっけ?」 「うん。そうだよ。俺よりもずっと兄ちゃんにべったりだった」  ふーんと中野は言った。記憶にない。その表現が正しい。記憶がなくていい、悪いの問題ではなく、自分の記憶がないことはおぼつかない気持ちにさせるのだ。それが、なんであれ。  中野は生姜焼きの豚肉を食べやすい大きさに切り分けながら考えていた。ポテトサラダを食べている篤志は中野の変化に気がついていないだろう。 「そういえば、間中に会えたか?」 「会えたけどさ。返答はなにもイタズラなんてしていない。兄ちゃんの心の防衛反応では? と言われた」 「そうだな。きっと」 「そうなの?」  篤志の目が中野を見つめる。黒目に映る中野はどう反応するか困っている姿でもある。 「直接、聞いたら?」 「そうだな」  あれほどの怒りがあったのに、時間が過ぎたせいか、怒りは湧いてこない。それよりも恥ずかしさが勝る。自分が怒ったことは正しいのかさえ、わからずにいる中野もいた。 「怒るということは、それは兄ちゃんの心に引っかかりを作ったんだろう?」  そうだけど、と中野はつぶやいていた。そんな中野に篤志は「当たり前だと思う。誰だって、自分が操作されたら怒る。自分が自分でなくなる可能性だってある」と篤志が言っていた。だから、怒ったのかもしれない。  中野はそうつぶやいた。自分が自分でなくなる恐怖があったかな。それは確かだ。自分の言葉に表せない気持ちを代弁してもらったような気がした。 「兄ちゃんは優しいな」 「えっ」 「俺だったら、もっと疑うな」  そうだよなと中野は言った。しかし、なぜ納得するのか、中野にはわからない。どうして怒っていたのかさえ、中野はわからない。  ただ、怖かった。今まであったものが変わっていくようで。 「ごちそうさま」 「あっ、待ってくれ」 「待っているから」  山代は隣で聞いていたのか、わからないが、もうトレーにある食べ物を平らげていた。中野は慌てて食事を再開していた。  人は時間の経過とともに変わると誰かが言うかもしれない。その誰かがドラマの中の人間か、架空の漫画の登場人物か、中野には思い出せなかった。  疲れたとつぶやいた。夢ごときで柳に相談することを中野が嫌がった。ただの夢だと言っていたが、篤志はそれでは手遅れになったらどうすると言われていた。  篤志の言葉に押される形で中野はSNSでメッセージを送った。柳は未読のままだった。時間に余裕がないのかと中野は考えていた。中野はしばらくスマホを見ていたが、飽きて違うグループの様子を見て気がついた。 「宿題」  そう彼はつぶやいて、机に向かう。慣れないパソコン作業で文書を打ち込む。自分が考えていたことを言葉にするのは難しいと感じながら、頭の中がこんがらがるような気持になっていた。外を見た。海が見えない。暗闇の中に、明かりもない海はすべてを飲み飲むのではないかと中野は考えていた。 「山代、おまえはどう思う?」 「なにが?」  中野は自分の言葉にしようと思った。口を開く前にスマホから着信があると知らせた。SNSの音声電話である。それは柳だった。 『こんばんは』 「あのメッセージでは伝わらなかったんですか」 『そうなんだ。だから詳しく教えてほしい』 「言葉にするには難しいと思います。どんなやつか、思い出せないです」 『いいから、教えてくれ』  中野は途切れ途切れに言葉にする。言葉にすると気持ち悪さが意識される。朝のことも話したが、ふうんと言われた。あまり興味がないのか、それ以上のことを中野から聞き出したいのかもしれない。 『で、君はどう思う?』  えっとつぶやいた中野の言葉に柳が苦笑しているのが伝わってくる。そんな中野は「どうって?」と困った様子で言っていた。 『誰かが君の夢路に侵入している?』 「いや、誰が?」 『そうだね。誰が得するのか、考えてみよう』 「いないと思う」 『おや。なんで?』  それはと中野はつぶやいた。彼のベンを取り、シャーペンの頭を押してみた。 「俺の精液なんて、たいした情報もないと思う。それと、無意識だと思う。嫌がらせなんてしても、ここは俺の知り合いといないから、知りようにもない」  柳はうんと返事をする。そうして『性的な目で見られているわけではないと?』と柳の言葉に「そうです」と言われた。 「あのときはムラムラしていたから、そんな夢を見ていたからか」 『僕は相手の意識が君に届いている理由が知りたいな』 「あっ、そうですよね」  そう言われて、そうだと中野はそんなことを失念していた。そうして、中野はうーんとうなった。 「今は情報が足りないですね」 『また、なにかあったら教えてくれる? 上にも報告するから。上が気にすることではないけどね』  そうですねと中野は言っていた。それもそうだと。中野はそんなことを考えていた。上が気にすることではない、そう言い切れる理由はどこだろうと。通話を切って、中野はため息をついた。  どこから中野の存在がもれたのか、わからない。中野は自分のことなのに、わからないことが増えた。 「どうやって、俺を知った?」  夜叉丸のせいかと考えていた。たいした情報もない。遺伝子情報くらいしかない精液を取るなんて。それとも、ヘンタイと考えていた中野は宿題に取りかかる。

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