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第23話
6.
おかしい。どれだけ探しても紅の引っ越し先が見つからない。荷物を運び出したと言う情報の代わりに、処分屋と呼ばれる代行業者が紅の家の家具をすべて処分したという話なのだが、その代行業者に問い合わせてみても、佐渡紅という利用者が存在しないのだ。
スマホも文化祭の次の日に解約済みになっており、連絡先から紅が消えている。このユーザーは存在しません。という文字が酷く憎たらしい。電話も通じないし、メールだって届かない。
学校にも問い合わせてみたが、退学届けが出された後のことは分からないというだけで、その退学処理ももうとうの昔に終わっているという。日付は文化祭の後だ。明らかな計画性のあるそれに美樹は歯ぎしりした。
学生の身分でそう簡単に美樹の情報網から逃れられる筈もないと思っていたのだけれど、おかしなことにこれっぽちも紅の足取りが掴めなかった。毎日つけている紅の尾行が文化祭の前後だけ知らない人間が担当していて、そいつらとも連絡が取れない。
実家にも帰っている気配はなく、もう完全にお手上げ状態だった。
そうこうしているうちに八月になり、世間はもう夏休みだ。
街中を楽しそうに歩くカップルを見て、ベンチに腰掛けた美樹はぼんやりと、あの時逃げ出さなければ紅は今、隣にいてくれただろうかと考える。ふと、自分の前に影ができて、美樹は顔を上げた。
「よお」
そこに立っていたのは美樹が嫌いな四堂蒼だった。紅のことが好きで、紅からも幼馴染として特別に扱われている男。その蒼が、一体なんの用か。美樹は首を傾げた。
「蒼クンじゃん。久しぶり。なんの御用?」
「話がある。ついてこいよ」
背中を向けて歩き出す蒼に少し考えて、美樹は立ち上がって歩き出す。蒼の後ろをついていくと、黒いワンルームマンションの三階に案内された。三号室の鍵を開けて中に入って行く蒼を見ながら、美樹が玄関で腕を組んでいると、上がれよ、と一言蒼は言った。
ここは、蒼の家だ。そう古くないマンションで、風呂トイレ別のワンルームマンション。
来たのは初めてだが、見かけによらず綺麗に掃除されている。麦茶を出されて、美樹は無言でそれを見た。茶色い液体に自分が映っている。その顔は余裕そうな笑みを浮かべていた。
「紅のこと」
ぴくりと身体が跳ねる。まさか知っているのか? 居場所を。と期待に満ちた目をして蒼を見たが、蒼はそれを無視して続けた。
「虐めていたんだろ」
「なあんだ、そんなこと。ただのコミュニケーションだよ」
蒼の言葉にため息を吐いてやれやれと両手を肩の高さに上げる。そんなことのために呼びだしたのかという目で見れば、蒼はぶるぶると震える手で美樹の胸倉を掴んで言った。
「アイツがっ、傷付いているのも分かってて、そんなこと言うのか」
「…………そうだよ」
「好きなら、大切にしようとか……っ思わねーのかよ」
言葉を詰まらせながら吐き出した蒼の言葉を、美樹は鼻で笑う。
「見てもらえなきゃ、意味ね―じゃん。お前にはわかんねーよ」
はじめからずっと一緒のお前には。そういった言葉は、遠い蝉の声に溶けて消える、冷めた美樹の目を見て、カッとなった蒼が、その頬に拳を一発お見舞いする。
「お前がっ……お前がそんなだから。紅は」
悔しそうに顔を歪めて、蒼は吐き捨てるように言った。
「この街から出て行ったんだ」
***
「いってー、くっそムカつく。蒼クンの家燃やしてやろうかな」
歩きながら、美樹は呟いた。殴られた頬が少し腫れて痛い。結局、蒼から紅の居場所を聞き出すことはできなかった。どこにいるのと問えば、今のお前には教えてやんねえと追い出されてしまった。
紅の手がかりを見つけたのにと唇を噛む。ふと、公園のベンチに見知った顔を見つけて、美樹は足を止めた。
「なにしてんの。丁サン」
「おお、坊主。久しぶりだな。暑くて仕方なくてよ」
空を見上げる男に、美樹は苦笑を漏らしながら財布を取り出す。
「お茶でも奢ってやろうか? あ、そうだ。丁さんが知ってるとは思わないけど一応、この子見たことない?」
折角だと思い立って、紅の写真を見せると、男は別嬪じゃねえの! と機嫌良さそうに笑ってから、んん? とまじまじと写真を凝視した。しばらく観察してその薄っぺらな紙を返す。
「あるな。少し前だが……お前さんと会ったくらいか? 早朝男と話をしてたぜ。ありゃあ高木の代理人だな。気の弱そうな見た目だったから間違いねえよ」
「本当!? ありがとう、丁さん」
「お? おお……」
「これ、お礼。またね」
丁の言葉に美樹は飛びつく。財布から一万円札を取り出して男に握らせると、美樹は慌てて公園を飛び出した。スマホを取り出して長田に電話を掛けると、すぐに高木葵の居場所を調べるように言う。戸惑った様子の長田が返事をしたのを聞いて、電話を切ると、美樹は自宅に向かって駆け出した。
***
「意外と、バレるのが早かったね」
高木葵は落ち着いた声で言った。長田を通して連絡を取ると、食事をしようと彼の知り合いのレストランに呼び出された。貸し切り状態のレストランで、二人きりで席に着く。
「教師が関わんのはまずいんじゃないですかあ?」
「ふふ、だったら無責任に子供を作るのはどうなんだい?」
嫌味を言うがさらりとかわされ、挙句痛いところを突かれてしまう。そんなことよりも、本題に入らなければ、と美樹は口を開く。
「どうやって隠した?」
紅の居場所を。その言葉に、男は少し意地悪な表情で言う。
「桜林と華王子に少し疎まれているのを自覚した方がいいよ」
ちっと舌打ちをして、美樹は質問を変えた。
「紅ちゃんはどこ?」
その質問に柔らかく微笑んで、高木はステーキにナイフを入れた。肉汁がぶわりと広がり、じゅうっと音を立てる肉を一口頬張って、よく噛み砕いて、口を拭くと、静かに唇を開いた。
「答える義務はあるかな?」
その答えに、美樹がふざけるなと席を立とうとしたが、高木葵の目がそれを制した。
「なんてね。教えてあげてもいいけど、本人に許可を取るべきじゃない?」
高木が指を鳴らすと、ウエイターが子機を持って美樹の前に現れる。電話番号は表示されていないが、登録名が佐渡紅になっていて、美樹の受け取ろうとする右手がぶるぶると震えた。
はあ、はあ、と荒く息をする。心音が耳に届く程五月蠅い。
ゆっくりとした動作で、子機を受け取って、耳に当てると、しばらく聞いていない声が耳に届いた。歓喜で打ち震える。叫び出しそうになる気持ちを抑えて、美樹は声を出した。
「もしもし、紅ちゃん」
『……右京……』
「また呼び方戻ってる」
クスクスと笑って、目にうっすら浮かべた涙を拭うと、今どこと尋ねた。
『…………教えない』
「どうして?」
『俺の人生はどうだっていい。だけど、子供の……この子の人生まで台無しにするわけにはいかない。右京は、父親にはなれないよ』
はっきりとした否定に、美樹は顔から表情が失せる。どうして、と繰り返し頭の中で問う。
「俺が、逃げたから?」
『それもある、けど……』
「じゃあ、どうして? どうしてそんな酷いこと言うの? 俺は、お前を愛していただけじゃん。なのになんでっ」
「あれがっ……あれが愛だっていうのなら、右京は異常だよ……」
責め立てるように問えば、紅が遮るように叫んだ。その言葉に、美樹は言葉を失う。
『幸せになりたかった……大切にされたかった……それっておかしいこと?』
「……」
『俺から全部奪うことが俺への愛だっていうのなら、右京はいい父親にはなれない。悪いけど、もう諦めて』
「……紅ちゃん」
祈る様に名前を呟く。何と言って許しを請えば許されるのか、ちゃんと謝ったことのない美樹にはわからなかった。その美樹を、まるで見ているかのように、電話の向こうで紅は小さくため息を吐いた。
『だけどもし、もしも、すべてを捨ててでも、たとえ、俺を失っても、子供を守ると、胸を張って約束できるようになったら、その時は、先生に居場所を聞いて迎えに来て』
待ってるから。
美樹の胸に光さすその言葉は、すうっと染み渡る様に溶けて、じわっと浮かんだ涙がぼろぼろと零れ、情けない声で繰り返し頷いた。頑張るから、待っててと子供の様に泣きじゃくる美樹に、紅は電話の向こうでクスクスと笑って、待ってる。と言った。
6. 終
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