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「お兄さんには、僕が見えてますか?」
目が合ったと思った瞬間に聞こえた声。
その体にふさわしいと言えばふさわしい、幼くて柔らかくて高い声。
せえけどその口調は、表情に感じた違和感と同じでしっかりと落ち着いてる。
「お兄さんは僕が見えてるんですか?」
なんも答えへんのを声が聞こえてないと思うたんか、さっきよりもうんと大きい声で問いかけてきた。
ハッと気付いて、俺は慌ててコクコクと頷く。
途端にそのガキンチョはパァッと子供らしい笑顔を見せると、やっぱりおぼつかない『ポテポテ』なんて擬音が付いてきそうな足取りで近寄ってきた。
おもちゃのトナカイさんも引っ張るんは忘れてない。
こりゃあ、声かけてビンゴやったかな...迷子やろ?
ビビらせたらアカンと思うて、大袈裟なくらいの笑顔を作りながら、目線を合わせたろうとゆっくり腰を下ろした。
もっとも、寒さのせいでどこまで笑えてるかは自信無かったけど。
すぐ目の前まで来たガキンチョは俺の顔を真っ直ぐに見つめると、いきなりピョコンと頭を下げた。
俺もつられてピョコンと頭を下げる。
「はじめまして。僕はサンタクロース見習いの名無しです」
「あ...サンタクロース...はい?」
「サンタクロース見習いの名無しと申します」
「ナナシくんて言うの? 変わった名前やね」
「いえ、まだ見習いですので名前は無いのです。ですので名無しと。見習い期間が終わったら、晴れて『ラミエル』というありがたい名前をいただきます」
......っていう設定?
お母さんにでもキャラ付けされたんかな?
いやいや、お母さん。
こない小さい子にここまで難しいセリフ覚えさせといて、迷子にさせるってどういう事?
可哀想になぁ...一人ぼっちで寂しいやろうに、それでも一生懸命に設定守ってんのか。
そりゃあお兄ちゃんもその設定に乗っかってあげなアカンわな。
そのうちお母さんが探しに来るかもわかれへんし、最悪警察まで一緒に行く事になるかもしれん。
「あ、こちらは僕の相棒のロディです」
ロディはたぶんトナカイちゃうと思うで。
まあこのナナシくんからしたら、このトナカイの人形でもロディと大差ないか。
「ナナシくん、腹減ってへんか? 甘いモン好き? このケーキ、めっちゃ美味いで。一口どう? あ、それより寒いやろ。そこの店でお兄ちゃん働いてるから、ちょっと中でヌクヌクしよか?」
「いえ、ここで大丈夫です。僕もロディも寒いのは平気ですから。一口ケーキいただいてもいいですか?」
おい、このガキンチョはいくつやねん。
どう贔屓目に見ても、3才児やで。
なんなん、この言葉遣いの美しさ。
ものすごい不思議な物を見てるっていうのはわかってんのに、なんやろうなぁ...ケーキを見つめながら目をキラキラさせてる姿に妙に幸せな、温かい気持ちになってる。
俺はケーキの蓋を外し、ナナシくんの前に差し出した。
「ええよ、食べたいだけ食べ。あ、せえけど食べ過ぎて怒られんようにしとくんやで」
「ありがとうございます。ああ、さすがに僕の姿が見える人だなぁ...」
さっきからこの子は何を言うてるんや?
姿が見えるやらなんやら。
こんな可愛い子が見えへんド阿呆がいてるんやったら連れて来いって。
ナナシくんは俺の手の上のケーキを試食用のフォークで上手に掬うと、大きな口を開けてそれを頬張る。
途端に、大人びたその表情は子供そのもののそれになり、まだケーキが残ってるらしい自分の頬っぺたをムニムニと触りだした。
一口やなんて言うてたのが嘘のように、次々にフォークを口へと運んでいく。
時々トナカイの口許にもそれを持っていってるけど...そのたびにケーキが消えてるような気がするけど...
うん、気のせいや。
おもちゃのトナカイがケーキ食うわけあれへん。
何にも見えてない事にしよう。
「本当に美味しかったです。ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
またペコリと頭を下げるナナシくんに倣って俺も頭を下げる。
顔を上げたナナシくんは、またさっきまでの驚くほどに綺麗で子供らしない顔でフワッと笑った。
「僕が見える人にやっと会えました。本当に優しくて強くて真っ直ぐな人に...これで見習いを終える事ができます」
「言うてる意味はわかれへんけどな、俺は強くも真っ直ぐでもないで。周りの期待に応える事もできへんからって、全部を放り出して逃げ出した臆病モンや」
こんなガキンチョに言うたってわかるはず無いのに。
なんでこんな話をしてんねん。
それでもなんでやろう...この子の穏やかで真っ直ぐな目を見てると、全部を吐き出してしまいたくなる。
「俺は...親父やお袋の望むような人間になられへんかった。出て行けって言われて、自分を否定するような言葉をそれ以上聞きたないからって、親と向き合う事もせんまんまで逃げ出したような奴や。強うない...弱いねん、臆病者やねん」
「お兄さんの人生は、お兄さんの物ですよ。ご両親の望む自分になる必要は無いのです...それをお兄さんが望んでいないのなら。誰を好きになっても、間違いなどではありません」
え?
今...なんて?
俺は...そんな話までしたか?
「自分気持ちを、意思を貫こうとしたんですね。自分は間違ってなどいないのに、ご両親に否定される事が辛かった。けれど、それを否定したくなるご両親の気持ちもわかるからこそ...お兄さんは衝突してご両親をそれ以上傷つけない為に敢えて『逃げ出した臆病者』と呼ばれてでもご両親の元を離れたのでしょう? 優しくありたい、真っ直ぐに自分を認めてやりたい、そして中傷に負けないほど強くなりたい...そのお兄さんの真摯な思いがあるからこそ、僕の姿が見えるのです」
目の前のガキンチョの姿が突然柔らかな光に包まれた。
そのまま輪郭がぼやけていく。
それはロディと呼ばれたトナカイの人形も同じだった。
「これで僕の見習いが終わります。あなたにクリスマスプレゼントを送りましょう」
ナナシを包んだ光が強くなっていく。
けれどその強い光にも、何故か目が眩む事はない。
その光はじきに大きくなり、ハッキリと人の形になった。
「神よりの黙示を司るラミエルの名のもとに、あなたに大切な啓示を授けましょう。これからもあなたは自分に正直にありなさい。あなたは間違ってなどいない。運命を送ります。その運命を掴むも離すもあなた次第...強くあってください。どうか運命を掴んでください。その運命こそが私からの贈り物...」
ガキンチョがガキンチョでなくなっていく。
赤いコスチュームはそのままに、光の中に浮かび上がるのは...少し儚げで、けれど切ないほどに綺麗な少年。
すぐそばのおもちゃは、すっかり立派に伸びた角をフルフルと振った。
「僕との出会いはあなたの記憶から消えます。けれど神からの啓示は消える事はありません。そしてどうか...僕の姿を覚えていてください。僕こそが運命だと...」
「ガキンチョ...お、お前一体......」
「サンタクロースですよ。ケーキ、ご馳走さまでした。本当に美味しかった。メリークリスマス」
手を伸ばそうとした所で更に光は強くなる。
今度こそ目が眩んだ瞬間、最後に見たのは美しい少年の笑顔だった。
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「あ...れ? ケーキ、あと2つ残ってたはずやのに...」
なんでや?
さっき俺、2つやったら買って帰れると思うてなかったっけ?
「ま、ええか。店じまい店じまい」
ワゴンをガラガラと押し始めた所でふと視線が止まる。
ポロポロと涙を溢しながら、それを拭う事もしないで歩いていく少年。
その整った横顔に、ドクンと心臓が大きく跳ねた。
『運命を掴むのです。あなたは間違ってなどいない』
なぜかそんな言葉が頭をグルグルと回る。
せえけど、運命とかそんなんどうでもええ。
あんな風に泣いてる人間、ほっとかれへんやろ。
小さい子とか泣いてるやつとか、ほっとかれへんのは性分やからしゃあない。
小さい...子?
「ケーキいかがですか! 最後やから、特別安うしときますよ!」
少年は立ち止まり、俺の方を見た。
涙が嘘やったようにフワリと綺麗に微笑み、ゆっくりと近づいてくる。
「僕がそれ買うたら...一緒に食べてくれますか?」
頭のどこかで『良くできました』なんて声を聞きながら、俺はその少年の頬に残った涙をそっと指で掬っていた。
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